連載コラム「銀幕を舞うコトバたち(26)」
この女は数時間の命を燃やしたに過ぎなかった
カテゴリ:コラム "銀幕を舞うコトバたち"
名匠、巨匠という形容も悪くないけれど、野村芳太郎には「職人監督」という言葉が一番しっくりくる。もちろん賛辞である。サスペンスものからコメディ、メロドラマ、時代劇と、さまざまなジャンルの作品を手がけ、いずれも観客を飽きさせない高い水準の娯楽作に仕立て上げた。しかも興行成績での貢献度は高く、今の日本映画界は野村芳太郎のような職人監督の不在を嘆くべきじゃないかと、個人的には思うほどだ。 ハリウッドで匹敵するのは誰だろう。ジョン・バダムの名前が浮かんだのは、『サタデー・ナイト・フィーバー』を皮切りに、SF、コメディ、アクションと多ジャンルでヒット作を手がけたバダムにも『張り込み』という映画があるからかもしれない。野村の『張込み』とは送り仮名が違うだけで、どちらも刑事2人が犯人の元恋人の家を監視し、ひたすら犯人が現れるのを待つ話である。アメリカの刑事映画らしく活劇と笑いで目を奪う『張り込み』に対し、『張込み』はセミドキュメンタリー・タッチのリアルな描写で観客をぐいぐい引っ張っていく。登場人物への感情移入を排し、冷たく突き放して見つめる演出は凡百の映画監督にはない野村芳太郎の魅力であり、バダムに限らずハリウッドの娯楽作にありがちな甘さはない。極上の苦みが味わえる傑作が『張込み』なのだ。
若い刑事(大木実)とベテラン刑事(宮口精二)の2人が横浜駅から夜行列車に飛び乗り、東海道線、山陽本線を下って佐賀市へと向かう導入部がまず素晴らしい。まだ新幹線はなく、丸一日かけての旅。これが約12分あり、佐賀市に到着して初めて「張込み」のタイトル文字が現れる。真夏の列車内の窮屈さ、蒸し暑さはいやが上にも伝わってくる。こうした息苦しさは商人宿の2階の狭い部屋に閉じこもり、張り込みを始めてからも変わらない。 2人の刑事は東京で起きた強盗殺人事件の犯人が昔の恋人のところに会いにくると踏んでここまできた。共犯者の「女に会いたがっていた」という証言に賭けたのだ。女は年の離れた銀行員の後妻となり、3人の子どもを育てている。出勤する夫や登校する子どもたちを見送り、掃除をし、ミシンを踏み、庭に洗濯物を干す。出かけるのはたまに買い物に行くときくらい。
若い刑事が想像していたより女は老けているとつぶやき、ベテラン刑事が「平凡な人間が一番多いよ、世の中には」と語るように、生活ぶりも服も地味で、かつての恋人が訪ねてきそうな雰囲気は感じられない。彼らはその様子を障子の隙間から覗く。ヒッチコックの『裏窓』がカメラの望遠レンズ越しに事件をとらえたのに対し、『張込み』はありふれた庶民の家の中を顕微鏡で凝視しているかのようだ。そこには松竹大船調のホームドラマが息づき、小さな、しかし印象的な出来事が積み重なっていく。 女が珍しく遠出し、日傘をさして田畑の中の一本道を行く絵画のような光景。激しい雨の中、下駄の鼻緒が切れてしまった足もとのエロチシズム。若い刑事が東京にいる恋人に重ね合わせるほど、女はどんどん美しく見えてくる。彼女が犯人の男と会うために出かける終盤は一気にサスペンスドラマの様相を呈し、鮮やかな空撮も用意されている。
「この女は数時間の命を燃やしたに過ぎなかった」
事件が幕を閉じたあとの若い刑事のモノローグである。女が男との逢瀬で見せた姿は当初の年より老けて見える感じとはすっかり違う。わずか数時間とはいえ退屈な日常から解放された輝きにあふれ、それが儚く、哀しい。ヒロインに扮した高峰秀子はこのとき、34歳。女の倦怠と情熱、諦念と覚悟を演じ分けて抜群にうまい。若い刑事役の大木実にとっては出世作であり、野村芳太郎にとってはこれが松本清張原作の映画化1本目。ここから『ゼロの焦点』、『影の車』など数々の松本清張・野村芳太郎コンビの名作が生まれていくのだから、日本映画の歴史を変えた作品だと評価しても少しも大げさでないと思う。
文 米谷紳之介
HDリマスター版「張込み」をご自宅で! ブルーレイ&DVD絶賛販売中! 【あの頃映画 the BEST 松竹ブルーレイ・コレクション】 張込み(Blu-ray)
▼ご購入はこちらから https://www.shochiku-home-enta.com/c/japanese/japanese-mystery/SHBR0318
<あの頃映画 松竹DVDコレクション>張込み(DVD) ▼ご購入はこちらから https://www.shochiku-home-enta.com/c/japanese/japanese-mystery/DA5774