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小津安二郎生誕120年 連載コラム「わたしのOZU」第9回
「デジタル復元版の衝撃」―『父ありき』 日本大学芸術学部教授 古賀太

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小津安二郎生誕120年を記念した連載コラム「わたしのOZU」。
各界でご活躍されている著名人の方々にお好きな小津作品を1本選んでいただき、お好みのテーマを切り口とした作品紹介コメントをいただく企画です。

第9回は、日本大学芸術学部教授 古賀太さんの作品紹介です。

日本大学芸術学部教授 古賀太

国際交流基金、朝日新聞社勤務を経て、2009年より日本大学芸術学部教授。朝日新聞社文化事業部時代に、「ポンピドー・コレクション展」などの美術展、「ジャン・ルノワール、映画のすべて」などの映画祭、「小津安二郎生誕百年国際シンポジウム」(松竹と共催)などの国際シンポジウムを手がけた。著書に『美術展の不都合な真実』(新潮社)、『永遠の映画大国 イタリア名画120年史』(集英社)、訳書に『魔術師メリエス』(フィルムアート社)など。


「デジタル復元版の衝撃」―『父ありき』

 最初に見た小津映画は、大学1年生の時の『晩春』。説教臭くて嫌だなと思った。3年生の時に出た蓮實重彦著『監督 小津安二郎』を読んで小津の映画を見たら、あら不思議。前衛的に見えた。蓮實さんとはそれから20年後に「小津安二郎生誕百年記念国際シンポジウム」を一緒に企画することに。さらに20年たって彼の「呪縛」もとけた今、好きな映画は『一人息子』と『父ありき』だ。

 この2本では少年が大人になり、大人が老人になる。当方も大学生が還暦を超し、その時間の経過が身に沁みる。特に『父ありき』は1942年という製作年を考えると、こんな私的な映画がよく作られたと思っていた。調べるとその年、映画を統括していた情報局は「国民映画賞」を作った。主席の総裁賞は該当なしで次の情報局賞にこの映画と『将軍と参謀と兵』(田口哲監督)が選ばれた。その下の佳作が溝口健二の『元禄忠臣蔵』。私はどうして『父ありき』が「国民映画」なのか不思議だった。

 ところが今回、ヴェネツィア国際映画祭で上映されたデジタル修復版を見て、初めて納得した。これは小津唯一のプロパガンダ映画だったのだ。小津は戦争を直接描いた映画は作らなかった。吉田喜重監督が書いているように「小津の映画に兵隊は出てこない」。しかし最近の與那覇潤さんなどの研究書を読むと、戦後のすべての作品に戦争の影が見え隠れしている。

 さてこれまで我々が見てきたのは87分版。敗戦後に映画館が再開しても上映する映画がないため、戦前の映画でも戦争色のないものを上映した。『父ありき』はもともと94分だったが、GHQの好まないシーンをカットして87分版を上映した。これがDVDにもなった。

 1990年代後半にロシアの国立映画アーカイブ、ゴスフィルモフォンドから何本もの日本映画が出てきた。旧満州からの接収品で数本は日本で失われたものだった。出てきた『父ありき』は72分だったが、戦後にカットした部分の多くが含まれていた。今回はそのロシア版と戦後版をデジタル技術で組み合わせて92分となった。
たった5分増えただけだが、これが実に大きい。一番の違いは、ラストに佐野周二が笠智衆の遺骨を持って結婚したばかりの水戸光子と秋田行きの列車に乗る場面に、「海ゆかば」がたっぷり流れること。ここに「終」が出てくるから全然印象が変わってくる。さらに戦後版に比べて場面自体が長いので、曲の印象は強まる。戦後版ではもちろんこの曲は流れない。

 さらに少し前の元教師の笠智衆と坂本武のために佐分利信ほかの卒業生10人ほどが開く同窓会の席で、笠が朗々と歌う詩吟の場面がある。松竹によれば日露戦争の軍神、廣瀬武夫中佐の「生気の歌」で、赤穂浪士の例などを挙げながら尊王と忠誠を説く。この2分強が丸々カットされている。

 そしてその直前の台詞で同級生のうち3名が従軍中であり武運長久を祈るという報告や、坂本武が笠の長男、佐野周二の甲種合格を祝う台詞がない。その前の笠と佐野の自宅での会話でも徴兵検査をめぐる言葉が省かれている。つまり終盤10分ほどのうち、徴兵検査や従軍や甲種合格の台詞がなく、愛国的な詩吟がなく、そして「海ゆかば」の歌がない。

 小津は終盤10分ほどで、父と息子の私的な物語を一挙に愛国映画に仕立てたのである。彼は終盤の「海ゆかば」の歌や詩吟といくつかの台詞だけで情報局を乗せられると確信していたのではないか。長年87分版を見てきた我々だからこそ、今回の違いの効果は手に取るようにわかる。『父ありき』の今回の復元は、これまでの日本映画の復元の中で最も特筆すべき画期的なものとなるに違いない。

古賀 太


『父ありき』
監督:小津安二郎
脚本:池田忠雄、柳井隆雄、小津安二郎
出演:笠智衆、佐野周二、津田晴彦、佐分利信、坂本武、水戸光子、大塚正義、日守新一、西村青児、谷麗光、河原侃二
製作:1942年
作品詳細:https://www.cinemaclassics.jp/ozu/movie/2884/



第80回ヴェネチア国際映画祭『父ありき 4Kデジタル修復版』 ワールドプレミア上映レポート!

第80回ヴェネチア国際映画祭クラシック部門にて、『父ありき 4Kデジタル修復版』ワールドプレミア上映が開催。検閲で削られた部分を最大限復元し、オリジナル版に限りなく近くなった『父ありき 4Kデジタル修復版』は世界中から注目を集め、ワールドプレミア上映には多数の映画関係者が来場。上映前には濱口竜介監督の登壇スピーチがあり、熱気に溢れた上映となりました!

詳細はこちらhttps://www.cinemaclassics.jp/news/3500/


小津安二郎公式WEBサイトhttps://www.cinemaclassics.jp/ozu/