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「木下惠介生誕110年」秦早穂子さん連載コラム第4回
黒いからす-『楢山節考』

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 口減らしのために、老人は70歳になるとお山に捨てられる。深沢七郎原作「楢山節考」が発表された昭和32年(1957)。木下惠介監督の映画が公開されたのは翌年、昭和33年。間髪を入れずの行動だが、それだけ木下監督を揺り動かす主題であったのだろう。
 田中絹代を主演に、当時のベテラン俳優を集めた配役もさりながら、黒子の口上よろしく歌舞伎の常式幕、黒・柿・萌葱、3色の幕が上がると、人間国宝、杵屋六左衛門の長唄、文楽の野沢松之輔の義太夫が、三味線の音と共に、舞台の世界へ誘う。

 楢山参り。それは姥捨てを意味する。そのために、母には始末しなければならない数々の事。息子は母を背負ってお山へ行きたくない。母、おりんは、息子、辰平の人知れぬ涙を知っている。
 小説では信州になっているが、本当は山梨に伝わる話という。いや、どこにでもあった事だろう。
 生まれ故郷は東京という私たち一家は、2度戦災にあっても頼る疎開先なく、伝手を求めて母方の伯母一家と山梨の山間の村、ある農家の本家と新家の蚕小屋の別室を借りた。果物は豊富だが、田んぼは少なく、まして1945年の戦争末期、大豆や馬鈴薯にも事欠き、米の配給は殆どない。
 だから白い米をおりんが炊くのは、特別な行事だと納得した。地質ゆえの貧しさもあり、そこに絡む母と息子の情や、むき出しにされる人間の本性は、現実の貧しさを裏打ちしている。

 ようやく日本経済が力を取り戻す岩戸景気が始まり、東京タワーが完成した年に公開されたこの映画のラストシーンは、現在の長野、千曲市を走る篠ノ井線にある姥捨駅。
 残酷で辛い話は、今は遠い過去なのであろうか?

 東京の家が戦災にあった4月の夜、私は見た。
 その日、私とかつて『陸軍』を見たお手伝いを故郷へ戻すために、母は付き添って不在だった。3人の娘を守り、父は家に点いた火を消す。B29の機影が迫る。私は2歳の末の妹を乳母車に乗せていたが、躊躇しながら背負う事に。迷ったのは、3月10日の大空襲で、背中の赤ちゃんが煙で窒息死したのを知っていたから。
 庭の奥の防空壕は逃げ場をふさがれている。玄関から外の通りへ出る竪穴式防空壕に、ひとりの老婆を置いて逃げて行く、見知らぬ2人の女たち。
 父は叫ぶ。ここは危ない。置き去りにしては駄目です。私たちは乳母車と羽根布団を捨て、広っぱから大通りへ。
 翌朝、近所の幼馴染の女の子が小さな死体をみて、私と思ったと言う。
 私たち12歳と7歳の姉妹の悪夢は、今も続く。

 現在はもう姥捨てはないのだろうか?方式は変わっても、姥捨てはあると木下惠介は言いたいのでは?
 少なくとも、監督は背負う息子の立場、おりんは村の掟に従う事で、無抵抗の抵抗を示した。楢山の山頂で待っていたのは、死骸にたかる黒いからすだ。

 女優という人に最初に会ったのが田中絹代さんだった。鎌倉御殿と言われた邸宅を売って、彼女が帝国ホテルの別館に住んでいた頃。田中絹代の名前は、フランスでも知られ始めていた。パリから日本映画選択者が来日し、溝口健二が大映で撮った映画の試写に案内した経験があるので、証言できる。
 ジョルジュ・サドゥールはコミニュストの映画批評家で、映画史の大著があり、彼の義理の娘イヴォンヌ・バビーが、ル・モンド紙に入社した1957年の頃の話だ。1931年生まれのバビーは今年2022年の8月に亡くなったが、敏腕のジャーナリストで後に作家となる。彼女の取材の意図は、演じるヒロインと田中絹代自身の日本における社会的立場を問うことにあり、依頼を受けた会社はこの仕事を私に任せた。
 ひっつめにした髪、チャコールのワンピースに茶のストールを羽織った田中絹代は、質問には実に注意深く、書いた原稿を見せてほしいと言う。原稿は翻訳されるので、どんな風になるかは保証できない。バビ―は私と同じ年だが、田中絹代は1909年、母と同い年。小柄で、一見、優しげな風情だが、決して本心は打ち明けない強い明治の女の部分が見受けられた。

 戦前から、人気一位を誇るスター女優は、昭和24年(1949)渡米。豪華な小袖姿で、ハリウッドの監督、スターと会見。日本帰国の折には、毛皮のストールにサングラス。投げキッスをして、マスコミに叩かれた。今では想像つかないほど激しいバッシングだった。
 監督の言うまま、ひたすら演じるだけです、と語る彼女の謙虚な言葉に偽りはないが、バビーの知りたいのは本音。それは言えないのではなく、言わないのが日本の女であると、やんわり回避した。
 抵抗なき抵抗の女が、ここにもいた。

秦 早穂子


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◎今年は木下惠介生誕110年。
2022年12月5日に生誕110年を迎える木下惠介監督。
代表作『二十四の瞳』を始めとした、幅広い作風で人々を魅了してきました。今回の周年を契機として、2022年~2023年にかけて、木下惠介の作品世界に触れる様々な取り組みを、松竹シネマクラシックスにてご紹介いたします。

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