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新文芸坐「信念の人・木下惠介」トークイベント オフィシャルレポート

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 新文芸坐

 日本を代表する映画監督、木下惠介。2022年12月5日(月)に生誕110年を迎えました。
 新文芸坐ではこれを記念し、特集上映「生誕110年 信念の人・木下惠介」が12月5日(月)から12月16日まで開催されています。

 生涯に残した49本の映画作品のうち、厳選された10本を上映。時代の空気を敏感に捉え、様々な撮影手法に挑戦し、幅広いテーマで映画を撮り続けて日本映画をけん引し続けた、“早すぎた天才”木下惠介の世界に触れる企画です。

 特集の初日であり、木下監督の生誕日にあたる12月5日(月)。生誕110年を契機として、ご自身のご体験と映画的記憶を重ねあわせたコラムを木下惠介公式サイトに全5回の連載コラムとしてご寄稿いただいた映画批評家の秦早穂子さんと、日本経済新聞で映画担当記者として長くご活躍され、著書に「1秒24コマの美/黒澤明・小津安二郎・溝口健二」、また今年10月には「時代劇が前衛だった 牧野省三、衣笠貞之助、 伊藤大輔、伊丹万作、 山中貞雄」を出版された、日本経済新聞の古賀重樹記者によるトークイベントが開催されました。


古賀重樹さん(左) 秦早穂子さん(右)

古賀:秦さんの連載コラムが木下惠介公式WEBサイトで連載されております。当時13歳であった秦さんが最初にご覧になった木下作品が『陸軍』とのことで、新宿の映画館でご覧になったと伺いました。昭和19年の頃の様子はどんな感じだったのか、お聞かせください。

秦:私は昭和6年の満州事変から支那事変を経て太平洋戦争にいたる、つまり戦争の間に生まれた子供でした。だんだん映画が観られなくなる時代に、『陸軍』と『海軍』を観ました。1944年ですから、子供ながらに日本の状況がおかしくなっていく様子がわかりました。食べ物もどんどんなくなっていくし、人々は疎開先に移っていく。そんなときに戦意高揚映画として、海軍が製作したのが『海軍』、陸軍が製作したのが『陸軍』です。駅の通りでは婦人会の人たちが、千人針をみんなにしてもらっている、非常に異様な光景でした。今の人には想像がつかないだろう光景です。私が今回のコラムを引き受けたのは、段々に成長していく子供の視点で、木下監督の作品に触れた実体験を書いてみたいと考えたからです。戦後の映画評論家たちは戦争のことは書けるけれど、戦争が終わってからの苦しみについてはわからないからです。初めは軍国少年・少女だった子供が、大人になるにつれて疑問を抱くが、それが怖くて言い出せない時代を伝えてみたかったのです。

古賀:13歳で付き添いのお手伝いさんと観に行かれたそうですね。子供が映画館に行くのは珍しかったのでしょうか。

秦:地方はともかく都会では、当時は検閲や警察官が多かったので、子供は付き添いの大人と映画を観ることが多かったです。劇場の後ろには検閲係がいて、「まった」をかけるときがある。それは戦後のGHQによる検閲も同じです。検閲の怖さ、不条理さは身にしみて感じました。いまも違う形での検閲のようなことはありますが、当時の検閲とは違いました。

古賀:当時の新宿には大日本婦人会の方が多くいらっしゃったとのことですが、『陸軍』のラストでも割烹着を着た大日本国防婦人会の方が、熱狂的に日の丸を振って出征する兵士を見送るシーンがあります。その群衆をかき分けて息子を追いかける母親の姿が、映画の中で延々と移動撮影で捉えられており、波紋を呼んだシーンとなりました。田中絹代の姿を観て、何を感じましたか?


秦:「母」という存在は、本当は心の底ではそういう気持ちを持っているものだ、と感じました。割烹着姿の大日本国防婦人会の方たちが大勢いて、団体を組むと「お国のため」と強くなれます。日本人は団体を組むと強いが、1人だと弱いのです。団体を組むことの「罠」を考えなければいけないと感じていました。実際の新宿も映画の通りで、本当の母の心は公にはなかなか言えなかった。そういう時代に皆が引きずられそうになる。「母」の本当の心は、子供ながらに不思議に思っていました。彼女たちが言う「お国のために立派に死んでください」という言葉はショックでした。息子にかける言葉ではないと思いますし、木下監督も後になって「そんな親は居ませんよね」と仰っていましたが、実際は反語だと思います。本音では「死んじゃ嫌だ」と思っているはずでしょう。そういった意味で『陸軍』は、戦争中に観た映画の中で一番記憶に残っている作品です

古賀:映画の中で一つも反戦的な言葉は出てきません。ある意味で、セリフだけを取れば完璧な戦意高揚映画ですね。みなが旗を振っている中で、必死になって息子を追いかける田中絹代の姿を映すだけです。

秦:「母親と息子がお互いを想う」ということを映像だけで表現する。その記憶が強かったし、コラムに書きたかったのです。劇場を出た後に見た、千人針をお願いする婦人会の方たち。「これを巻くと弾に当たらない」という言葉に、子供ながらに疑問を抱きました。陸軍省がこの映画を気に入らなかったのは納得できます。この映画を観て「一生懸命に戦う」という気持ちにはなりませんね。この映画をきっかけに、木下監督が映画人生を諦めかけたことを知ったのは、戦後になってからです。

古賀:そのあたりの経緯は、原恵一監督の『はじまりのみち』で描かれていますね。映画を観終わった後の新宿の街が、映画の続きのような世界だったのですね。

秦:映画の続きが現実にあるということ。『勝手にしやがれ』を観たときに、映画の画面からシャンゼリゼにずーっと続いていくようなリアリティを感じました。『陸軍』を観た時にも、息子を追いかける母の気持ちが自分の中に流れていって、映画の世界が現実の新宿の雑踏に紛れていくような感覚がありました。イタリア映画の『自転車泥棒』も同じですね。

古賀:戦後のイタリアのネオレアリズモは、戦争に負けて焼け跡になったイタリアだからこそ発生したリアリズムですね。木下監督の『陸軍』は戦中の作品ですが、そういったリアリズムを持っています。それがゴダールに代表されるヌーヴェルヴァーグに繋がっていくのですね。映画は現実をありのままに撮る力、言葉にできないものを表現する力があります。

秦:『陸軍』という映画は、木下監督が問題になって会社をやめ、色んな映画を作るようになったきっかけの作品です。彼の人生の分かれ道となった作品ではないでしょうか。

トークイベントの様子

古賀:『お嬢さん乾杯』では、没落した華族の娘を原節子が演じています。同じく没落華族を描いた吉村公三郎監督の『安城家の舞踏会』があり、両方とも新藤兼人さんが脚本です。ところが映画のトーンは全く違います。『安城家の舞踏会』は舞台劇を思わせるような荘重なドラマですが、『お嬢さん乾杯』は当時の実景や風俗をたっぷり盛り込んだ恋愛喜劇です。似たような設定で同じ脚本家、主演も同じ原節子さんですが、全く違う映画となっています。『お嬢さん乾杯』における木下惠介の視点は、どこにあるのでしょうか?

秦:『安城家の舞踏会』は晴れ晴れしく、お客さんが満足する映画だったと思います。戦前の日本は華族や士族が存在する、はっきりとした階級社会でした。私達が学校に入るときは、「あなたはどの階級ですか?」と聞かれるのです。『お嬢さん乾杯』はリアルに華族階級の没落を描いています。戦前に存在したあらゆる階級が崩れたのです。自動車で儲けた成金の男が、華族のお嬢さんに本気になっていく。お嬢さんも自分の結婚によって家族を助けようとしますが、それでは嫌だ、と男は思うのです。そこが決め手だと思います。「女の人は良い家に嫁ぐ」という観念が植え付けられていた時代です。金持ちの男に身分の高い女性が嫁ぐというのは、当時ではある意味当然だったのです。しかし、その中に愛情を求めると、話は別になっていくのです。その部分を優しさと悲しさ、そして皮肉で描いていることを、当時はわかりませんでした。むしろ私はあの映画が嫌でした。というのも、階級社会の崩壊に困っていた人が、実際に多くいたからです。昔は身なりを見るだけで階級がわかる時代です。いまは皆さんがファストファッションを身に着けて、スニーカーを履いて、誰が誰だかわからないような社会です。しかし当時は違いました。その階級がひっくり返るということは、多くの人を傷つけ、困らせたと思います。そして、それは与えられた民主主義だったのです。

古賀:皮肉ですよね。

秦:「終戦」といいますが、戦争に負けたのです。「終戦」という言葉に誤魔化されているのですね。

古賀:価値観が変わり、階級のない時代になりました。新しい時代にどう強く生きて行くかということを『安城家の舞踏会』は訴えますが、そんな簡単に上手くいくのか?という皮肉さが『お嬢さん乾杯』にはあります。

秦:バラの花をあげるのも、バレエが好きだというのも、ボクシングを見に行くのも、そう。自動車は憧れだったし、持っている人は滅多にいなかった。自動車が銀座の広漠とした土地をスイスイと走り抜けるなんて、今の人には想像がつかないと思います。自動車は、今でも男の人の武器ですね。

古賀:原節子の家がピアノを手放してしまったので、弾いてあげられない。そこで、佐野周二がピアノをプレゼントしますね。それに対して、原節子の親たちは嫌そうな顔を見せます。あの皮肉さが現実だったのかもしれませんね。

秦:『お嬢さん乾杯』という題名もなかなか皮肉が効いています。『安城家の舞踏会』のほうがわかりやすいですね。

古賀:『安城家の舞踏会』や黒澤明の『わが青春に悔なし』など、原節子が演じた作品は戦後民主主義の教科書的な作品ですが、『お嬢さん乾杯』はそういった前提を認めながらも、果たして本当にうまくいくのか?といった皮肉が感じられます。

秦:『わが青春に悔なし』は理想的な、社会主義的な思想を持って戦っていく男女の物語でしたが、『お嬢さん乾杯』にはそういったものは一切ありません。ごくごく普通だが、実際において華族の人たちが体験した現実を描いています。みんなそうして戦後を生き抜いたのです。

古賀:『カルメン故郷に帰る』は、高峰秀子演じるストリッパーが主人公です。没落華族というモチーフと同様に、夜の女やストリッパーという人たちも、戦後にどっと現れてきた存在です。秦さんはコラムの中で、お父さんに浅草のストリップ小屋に連れられたエピソードを書いてらっしゃいますが、当時のストリップはどういう雰囲気だったのでしょうか?

秦:父は會津八一に英語を学びました。その時の学友が画家の小泉清さんです。小泉清さんは小泉八雲の息子だったのですが、そんな彼が會津八一から英語を学んでいるというのは、なんだか面白いですね。その二人が私を浅草のストリップに連れて行ってくれました。その時に私が観たストリッパーの人は『カルメン故郷に帰る』で描かれるような明るい姿とは違って見えました。復員兵とストリッパーが「会いたかったね。生きててよかったね。」と会話をしている様子は、切実で、芝居とは違うものでした。ストリップといっても猥褻なものを観たという記憶は全くなく、男と女の性の世界の存在と、悲惨さと同時にある厳粛さを感じました。忘れられない体験でした。あとで母に怒られてしまいましたが。ストリップには生きているという切実感がありました。10代の子供ながら、「人間とはこういうことなのか」と感じました。『カルメン故郷に帰る』でみたストリップと、現実に浅草で観たストリップは、強烈に合うのです。

古賀:映画の中では信州しか登場しませんから、躁病的に明るいストリッパーの姿が描かれているのですが、その裏には戦後の浅草で…

秦:『カルメン故郷に帰る』の中には、映画で語られることのない、それぞれの登場人物の気持ちが存在します。それを汲み取るか汲み取らないか。映画というものは、画面に表されているものの奥を観ることが大事です。いまは画面に与えられたものしか理解しようとしない人が増えていますが、もっと想像することが大切です。木下監督の映画が理解できないとしたら、それは作品が複雑だからなのです。

古賀:『二十四の瞳』ですが、秦さんは当時お勤めだった映画会社でレポートを書くときに、「センチメンタルで観るだけでは的外れ」と書かれたそうですね。その心は何だったのでしょうか。

秦:誰だってあの映画を観たら自然に泣きますね。自然に日本の歌が思い出され、ああいう唱歌や軍歌を歌い、戦争に行かないまでも死を意識するようになって、それが終わった時にあの映画を観れば、誰だって泣いてしまうでしょう。しかし、あの戦争はただ泣くだけで済まされるものではないのです。「泣けてよかった」という感想に反発したのは、そういうことです。木下監督にも泣ける映画という意図はあったかと思いますが、「それだけではない」ということも表現したかったのだと思います。実際にお会いした監督には、冷たく女の人を見る厳しい印象を受けました。そんな監督ですから、「単に泣くだけではいけない」と思っていたはずです。『二十四の瞳』に限らず、日本人は映画を感傷的に受け取る傾向がありますが、本来映画は自由に自分の眼で観るものです。皆が泣いたからといって、自分が泣く必要はないのです。周りの意見に流されず、自分の気持ちを記憶することが、人生の広がりに繋がっていくのです。あのときの『二十四の瞳』は皆がやたら泣いていましたから、反発してしまいました。

古賀:『二十四の瞳』は観るたびに発見があります。泣かせる映画は、登場人物がポロポロ涙を流すシーンをクロースアップで撮ったりすることが多いですが、『二十四の瞳』ではそのような技法はありません。思い切ってカメラを引いて、山や海や空を大きくとらえ、人物が豆粒のようになっていたりします。

秦:そうです。風景の中で人間をみる。木下作品の特徴です。でも、家の中でも、監督はこうした視線を投げかけます。大石先生夫婦の家に、生徒が訪ねてくるシーンがありますね。すごく細かいなと思います。画面に夫の姿は見えませんが、大石先生が起きて羽織を着ながら「よく来たわね」という。姿は見えませんが、そこにいた夫がスーッと布団を片付けるのです。そういう細かい所作が、この夫婦にも男と女の生活があるということを、単に裸で抱き合うよりも、もっと深く描いています。細かく節度のある表現の積み重ねが木下監督なのだと思います。ほんの小さなワンカットに大石先生の一生、夫の一生が凝縮されています。そういった描き方のリアリズム。最初に観たときは、私も若かったのでそこまで理解はできませんでしたが、今あらためて観ると、そういう表現を感じます。いい映画は何度観ても答えてくれます。

古賀:観るたびに新しい発見がありますね。


◆CS衛星劇場
生誕110年を記念してTV初放送となる木下惠介脚本作『流し雛』に、監督を代表する3作品、さらに原恵一監督が木下監督の若き日を描いた『はじまりのみち』を12月に放送予定。

『流し雛』【TV初】 … 12/26(月)
『二十四の瞳』 … 12/15(木)、12/21(水)、12/30(金)
『楢山節考』 … 12/18(日)、12/28(水)
『カルメン故郷に帰る』 … 12/14(水)、12/25(日)、12/30(金)
『はじまりのみち』 … 12/23(金)

 ▶衛星劇場サイト https://www.eigeki.com/news/407

◆BS松竹東急(BS260ch/全国無料放送)
新春ミッドナイトシネマ 『二十四の瞳 デジタル修復版』
2023年1月1日(日)夜11:00~深夜1:50

 ▶BS松竹東急サイト https://www.shochiku-tokyu.co.jp/

◆木下惠介生誕110年記念Tシャツ
木下惠介生誕110年を記念し、オリジナルTシャツをAmazon限定で販売中!

 ▶Tシャツ販売情報 https://www.cinemaclassics.jp/news/2806/

◆秦早穂子さん「木下惠介生誕110年記念」連載コラム
リニューアルした木下惠介サイトでは、映画批評家の秦早穂子さんによるコラム(全5回)を連載中。
第1回 カーキ色と抵抗 『陸軍』
 ▶  https://www.cinemaclassics.jp/news/2184/
第2回 白い雲 『二十四の瞳』
 ▶  https://www.cinemaclassics.jp/news/2225/
第3回 赤いバラと赤いマニキュア 『お嬢さん乾杯』『カルメン故郷に帰る』
 ▶  https://www.cinemaclassics.jp/news/2568/
第4回 黒いからす 『楢山節考』
 ▶  https://www.cinemaclassics.jp/news/2663/
第5回 ベージュと藍 『はじまりのみち』
 ▶  https://www.cinemaclassics.jp/news/2785/

◆DVD、Blu-ray発売中&各プラットフォームで配信中
 ▶木下惠介 公式サイト https://www.cinemaclassics.jp/kinoshita/