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「木下惠介生誕110年」秦早穂子さん連載コラム第3回
赤いバラと赤いマニキュア-『お嬢さん乾杯』 『カルメン故郷に帰る』

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 『お嬢さん乾杯』は昭和24年(1949)の製作で、復興していない東京のガランとした風景、今から見れば男も女もしけた服装だが、あの時代としては、かなりまともな服装であった。何より自動車が少ない。その中で、佐野周二扮する石津圭三が車を自由に乗り回すのは、自動車修繕工場を始めて、金回りがいいという設定で、新藤兼人の脚本は転換する社会、新商売の未来を予知している。


 原節子のヒロイン、池田泰子は元華族。彼らは学習院出が決まりで、かつてはお姫さま、令嬢であり、今やお嬢さんという表現に、ニュアンスが込められる。
 幼稚園・小学校入学の際、華族か平民か身分を問われたものだが、昭和22年(1947)、1011家の華族制度が廃止。天皇一家、直系の皇族一家を除く皇族貴族階級は一挙に平民となり、明治2年(1869)以降の新規に選定された日本の特権階級は法的に消滅した。
 暦代天皇、皇族、華族の名前、爵位を覚えるのも、敗戦までの歴史授業の一部だったのだ。
 だから、廃止から2年後、この喜劇が生れたのは、かなりインパクトがあった。華族でもなく、戦後成金でもない人々は、どこか憮然たる思いであったろう。新たに経済力を持った人々によって、旧中産階級も崩壊させられたからだ。

 石津圭三は、これからの時代は経済、いや金だと断言する。『お嬢さん乾杯』は題名からしてが、よく考えれば、カラシの効いたリアリズムの喜劇で、しかも、主役のふたりが逆転した階級の差を越え、育ち、教養、趣味の違いも更に克服し、お互いの人間としての長所に気づいていく。
 それまでの結婚の多くは、見合いが常識であった。同じ階級、もしくは、自分よりはいい家柄の息子や娘を選ぶ。又は器量のいい娘、出来のいい息子を探す。そこには地位や金が物をいう。古今東西、変わらぬ結婚の定義。だが1940年代、日本社会は根底から揺さぶられる。

 そんな状況下、出会った男と女。男は田舎から出てきて、弟分の五郎(佐田啓二)と東京に自動車修理の店を出して成功、西銀座のアパートで暮らしている。二人とも独身で、圭三は結婚する気は毛頭ない。この男に目をつけた得意先の会社役員は、見合い話を持ってくる。仲人の役割も、まだ存在していた。
 ル・クゥ・ド・フードル。一目惚れ。お嬢さんは、あまりに美しかった。断るのを条件に見合いしたのも忘れ、圭三は泰子の気品に呆然となる。ピアノを売ってしまった泰子にピアノを贈り、赤いバラの花束を捧げる。バレエを見ては感動する圭三だが、泰子はボクシングの試合にショックをうける。この二つも戦後の大流行。彼らの趣味は何もかもが違う。しかも、泰子は没落した大家族のために、彼との結婚を覚悟している。それは嫌だと、圭三は思う。


 華族出身の夫人や令嬢が、生活のために、いろんな職業につき、噂になるのもこの頃。金のために結婚するのは、むしろ恵まれていたのかも。新旧の階級が、ひとりの男と女の原点に戻って、愛を見出したならば、めでたい事。赤いバラの花束は、その象徴なのだろうか?
 木下惠介が原節子のクローズアップに求める視線は、家のために犠牲となる女としては撮っていない。原節子と言えば、小津安二郎、黒澤明の映画に出てくる、二つのタイプに固定化されている。池田泰子は違う。ニュアンスに富んだ、決意していく女。最初にして最後の、監督と女優のコンビであった。


 『カルメン故郷に帰る』は昭和26年(1951)、日本で初めての長編カラー映画として公開された。アメリカ映画は30年代に、すでにカラー映画を製作していたが、大作『風と共に去りぬ』も、戦争のために、日本公開は戦後になる。
 総天然色の日本映画を創る。見る。それは重大な事であった。高村潔、月森仙之助といったお偉方がタイトルに名前を出しているのは、その証拠。国産のフジカラーフィルムであるのも大切で、フランス映画もクリスチャン・ジャク監督、初のゲバ・カラー『青ひげ』を発表したのが、この年だ。

 浅間山のふもと。北軽井沢の牧場主、正一の所に、3年前、家出した次女きんから手紙が届く。有名な舞踊家になったから、女友達と一緒に帰郷すると。父は許せないが、小学校長が仲介に入った。
 派手な服装に人目をひく行動は、村中の噂の的。きんの芸名、リリイ・カルメン(高峰秀子)とマヤ・朱美(小林トシ子)は、実は浅草のストリッパー。休みが取れて、田舎のいい空気を吸いに来た。そこで起きる数々の笑いを皮肉な目でみながら、日本の戦後のある風俗を描く。『お嬢さん乾杯』とは、正反対のヒロイン、ストリッパーや夜の町を彷徨う女たちの出現は、これ又日本の現実であった。


 そのストリッパーの姿に重ねて蘇る記憶がある。
 昭和23年頃。ラフカディオ・ハーン事、小泉八雲の生誕百年祭と銘打って、舞踊と芝居を混合した日本民話の出し物が東劇で上演された。八雲の三男でフォービズムの画家、清と私の父は幼馴染。その日も、一緒に東劇に出掛けた。八雲の日本昔話をよく聴かせてくれた父は、私も連れて行った。50代の元悪ガキたちは出し物だけでは満足せず、何処かに流れたい。だが、未成年の私がいる。その日のために、一張羅の水玉のエビ茶色のデシンのワンピースを着た女の子を築地で、ほっぽり出すわけにはいかない。彼らは小声で話し合い、結局、浅草の灯の誘惑に負けてしまった。
 神谷バーに行き、有名な電気ブランを少し飲んだ。次は、当時、流行のストリップ小屋に入った。ここでも問題は私の存在だが、大丈夫だろうと彼らは言い、私を真ん中に、3枚の切符を見せて堂々入場。小泉さんのおじさまはハーンの息子だから、ギリシャの血を受け継いだ美丈夫、父はぎょろ目、鼻の高い日本人離れした風貌なので、案内係も威圧されたのか、場違いな少女の通過をやり過ごしてしまった。 
 見たのは、風船を持ったストリッパーたちと、疲れた軍服を着た復員兵たちの姿。ひとりの男は、舞台の端へと歩いて行き、舞台のストリッパ―に声をかけた。
「会いたかったよう」
 青い風船を渡しながら、お腹の少したるんだストリッパーが受けて答える。
「生きていてよかったねぇ」
 まだ、戦争の匂いがプンプンした。猥褻な光景とは、程遠かった。踊りなんていう代物でもなかった。だが、あきらかに、何か嘘でないものがあった。男と女の間には、私のまだ知らないなにかが潜んでいる。何か厳粛なものが。
 帰宅して、母に今日の出来事を話すと、いつもは静かな母が、いきなり、父と小泉さんのおじさまに、本気で怒った。
「ほんとに、おふたりは、どうしようもない不良老人ですこと。この子をどう思っていらっしゃるの」
 凄い勢いに、ふたりは、締めの酒の愉しみを飲みそびれてまった。
 小泉清夫人が急逝された。3ヶ月後の1962年2月22日、後を追って不遇の天才、小泉清は自殺した。彼は若い日、無声映画館で、生活のためにヴァイオリンを弾いていた時もあったという。通夜に出かけた両親だったが、その晩から母の容体が急変、1週間後に死んだ。


 高峰秀子と小林トシ子の踊りの場面を再見して、記憶の底から全くちがった情景を思い出したのは何故だろう。この映画の中でも、木下監督のあの白い雲が浮かんでいた。草原で二人の女がロングスカートをたなびかせて踊る場面の方が、私が目にした浅草のストリッパーの踊りよりも胸が痛かった。それは引いたカメラのせいで、距離感と客観性が、日本のある時代を、哀しさを刻印していたからだ。真っ赤な口紅、真っ赤なマニキュアで、生きている存在を示したかった女たち。それを好奇と軽蔑の目で見ていたのも女たちだった。半世紀以上経てば、そんな拒否感覚はなく、女たち、時には男も色とりどりのマニキュアを愉しんでいる。

秦 早穂子


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◎10/1(土)~10/7(金)神保町シアターで『お嬢さん乾杯』が上映
「生誕110年 映画俳優・佐野周二」特集内で上映されます。
※上映日時は劇場のHPなどでご確認ください。
https://www.shogakukan.co.jp/jinbocho-theater/program/sano.html

◎10/27(木)東京国際映画祭で『カルメン故郷に帰る』(デジタル修復版)が上映
「黒澤明が愛した映画」特集内で上映されます。
【会場】TOHOシネマズ日比谷 スクリーン13
※上映日時は映画祭のHPなどでご確認ください。
https://2022.tiff-jp.net/ja/lineup/film/3510KRO07

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◎今年は木下惠介生誕110年。
2022年12月5日に生誕110年を迎える木下惠介監督。
代表作『二十四の瞳』を始めとした、幅広い作風で人々を魅了してきました。
今回の周年を契機として、2022年~2023年にかけて、木下惠介の作品世界に触れる様々な取り組みを、松竹シネマクラシックスにてご紹介いたします。
 
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