連載コラム「銀幕を舞うコトバたち(30)」
泳がなかったら、沈んでしまうじゃないか。
カテゴリ:コラム "銀幕を舞うコトバたち"
渥美清はアウトローや異端の人が似合う。初主演作の『あいつばかりが何故もてる』では元スリだし、出世作となった『拝啓天皇陛下様』では軍隊くらい生きやすい場所はないと信じる無学で野卑な男である。ご存じ『男はつらいよ』のフーテンの寅はテキヤ。そんな渥美清の個性を熟知している野村芳太郎監督の『白昼堂々』でもやはり万引き集団のリーダーだ。 同じ喜劇役者として渥美清が目標とした森繁久彌とはそのあたりが違う。森繁久彌は『夫婦善哉』や『猫と庄造と二人のをんな』で見せたダメ男ぶりも素晴らしく、その一方で『社長』シリーズのようなスマートな役もサラリとこなしてしまう。渥美清は野暮だけど善良、そして少し世間からズレた役どころを演じたときに一番輝きを放つ。 余談だが、渥美清も森繁久彌も血液型はBである。この2人だけでなく、なぜかシリーズ映画を持っている俳優にはB型が多い。高倉健(『網走番外地』、『昭和残侠伝』シリーズ)、西田敏行(『釣りバカ日誌』シリーズ)、渡哲也(『無頼』シリーズ)、仲代達矢(『人間の條件』5部作)とB型俳優ばかりだ。 『白昼堂々』はテレビ版『男はつらいよ』がスタートしたのとほぼ同じ1968年10月に公開された。ドラマはいきなりスリの場面で始まり、その騒動の渦中にコント55号がいるのが懐かしい。1968年といえば、コント55号の絶頂期だ。スリを働くのは生田悦子。彼女は九州の筑豊に実在したという泥棒集落の一員で、炭鉱が閉鎖したため、仲間たちとスリで生計を立てているのだ。電車の窓からボタ山を眺めながら彼女が語る言葉は、炭鉱町の栄枯盛衰の解説にもなっている。
「ボタ山は昔は生きちょった。上から上からボタが積まれてどんどん大きうなっていきよった。それが山がつぶれてからはボタ山も部落もみんな荒れ放題たい。住んどる人間までまるでスクラップたい」
今もボタ山に近接する炭鉱住宅に残って暮らしている仲間は13世帯40人。彼らは小さなスリの仕事だけでは生活苦から抜け出せず、万引き集団を形成して全国の百貨店を荒らしまわる。ついにはデパートの売上金強奪にまで乗り出すのだから、野村芳太郎版『オーシャンズ11』の趣さえする。しかも、錆びついた炭鉱の景色と犯罪の取り合わせには社会派映画の味わいもある。 とはいえ喜劇である。犯行の準備は周到とは言えず、まぬけな失敗も多い。何しろ犯罪集団のボス格が渥美清で、その仲間に田中邦衛、佐藤蛾次郎、江幡高志、桜京美ら、憎めない顔が並ぶ。渥美と契約結婚をする倍賞千恵子が、着物の裾をまくって啖呵を切る姿は『男はつらいよ』のさくらを見慣れた目には新鮮だ。渥美の昔のスリ仲間には藤岡琢也。ここに彼ら一味を追う人情刑事の有島一郎、スリ専門の胡散臭い弁護士のフランキー堺と、名うての喜劇役者が絡んでくる。彼らの演技のほどよい体温がこの映画の魅力だろう。 とりわけ温もりを感じさせるのは、今はデパートの万引き対策の警備係となっている藤岡琢也と渥美清の関係で、2人の友情が映画全体を貫く芯になっている。しかも藤岡琢也は主演の渥美清を脇に押しやるほどの存在感を見せ、個人的には『うる星やつら2/ビューティフル・ドリーマー』の天邪鬼に匹敵する当たり役だと思う。 渥美たちの犯行への協力を躊躇する藤岡の背中を押すことになるのは、デパート屋上で耳にする祖父と孫の会話である。
「魚はなぜ泳がなければいけないの」 「いけなかないけど、泳がなかったら沈んでしまうじゃないか」
このセリフ、役者の人生を暗示しているようにも聞こえる。昭和5年生まれの藤岡琢也の遺作はTVドラマ『渡る世間は鬼ばかり』。昭和3年生まれの渥美清の遺作はもちろん、『男はつらいよ』。ともに体力の続く限り、最後までフィクションの世界を泳ぎ続けた。なぜ演じるかと問われたら、「演じていなかったら、沈んでしまうじゃないか」、そんな答えが返ってきそうな根っからの役者である。
文 米谷紳之介