連載コラム「銀幕を舞うコトバたち(43)」
私、お尻、引っぱたきます!
カテゴリ:DVD / Blu-ray, コラム "銀幕を舞うコトバたち"
黄金期はとっくに終わり、邦画と洋画の観客動員のシェアが逆転したのが1970年代の日本映画界だった。この時代の日本映画界をひと言で表現するとしたら、どうなるだろうか。「実録ヤクザ映画とロマンポルノの時代だった」と言えるかもしれないし、「角川映画に代表されるミステリー映画の時代だった」と言う人もいるだろう。では、この時代を代表する監督を一人選ぶとしたら誰か。ぼくなら野村芳太郎の名を挙げる。
1970年から1979年までに野村芳太郎が撮った映画は18本。その中には『砂の器』や『八つ墓村』といった大ヒット作があり、『鬼畜』や『事件』のような問題作、話題作もある。さらに数々の喜劇や恋愛劇も手掛けており、映像作家としての肺活量の大きさにあらためて驚かされる。『ダメおやじ』もそんな小品の一つで、『砂の器』の前年に公開された喜劇である。
原作は古谷三敏の同漫画。何をやってもヘマばかり、会社でも家でもバカにされ、こき使われる夫「ダメおやじ」と、その夫をシゴきまくる妻「オニババ」の夫婦愛が描かれる。ダメおやじに扮するのは三波伸介。漫才「てんぷくトリオ」のリーダーだったが、この頃はすでに『笑点』(日本テレビ系)や『お笑いオンステージ』(NHK)などの司会で人気だった。ゴツゴツした顔と丸みを帯びた風体は、小津安二郎の戦前の喜劇には欠かせなかった坂本武、『男はつらいよ』の渥美清、『釣りバカ日誌』の西田敏行ら、松竹伝統の喜劇役者の系譜に連なると言ってもいい。
オニババには倍賞美津子。プロレスラーのアントニオ猪木と結婚して間もない頃で、ダメおやじ相手に繰り出す首投げ、股裂き、張り手といった荒ワザが妙にリアルだ。とはいえ倍賞美津子が演じるくらいだから本作のオニババはすこぶるチャーミング。そもそもダメおやじの頼りなさは妻なら叱咤したくなるのが当然のレベル。出世競争からはすっかり取り残され、人に謝ってばかりで、子どもにも同情される。
映画では夫婦のバトルより、小山田宗徳と吉田日出子が演じるもう一組のカップルとの対比に主眼が置かれている。こちらの夫はダメおやじとは不動産会社の同期ながら、万事要領がよく早々に課長に昇進、ダメおやじが団地住まいなのに対し家も新築している。妻もまた見栄っ張りで、嫉妬深い。しかもオニババの大学の後輩だから、ダメおやじの肩身はますます狭くなる。
小山田の愛人騒動とともにドタバタ劇は加速し、同時にダメおやじならではの魅力の輪郭がはっきりしてくる。
とにかく正直。不器用。不正は絶対にできない。さらに自分の弱さを自覚し、さらけ出せるのが素晴らしい。
「ぼくと結婚してください。嫌なら、ぶっ飛ばしてください」
プロポーズの段階から弱気だ。新婚旅行の車中でも、自分がデブで、鈍感であることを認めたうえで懇願する。
「何をさせてもダメな男なんです。だから、これからはお尻を引っぱたいてもらわないと。そうしてもらえたら、課長にでも、部長にでも……」
これに対するオニババの宣言が清々しい。
「私、お尻、引っぱたきます!」
ダメおやじを見て思い出すのは小津の『お茶漬の味』である。佐分利信が演じた夫はダメおやじとは違って仕事はできるが、無口で田舎臭いことから、お嬢様育ちでプライドの高い妻からは「鈍感さん」と揶揄された。そんな夫の魅力を見直していく様子が小津映画らしくサラリと描かれる。
夫婦の初期の恋愛感情を10年、20年と維持・継続するのは至難の業だ。時間はロマンスを徐々に蝕み、やがては楽園の終焉が訪れる。ダメおやじとオニババの同志か師弟にも近い刺激的な関係を見ていると、案外、これも家族のかたちの正解の一つかもしれないと思えてくる。
北海道に左遷させられたダメおやじの後をオニババと息子もついていく。
「私がついていかないと、お尻引っぱたく人いないじゃない」
『お茶漬の味』も最後は佐分利信がウルグアイへと赴任していく話だった。あるいは、同じ小津の『彼岸花』は本作と同じように結婚式で始まり、列車のシーンで終わる作品だ。家族に寄り添う松竹大船調の伝統はここにも息づいている。
文 米谷紳之介
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