小津安二郎生誕120年記念「小津めぐり」尾道篇 紹介
カテゴリ:小津めぐり
小津安二郎生誕120年を記念し、2023年4月から2024年3月に渡って小津安二郎ゆかりの各地にて開催されたデジタルスタンプラリー「小津めぐり」。小津安二郎が残した足跡を辿る旅が全国各地にて開催されました。
小津安二郎監督は、1903年12月12日に深川(東京都江東区)で生まれ、少年期を三重県松阪市で過ごし、1923年に松竹へ入社しました。中期の作品は、茅ヶ崎館(神奈川県茅ヶ崎市)で、後期の作品は蓼科高原(長野県茅野市)で脚本を執筆。神奈川県鎌倉市の大船撮影所はもちろんのこと、時には撮影所を飛び出し、広島県尾道市でロケを行った『東京物語』など、数々の名作を生み出しました。生涯を通して様々な場所での生活・映画製作を経験した小津安二郎。日本全国には、いまでも彼の足跡が多く残っています。
デジタルスタンプラリー「小津めぐり」は終了となりましたが、各地域では引き続き小津安二郎監督の顕彰活動が行われています。各地域の皆様が選ばれた小津安二郎ゆかりのスポットを訪れ、監督の残した足跡を探してみてはいかがでしょうか。
【小津めぐり】「東京物語の旅」in 尾道(2023年6月14日~2024年3月31日開催)
※デジタルスタンプラリーは終了しています。
日本映画史にその名を残す映画「東京物語」は、小津監督の不朽の名作です。「東京物語」のなかで尾道は古き良き伝統が息づく日本として美しく描かれています。
国内外問わず評価が高く、1958年にロンドン国際映画祭でサザーランド杯を受賞しています。また2022年に英国映画協会発行「サイト・アンド・サウンド」誌で発表された「世界の映画監督が選ぶベスト映画」で第4位に選ばれるなど、今なおその魅力は色褪せません。「東京物語」のシーンを求めて、ロケ地・尾道を巡ってみてはいかがでしょうか。
①おのみち映画資料館
【アクセス】尾道市久保1-14-10
おのみち映画資料館は、「映画のまち 尾道」の個性をさらに発信していくため、2000年4月22日に開館しました。建物は明治時代に軒を連ねた蔵のうち、現存するものを改修しています。その外観はまさに港町・尾道を物語るものです。1階には小津安二郎監督や「東京物語」に関わる資料を常設展示しています。そのほかにも尾道で行われたロケのスチール写真や1950~1970年代の映画ポスター、撮影機材の展示など、尾道ゆかりの資料を中心に展示しています。また館内のミニシアターでは、「東京物語」関連の映像や予告編を鑑賞することもできます。
「東京物語」冒頭で白壁の蔵を背景に子どもたちが登校していくカットは、おのみち映画資料館付近の道で撮影されました。おのみち映画資料館はロケ地とは少し場所が異なるものの、当時の面影を留めており、撮影当時の雰囲気を楽しむことができます。
『東京物語』(1953年)
監督:小津安二郎
脚本:野田高梧 小津安二郎
②中央桟橋
【アクセス】尾道市土堂2-10-3
尾道商工会議所の南に浮かぶ中央桟橋は、かつては瀬戸内の各港を結ぶ汽船の寄港地として賑わっていました。特徴的なアーチ型屋根のむこうに、穏やかな尾道水道と向島を望むことができます。現在はヨットやクルーザーなどを係留するためのマリーナ「尾道中央ビジター桟橋」が設置され、海の玄関口として、尾道を訪れる旅人を変わらず迎え続けています。※中央桟橋への立ち入りはできません。
作中では妻・とみ(東山千榮子)が亡くなったことが分かる直前のシーンで、尾道の朝の情景のひとつとしてこの中央桟橋が映し出されます。ポンポン蒸気船の音が誰もいない尾道のまちに響き、平山家の行く末を予感させるような寂しさを感じさせます。
③住吉神社の石灯籠
【アクセス】尾道市土堂2-10-12
1740年に尾道市の町奉行となった平山角左衛門は、翌年の1741年に住吉浜を築造し、尾道発展の基礎を築きました。その際に浄土寺境内にあった住吉神社を住吉浜に移し、港の守護神としたことがこの神社の始まりです。
「東京物語」は今から70年前、7月初旬朝の尾道の風景から始まります。この最初のシーンでは、ポンポン蒸気船の音が聞こえるなか、住吉神社の石灯籠の向こうに尾道水道と対岸の向島が見えます。夫・周吉(笠智衆)と妻・とみ(東山千榮子)の暮らす尾道を印象付けるカットです。またこの場所は、とみが亡くなったことが分かる直前のシーンでもう一度映し出されます。
④竹村家
【アクセス】尾道市久保3-14-1
竹村家は大正9年に建てられた木造の旅館です。南側は尾道水道に面しているという特徴的な立地のため、客室の窓のすぐ外が海に続いています。重厚な外観は地域のランドマーク的存在で、2004年には登録有形文化財となっているほか、日本遺産「尾道水道が紡いだ中世からの箱庭的都市」の構成文化財でもあります。
「東京物語」作中で妻・とみ(東山千榮子)の葬儀後に会食するシーンの前後に挟まれる、尾道水道を挟んで向島を臨むカットは、当時の竹村家の2階の周り廊下から撮影されたものです。
会食シーン自体はセットで撮影されているため実際の竹村家ではありませんが、夫・周吉(笠智衆)が東京で知人と酒を飲みながら尾道の思い出話をするシーンで「ああ、竹村家でか」という台詞が登場しています。
竹村家は、小津監督たちメインスタッフがロケを行った際の宿舎としても使われました。尾道でのロケハンは1953年6月24日~7月1日。小津監督は坂の多い尾道を歩き回り、浄土寺や福善寺といったロケ地を探し出しました。さらに宿に付近の住民を集めて、方言をテープレコーダーに吹き込んでもらったといいます。このテープをもとに、俳優たちの方言指導が行われました。
実際のロケは1953年8月12日~19日に行われました。尾道では巨匠映画監督とスター俳優が訪れるという話をファンが聞きつけ、撮影隊が到着する時間には駅の入場券が3,000枚売れたといいます。また竹村家に宿泊していると、ファンがボートで尾道水道へ漕ぎ出し、客室近くに集まったそうです。
⑤浄土寺
【アクセス】尾道市東久保町20-28
浄土寺は616年に聖徳太子によって開かれたと伝えられる、真言宗泉涌寺派の大本山です。本堂と多宝塔は国宝、国指定重要文化財も阿弥陀堂や山門など複数有しています。また境内一帯も国指定文化財となっている、まさに尾道を代表する寺院のひとつです。
浄土寺では、妻・とみ(東山千榮子)の死後、紀子(原節子)が夫・周吉(笠智衆)を探しに来るシーンが撮影されました。「東京物語」のなかでも屈指の名場面と言えるこのシーンでは、紀子から三男・敬三(大坂志郎)が到着したことを聞いた周吉の、呟くような「ああ、きれいな夜明けだった……今日も暑うなるぞ。」という台詞が心に残ります。
周吉の傍に見える印象的な2基の石灯籠は、オリジナルポスターにも描かれています。この石灯籠は撮影時は今の鐘撞堂のあたりに建っていましたが、現在は鐘撞堂の西にある建物の前へ移動しています。
台本では周吉は「街と海を見下ろす崖上の空地」に立っているとなっていますが、実際は浄土寺の境内の一角を使い撮影されました。ロケ会場となった浄土寺では、映画の撮影風景を一目見ようと大勢の人が集まり、カメラに映らない多宝塔の周りに人だかりができている写真も残されています。
尾道で俳優の演技を伴うロケが行われた場所は意外にも少なく、撮影があったのは浄土寺の境内と、西郷寺(尾道市東久保町8-40)近くの路地を三女・京子(香川京子)が通勤と兄姉の出迎えのため歩いていくシーンを撮影した2か所でした。
⑥福善寺
【アクセス】尾道市長江1-9-1
福善寺は1573年に開かれたという浄土真宗の寺院です。墓地には南北朝時代ごろに建造された二基の石造五輪塔があり、1961年に市重要文化財に指定されているほか、山門に施された龍の彫刻で有名です。
福善寺は妻・とみ(東山千榮子)の葬儀のシーンに挟まれる寺の外観や墓地のカット撮影に使われました。葬儀の室内シーンはセットで行われているため福善寺で実際の撮影はされていませんが、葬儀を中座した三男・敬三(大坂志郎)の目に映った墓地の眺めは、今も名残を残しています。
小津安二郎公式WEBサイト:https://www.cinemaclassics.jp/ozu/