連載コラム「銀幕を舞うコトバたち(45)」
あんたってさ、ホントに嫌な目つきしてるわけ。いつでも人をモルモットみたいに見てるのね。
カテゴリ:コラム "銀幕を舞うコトバたち"
女ふたりの面構えが頼もしい。岩下志麻と桃井かおりだ。
日本映画の黄金時代末期から松竹撮影所で育ち、小津安二郎や小林正樹といった数々の名監督の下で大輪の花を咲かせていったスターが岩下志麻なら、桃井かおりはむしろ撮影所の外からやってきた女優である。人を食ったふてぶてしさの奥にナイーブさを秘めた彼女の演技スタイルは従来の日本映画にはなかったものだ。けだるいエロキューションも独特で、その個性は1970年代のどこか投げやりな気分にピタリと重なった。
そんなふたりの芝居が鮮やかに噛み合ったのが本作である。普通、人気女優の競演ともなると、過剰な演技の応酬に鼻白むことも少なくないのだが、ふたりは押し技だけでなく、引き技も巧みに交えながら緊迫感をキープしていく。こういう女優映画、ありそうでなかなかない。
原作・松本清張、監督・野村芳太郎の名コンビによる法廷ミステリーである。
富山県の港から車が転落し、3億円の保険金がかけられていた夫は死亡するが、同乗していた妻の鬼塚球磨子、通称「鬼クマ」(桃井かおり)は無傷で救出される。誰もが保険金目当ての殺人と考え、地元新聞の記者は状況証拠をもとに鬼クマ有罪説のキャンペーンを大々的に張る。
弁護人が次々に辞退する中、窮地の鬼クマにつくのが国選弁護人の佐原律子(岩下志麻)だ。ふたりはまったくソリが合わず、反発し合いながらも法廷で検事と対する。事故は偶発的なものだったのか。計画されたものだったのか。やがて意外な事実が明らかにされ、ミステリー映画ならではのドンデン返しも用意されている。松本清張作品らしいメッセージもある。たとえば、最初から鬼クマの有罪を決めてかかる新聞記者(柄本明)に、律子が冷然と反論する。
「鬼塚球磨子は有罪とも無罪とも決まったわけではありません。あなたのおっしゃる有罪とは、マスコミが彼女に下した判決ですか?」
現在なら「マスコミとネットが下した判決」となるはずで、松本清張の社会批評の目は今という時代も射抜いている。
法廷サスペンスに悪女ドラマが撚り合された作品なのだが、結果として後者の面白さが際立つことになったのは野村監督の目論見どおりだろう。
たとえば、映画は鬼クマを演じた桃井かおりの顔で始まり、桃井の顔で終わる。冒頭のショットは夏の空を見上げ、ハンカチで汗をぬぐう彼女のアップだ。中年の夫をひざまずかせ、靴に入った小石を取らせている。ラストも富山を去っていく列車の中でタバコをくゆらせ、不敵な笑みを浮かべた瞬間のストップモーションで幕を閉じるのだ。
彼女が弁護士の岩下志麻と拘置所で初めて顔を合わせる場面も、互いに自己主張の火花を散らし、スリリングである。
「嫌いだなぁ、わたし、あんたの顔」
高圧的な目で人を見下す態度の岩下に、思わず桃井が吐く言葉だ。岩下も「死刑になりたけりゃ、好きにすれば」と、桃井に負けず劣らず嫌な女の匂いをぷんぷんさせる。
裁判が終わっても、ふたりの対決は終わらない。むしろここからが本番である。桃井が勤めるクラブで祝杯をあげるうち、すぐに憎しみをぶつけ合い、互いに悪態や毒舌で切り返す。
「あんたってさ、ホントに嫌な目つきしてるわけ。いつでも人をモルモットみたいに見てるのね」
「私ね、あんたみたいなエゴイストで、自分に甘ったれている人間って大嫌いなの」
桃井がソファにふんぞり返った岩下にワインを垂らして白いスーツを赤く染めると、岩下は桃井の顔面に勢いよくワインをぶっかける。映画史に残る名場面だ。両者の自惚れや高慢が痛快で、笑いさえこみ上げてくる。ともに悪女というより、つわものか猛者。互いの生き方を否定しながらも、実はどこかで認めているから、最後はこんな挨拶で締めくくられる。
「また、しくじったら、弁護してあげるわよ」
「頼むわ」
穏便や調和、あるいは忖度を旨とする言動が幅を利かせるご時世だからなお、自分を曲げない嫌われ者ふたりの景色に清々しさを覚えるのかもしれない。
文 米谷紳之介
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