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連載コラム「銀幕を舞うコトバたち(34)」
痙攣が起こらぬようにすべての刺激を避け、抗毒素血清療法を行います。

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  日本映画草創期の名監督・野村芳亭を父に持つ野村芳太郎が監督に昇進したのは1952年。助監督を務めた『醜聞』(1950年)や『白痴』(1951年)で監督の黒澤明から「日本一の助監督」と評価された翌年である。以後、喜劇、ミステリ、ホームドラマ、メロドラマと幅広いジャンルで手腕を発揮した。
 多彩なフィルモグラフィーの中で異彩を放つのが恐怖映画だ。オカルト色が濃い『八つ墓村』や、観るのがつらくなる『鬼畜』も恐怖映画に分類してもよい気がするけれど、野村映画で一番怖いのは、やはり『震える舌』である。ネットで検索してもその恐怖について語る人は今も多く、子どもの頃に観てトラウマになったという声も少なくない。

野村芳太郎監督『震える舌』

 ぼく自身は社会人になった年に封切りで観ている。恐怖を前面に押し出した予告編やCMの段階から怖かった。しかし、本編はもっと怖かった。それから40年近くもの間、観るのを避けてきたのだから、トラウマじゃないかと言われても反論できそうにない。今回久々に、ある程度の心構えをしたうえで観て実感したのは生々しいヒューマンドラマだという事実。原作は芥川賞作家の三木卓の同名小説で、破傷風に侵された5歳の愛娘を必死に看病する両親の物語である。

 とはいえ、湿地で遊ぶ少女をとらえたカメラが移動して団地のベランダで布団を干す母親を映し出す冒頭シーンから、不穏な空気に包まれている。いかにもその先に不気味な展開が待っていそうな気配なのだ。少女はドブ川のように汚れた水辺で指先に小さなケガをして、それが原因なのか、どんどん異常な様子を見せ始める。無気力になり、やがて痙攣を起こして舌を噛み、口から血があふれる。

 近所の病院では原因もわからず、やがて大学病院に入院すると、ここで医師から告げられた病名が破傷風。劇中の説明によれば、発病から5日以内で全例死亡、10日以内で79%の死亡率だという。ここから家族3人の壮絶な闘病が始まる。

「絶対安静にして、痙攣が起こらぬようにすべての刺激を避け、抗毒素血清療法を行います」

 医師の言葉通り、「すべての刺激を避ける」ために窓は黒い布で覆われ、病室はまるで暗室のようにされてしまう。

野村芳太郎監督『震える舌』

 破傷風は菌が体内に侵入すると激しい痙攣を繰り返し、痙攣がひどいと脊椎骨折を起こして死に至ることもある。その痙攣のトリガーとなるのが光と音。治療は光と音を遮断した世界で行われなければならないのだ。しかし刺激を完全に絶つのは難しく、少女は隣室で食器が落ちる音を耳にしただけでも『エクソシスト』で悪魔が憑依したような症状を見せる。『震える舌』がトラウマになった人の記憶に刻まれたのもこの悪魔憑き状態だろう。破傷風がここまで恐ろしい病気だと知らなかったらなおさらだ。
 暗い病室で娘に付き添う両親が徐々に心理的極限状況に追い込まれ、憔悴しきっていく様子もまたリアル。渡瀬恒彦はこの年のキネマ旬報主演男優賞を、十朱幸代はブルーリボン主演女優賞を受賞している。だが、本当に主演賞に値するのは少女役の若命真裕子で、その迫真性は演技を超えている。

野村芳太郎監督『震える舌』

 また、撮影現場で苦労を余儀なくされたのは『砂の器』や『事件』などで知られる名キャメラマンの川又昂。この映画のカギを握る病室のシーンは写るか写らない限度ギリギリの光量で撮影しなければならなかった。しかし、この暗いシーンが続くことで、途中で挿入される夢や回想シーンの前衛的な映像も生きてくる。結果として恐怖映画やヒューマンドラマの枠には収まらない不思議な味わいの作品になった。

 恐怖と現実の関係が普通の映画とは違うと感じるのはぼくだけだろうか。

 突発的な暴力や凄惨な描写とともに恐怖が自分の現実に侵入してくるのがよくホラー映画である。テーマパークのアトラクションに近く、喉元過ぎれば忘れるたぐいの恐怖だ。一方、『震える舌』は自分と地続きの現実が忌まわしい世界に徐々に引きずり込まれていくような恐怖だ。ここから戻るのは案外難しい。恐怖が尾を引き、トラウマになる人が多いのも当然なのかなと思う。

文 米谷紳之介


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