「木下惠介生誕110年」秦早穂子さん連載コラム第1回
カーキ色と抵抗-『陸軍』
カテゴリ:木下惠介生誕110年, 連載コラム”木下惠介生誕110年"
木下惠介監督の『陸軍』は、彼の原点に位置する重要な作品と思う。少なくとも私にとっては、戦争中に見た映画の中で、忘れられない一作だ。
1944年=昭和19年の晩冬。新宿の映画館で、初めて見た木下監督の映画が『陸軍』だった。
この映画紹介は、公開当時、木下監督より2世代年下、13歳の少女の映画的記憶である。思い違いもあろうが、資料での追体験ではない。今、再び揺れ動く世界の動向と、あの時代は似通ってる要素もあるからだ。それは戦争と人間の歴史であり、それこそが、木下惠介監督が一見、多岐にわたる作品の中で、終始一貫、探し求めた主題であったに違いない。
大東亜戦争3周年を記念して、陸軍省後援、情報局の国民映画として製作された火野葦平原作『陸軍』。片や海軍省は、前の年の12月に獅子文六こと、岩田豊雄原作、田坂具隆監督で『海軍』を公開した。
福岡の3代にわたる、ある一家の物語=『陸軍』は、幕末から日清・日露・上海事件を経て、大東亜戦争へと続く歴史でもあり、底流には天皇制、家長制度絶対の思想がある。代々の主人は陸軍の誇り高い兵士に憧れ、大東亜戦争に至るまでの経緯は、風俗、男たちの言動、女たちの仕草の中にも、さりげなく表現される。カメラは次第に田中絹代演じる母に焦点を合わせ、銃後の日本のひとりの女を映し出す。
『海軍』の主人公のようにエリートで、特攻隊員となっていくような、勇ましい話ではない。戦争は明らかに、厳しい情勢に突入し、その事実を一部の大人たちは知りながらも、口を閉ざしていた。退却を転進、全滅を玉砕と言い換える報道に、敏感な子供たちは不安を抱き、しかし、よく躾けられていたのか、疑いは口に出さない。映画は勇ましい男と、迷う男の議論を描くが、女の姿は表面には出さない。歴史の転換は、インサートで、適確に説明される。
出征する息子の行進する姿を見送るまいとした母は、いてもたってもいられない。カメラは、ここから、俄然、母だけを追う。馬上の将校を先頭に、カーキ色の制服の陸軍の大行進は、福岡の街を横切っていく。日の丸の旗を振る沿道の人々。その中を転びながら、もみくちゃにされながら、母は追う。長い長いシーンをカメラは母の、その心の内を見詰める。映画って、こんな表現が出来るのだ。文章でも、絵画でも、これほどには人の心を出せはしない、と、私は思ったものだ。
若い付き添いの人と映画館を出て、二人は無言で新宿駅の方へ歩いた。ひとりで、叉は友達と映画館へ行けるのは、戦後から。戦中は館内の座席後方に、検閲の警官がいて、問題ある場面には、映写中でも待ったの声をかける。駅前には、白の割烹着を着た愛国婦人会の女の人たちが、千人針を持って立っている。映画と現実は、境界線なしに続いていた。産めよ殖やせよの看板が至る所に立てかけられたのは、もう少し前の事。勢いのいい女の人たちの中には、出征する若者に、お国のために、立派に死んでくださいと叫んでいた。この異様な光景は、今の若い人には想像つかないだろう。
戦後、木下惠介は、いくらなんでも息子が死ぬことを望む母親はいませんよねと、反語的に語っているが、私が見た現実は、一直線な女の人たちが、正面に乗り出していた。
兵士の行進、路地の一角、ドキュメンタリーの要素も多分に含んで、昭和の時代の一瞬を映像は、見事にとらえている。
ひたすら追いかける小柄な田中絹代と一緒に、青年の後ろ姿を私も追いかけた。それから4ヶ月も経たぬ間に、東京は焼け野原となる。木下監督が、この映画が原因で、仕事を辞めたのを知ったのは、戦後だった。
2022年8・15 秦 早穂子
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代表作『二十四の瞳』を始めとした、幅広い作風で人々を魅了してきました。
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