連載コラム「銀幕を舞うコトバたち(29)」
恋人なら簡単よ。腕づくだって、取り返せばいいんですもん。
カテゴリ:コラム "銀幕を舞うコトバたち"
日本映画の黄金期と言われる1950年代。それは日本人がスター見たさに映画館へ足を運んだ時代でもあった。銀幕に登場する女優たちは百花繚乱という言葉がピッタリで、いずれ劣らぬ美貌と演技力に目移りしそうだ。ぼく自身、その頃の映画を今観る楽しみの一つは間違いなく女優を鑑賞することにある。映画を監督で選ぶか、役者で選ぶかと二者択一を迫られたら、悩むところではあるけれど、役者のほうが優先順位は上かもしれない。大好きな女優が出ていたら、それだけで映画を観たくなる。淡島千景もそんな一人。
淡島千景といえば、代表作は森繁久彌と共演した『夫婦善哉』。ぐうたらで甲斐性のない男に愛想をつかしつつ、母性にも似た愛情を捨てられない芸者を演じ、もう抜群にうまい。大人の色香をふりまきながら、細やかな男女の情愛を絶妙な演技で表現した。
しかし一方で、彼女には明るく、颯爽としたお嬢様役を軽々とこなしてしまう天性のコメディエンヌの才能がある。『夫婦善哉』と同じ1955年公開の『続おとこ大学 新婚教室』はそんな彼女の溌剌ぶりが楽しい作品。ピアノを弾き、フォークダンスや社交ダンスに興じ、厨房に入れば、大げさな身振りで慣れない料理に悪戦苦闘する。少年たちと野球をする姿がまたいい。バットを振り、塁間を駆け、三塁に滑り込むのを見ると、ほんとに運動神経がいいのだなと思う。さすが元宝塚のトップ女優。しかも運動神経や勘がいいだけでなく、動きが滑らかで、優雅。当時を知る映画評論家やファンが、淡島千景を戦後民主主義の空気を匂わせる女優として語るのもわかる気がする。経済白書に「もはや戦後ではない」という有名な一句が記されるのは翌年のことである。
この映画で淡島が演じるのはアメリカ帰りの令嬢・雨宮恵美子。大学に勤務する優秀な研究医・桂木昌平との結婚が決まっている。昌平役には『君の名は』で人気沸騰した佐田啓二。知的な二枚目なのに気取った雰囲気はまるでなく、人柄の良さが映像に滲み出るようなスターである。小津安二郎が好んで口にした「品性」とはこの人のための言葉かと思うほどだ。美しい令嬢とハンサムな医者。仲睦まじい理想のカップルの前途は多難である。序盤の恵美子のセリフはそれを暗示している。
「恋人なら簡単よ。腕づくだって、取り返せばいいんですもん」
恵美子にとって恋人以上に手強い相手とは昌平のおばあちゃんのことだ。両親を早くに亡くし、彼女の手一つで育てられた昌平は典型的なおばあちゃん子。昌平は妻とおばあちゃんの板ばさみとなって右往左往する。視点を変えれば、妻とおばあちゃんによる夫の奪い合いだ。だいたい生活様式も経済観念も異なる恵美子とおばあちゃんの同居がうまくいくはずはなく、いつの時代も変わらぬ家族の不協和音が響き始める。おばあちゃん役の浦辺粂子がいい。ただ頑固なのではなく、世代ギャップの中で孤独を募らせる老人を好演している。とりわけ彼女が昌平を心配して渋谷を歩き回るくだりは印象的で、野村芳太郎らしいドキュメンタリータッチが光る。
恵美子とおばあちゃんの関係を心配した周囲の人々は一計を案じ、芝居を打つ。それは小津の『彼岸花』で山本富士子が使った“トリック”を想起させなくもない。思えば、浪花千栄子が関西から娘を連れてきて小さな嵐を巻き起こすのも『彼岸花』と同じ。事情は違うが、嫁が実家に帰ってしまうのは『早春』。しかも嫁役は同じ淡島千景(その母に浦辺粂子!)。他にも『晩春』や『秋刀魚の味』など小津映画との類似点はいくつもある。小津映画の常連、高橋とよも出ている。撮影は小津映画には欠かせない厚田雄春。
ところで、高齢化社会の今、一番印象的なセリフはこれかもしれない。
「日本人の平均年齢いくつだっけ?……60だな。それ過ぎたヤツは欲張りだよ」
終戦から10年。高度成長が始まったばかりの日本はまだそんな時代だった。昌平の先輩(大坂志郎)にこう言われるおばあちゃんは60代後半の設定だろうか。演じる浦辺粂子は当時43歳だ。高橋とよは42歳。浪花千栄子は38歳。それぞれ見事な老け役ぶりで、野村芳太郎は彼女たちの魅力を巧みに引き出している。黄金期の日本映画で輝いていたのは美しいスター女優だけではない。
文 米谷紳之介