連載コラム「銀幕を舞うコトバたち(36)」
私はどうしても、もう一度、北の海、能登の断崖に立ってみたかった。
カテゴリ:コラム "銀幕を舞うコトバたち"
テレビの2時間サスペンスのよく知られる約束事に、ドラマ終盤の断崖シーンがある。ここに主な登場人物が集まったうえで犯人が自白をしたり、主人公が鮮やかな推理で真犯人が解き明かしていくわけだが、そのルーツともいうべき映画が1961年に公開された『ゼロの焦点』だ。2時間サスペンスが始まる20年近く前のことになる。
物語は上野駅から始まる。結婚して1週間の妻(久我美子)は金沢へ旅立つ夫(南原宏治)をホームで見送ると、以後、夫とはまったく連絡がとれなくなってしまう。広告会社の金沢出張所長だった夫は結婚を機に東京本社勤務が決まり、後任への仕事の引継ぎを行うために金沢に行ったはずだったのだ。
会社は状況を調査するために同僚を金沢へ派遣し、妻もこれに同行する。ところが、夫の金沢での生活は謎に包まれていて、なかなか手がかりがつかめない。仕事だけでなくプライベートでも親しかったらしい取引先企業の社長(加藤嘉)も夫人(高千穂ひづる)も、夫が失踪した理由についてはまるで見当がつかないと言う。夫はいったい金沢で何をしていたのか……。
原作はもちろん松本清張の代表作。監督・野村芳太郎と撮影・川又昂の名コンビに加え、脚本が橋本忍と山田洋次、撮影が川又昂、音楽が芥川也寸志とくれば、『砂の器』とまったく同じ陣容である。『砂の器』が日本の土着の風景を大きな見せ場としていたように、いや、それ以上に『ゼロの焦点』は川又昂がモノクロ映像でとらえた能登の荒々しい海や陰鬱な雪景色が映画のトーンを支配している。それは「旅情」を誘う眉目秀麗な景色などではなく、人間のどす黒く、冷ややかな感情と響き合う荒涼とした風景だ。
「初めて見た能登半島。その何か悲しすぎるほど寂しい風景は、私にはあまりにも印象的だった」
失踪した夫を追ってこの地を訪れた妻の独白も不安に満ちている。
しだいに明らかになっていくのは夫の二重生活だ。さらに貧しい戦後の時代を死にもの狂いで生き抜かなければならなかった女たちの悲しい過去が浮かび上がってくる。妻役の久我美子、事件の鍵を握る高千穂ひづる、有馬稲子。美人女優3人が織り成すミステリーという楽しみ方もできるが、フィルム・ノワールの匂いも嗅ぎ取れる。
いうまでもなくフィルム・ノワールとは1940年代から1950年代にかけてそのスタイルを成熟させた犯罪映画のことである。『マルタの鷹』や『三つ数えろ』あたりをプロトタイプとし、主人公(多くは探偵)は不可解な殺人事件に巻き込まれていくのだが、その特徴の一つに謎めいた女の存在を挙げられる。本作でいえば、探偵役が久我美子なら、謎の女は夫と親しかった高千穂ひづる、有馬稲子といえるだろうか。
久我美子の無駄な感傷を排したクールな表情は並の探偵や刑事以上に強い意志を感じさせるし、これでサングラスをして煙草を吸ってくれたらと思う。暗がりや闇の効果を活かしているところや、主人公のモノローグで構成されている点もノワール風である。
「心の底に何か割り切れない気がかりなものがある。私はどうしても、もう一度、北の海、能登の断崖に立ってみたかった」
一度は警察によって解決したと思われた夫の失踪事件に対し、納得がいかない久我美子は1年後、再び能登を訪れる。そして、彼女が真犯人を前に事件の謎解きをする場所が「ヤセの断崖」。半世紀が以上経ち、2時間サスペンスをすっかり見慣れた目にも、本作のクライマックスを切り立った断崖絶壁で迎える効果は絶大だ。崖に立つ女2人と男1人の構図が絵画的で美しい。
本家のフィルム・ノワールをウィスキーとすれば、こちらは辛口の地酒といったところだろうか。香り高く舌に滑らかだが、強い刺激もある。謎解きに頭を巡らし、女たちのドラマを味わっていくうち、まだ戦争が暗い影を落としていた時代の空気を実感させられる。社会派ミステリーの器にフィルム・ノワールが盛られたその味はほろ苦い。
文 米谷紳之介
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