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映画『釣りバカ日誌』よもやま話 【その12】

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【はじめに】
映画『釣りバカ日誌』シリーズは、時代が平成に変わる1988年12月24日お正月映画として、第1作が公開されました。
バブル景気やゼネコン疑惑など移り行く時代を背景に、建設会社の社長「スーさん」と平社員である「ハマちゃん」の釣りを通して結ばれた立場逆転の風変わりな友情を軽やかに描いたこの作品は、2009年に至るまでスペシャル版と時代劇版を含む全22作品が製作された人気シリーズです。

【撮影の思い出】
シリーズ全作品の現場に参加した唯一のスタッフである岩田均さんに、撮影当時のお話を伺いました。
岩田さんのプロフィールは、コチラ
https://www.shochiku.co.jp/cinema/history/interview/vol-4/

【今回の作品】
映画『釣りバカ日誌12 史上最大の有給休暇』
2001年8月18日公開。

- 2000年6月に松竹大船撮影所が閉鎖されました。
まさか!大船撮影所が閉鎖されるなんて青天の霹靂。あり得ない。私の青春の一部が取り壊される。2000年6月30日。この日を迎えるなんて。心が折れました。大船撮影所、「夢の工場」の人々は、「流浪の民」になりました。

- 愛着ある職場が無くなってしまったのですね。
この作品は、そんな中で2001年2月~4月で撮影しました。『釣りバカ日誌』の撮影では必ずセットを組むため、まずはどの撮影所を借りるかを決めるところから始めました。時代劇以外で他の撮影所で撮影することは今までなかったので、まずは別の作品の仕上げで一度お世話になった日活撮影所の方に相談しようと電話をしてみたところ、あいにく捕まらず、思案に暮れてしまいました。

- 撮影所は、都内で他にもあるのでしょうか。
当時の上司がたまたま話を聞いていて、「東映撮影所の坂上所長に相談したら?」と助言してくれました。すぐに連絡を取ったところ、トントン拍子に話が進み、練馬区大泉にある「東映東京撮影所」にお世話になることが決まりました。

- 別の撮影所に代わると、やりづらかったのではないですか。
慣れ親しんだ撮影所とはもちろん違うのですが、同じ「活動屋」同士ということで温かく迎えて頂きました。これ以降、映画『釣りバカ日誌』シリーズでは最終作までお世話になるのですが、東映東京撮影所の方々がどんなに助けてくださったことか。今でもお付き合いが続いています。

- 会社の垣根を超えた繋がりが、出来たのですね。
中でも「東映の生田さん」には大変お世話になりました。『釣りバカ日誌13』の時には東映撮影所長に就任されましたので、おんぶにだっこで甘えました。生田さんは撮影現場に対する愛情が深く、時代の進化に合わせながら「職人」「手作り」といった映画作りの根幹をとても大切にされた方で、他社所属である私たちのことも、とても可愛がってくださいました。多くの映画人に慕われていましたし、私にとっても大切な先輩のお一人です。

- セットの雰囲気は変わりましたか。
通常、セットで天井は作らないのですが、リアリティを求めて、セットの利点を捨てて、営業三課や重役室にはしっかりとした天井を作って頂きました。天井があるとライティングや録音のマイクを出す場所などが難しくなるのですが、画を作る上でスタッフの腕の見せ所が増えました。その分費用は嵩みますが、ご協力くださったのです。

確かに天井があります

- 準備期間の過ごし方は、変わらなかったのでしょうか。
撮影現場はロケハン(ロケーションハンティングの略)と言って、場所を探す製作部だけでなく、監督をはじめとするメインスタッフも事前に調査や確認作業をします。この作品ではロケ地として山口県の宇部市と萩市にお世話になりましたが、萩では釣りのシーンのロケハンに出かけました。

- 海の撮影場所の視察ということでしょうか。
そうです。日の出前の朝5時なので、辺りは真っ暗。本木監督、キャメラマン、チーフ助監督が港から船で出航をするのを、プロデューサーと製作担当である私が見送りました。残った私達は、その後萩市長への表敬訪問に出かける予定で一旦ホテルに戻りました。30分くらい経った頃に連絡が入り、船が島に激突したというのです。

- 遭難ということですか。
「沈没する!」と思った監督やキャメラマンが島に飛び移ったくらい、強くぶつかったそうですが、最新式の船だったので、全体の1/3以上が大破しているのに沈まなかったのです。割れたフロントガラスでケガをした船長が頭から血を流しながら運転して、船は後ろ向きにソロソロと進みながら戻ってきました。それを見た時のおどろきたるや!本当にビックリしました。

- 皆さんご無事でしたか。
全員船室の中にいたのですが、撮影用の重いキャメラを抱えていたキャメラマン以外は吹っ飛ばされて、壁にぶつかりました。あるスタッフは、あと2㎜首のヒビが伸びていたら、下半身不随になるところでした。幸い全員、命に係わるということはなかったのですが、しばらく病院に通わねばなりませんでした。

- なんと!
実は、当初はプロデューサーと私も船に乗る予定だったのです。表敬訪問は市長の御予定が急に空いたことから急遽決まったことだったので。普段そういう時には、私は船の前方に乗りますから、予定通りだったらどうなっていたことか!22年の間には色々なことがありましたが、この時は新聞に載るくらいの事故でしたらからね。皆、今も元気にしているので、良かったです。たぶん、船長さんも。

- ロケ自体は如何でしたか。
当時、山口県は「きらら博」を控えていて、建設中の多目的ホールでロケをしました。興産大橋を車両が通るシーンがありますが、宇部興産の専用道路なので、本当は一般車両は通れないんですよ。

建設中のホールを視察する鈴木社長

- 萩の街並みも美しいですね。
宇部市は工業が主体の地域なので、青島幸男さん演ずる高野元常務の「ハッピーリタイアメント」の生活は、萩市で撮影することになりました。水路には野菜を洗えるくらい綺麗な水が流れていて、いにしえの日本を動かした偉人たちが学んでいたことが、今でも感じられるような、本当に美しい街です。ある日、実行委員会の方々が「夕食でバーベキューをしましょう」と浜辺に出演者スタッフを招いてくださり、一同盛り上がりました。その時の青島さんの楽しそうな顔が忘れられません。

- 言葉もやわらかい響きですね。
ゲストの宮沢りえさんの山口弁は、「完ぺきを超えてすごい!」と、方言指導をお願いした方が、驚かれていました。

- 宮沢さんは、生き生きとされて美しいですね。
宮沢さんは、本木監督とは映画『豪姫』の撮影現場でも一緒に仕事をしたり、旧知の仲でしたので、楽しまれていたと思います。当時、宮沢さんの御仕事には、マネージャーと共にお母様が必ず立ち会われていたのですが、萩のロケ期間中のある日、散骨のシーンの撮影で船を見送った堤防で「あとは任せるから。私は東京に帰るから」とおっしゃいました。そして、本当に帰られました。まだ萩ロケは始まったばかりだったのに。この時もビックリでした。

- 医師である上杉を演じる吉岡秀隆さんは、お医者さんの役ですね。
当時、吉岡さんは「自分は、医者という柄じゃないんですよ、大丈夫かな」と、しきりに心配されてました。数年後「コトー先生」になるとは思ってもいらっしゃらなかった頃ですね。

萩城址にて

- フグの幻覚のシーンは異色のシーンですね。
台本では、ハマちゃんとスーさんが高野元常務のために、別の魚を調理するシーンでした。「釣りバカあるある」ですが、現場で「面白いことが一番!」と、急遽フグを調理することになりました。さらに三國さんが「アイスクリームを買ってきてください」と仰って、何をするのかと思ったら「毒にあたったスーさんが、段々シビれて話ができなくなり、白い泡をふく」という芝居が始まりました。まあ、ストーリーのベクトルは同じ方向に向いてますからね。

- まさに現場で変わっていったんですね。
皆、笑いをこらえるのに必死でした。まあ、フグは免許を持っていないと捌けないので現実的ではないんですけどね。どうも『釣りバカ』は「やっちゃえ!」感が強いのです。あ、ハマちゃんは免許をもってる可能性もあるかな?

この後、大変なことに…

- 幻覚のフグダンスのシーンは、東映撮影所でのセット撮影でしょうか。
あのシーンも台本にはなかったのですが、三國さんの御芝居を受けて、西田さんの「やる気スイッチ」が入ってしまって「やりましょう!」ということになりました。東京に戻ってからでは、スケジュールが組めないことはわかっていたので、「ロケ中に撮影しないと!」ということで、急遽、萩で撮影場所を探しました。

- どうされたのですか。
後で合成することになりましたので、結婚式場をお借りして、ブルーバックを使って撮影しました。西田さんのイメージは「大駱駝艦」だそうです。分割してドンドン数が増えるのは、合成なので撮影後の作業でした。

幻想的?なフグダンス

- この作品から主題歌が登場しています。
青島幸男さんは都知事をお辞めになった後の御出演でした。営業三課のシーンで旧友の谷啓さんと共演もあり、とても楽しんで演じてくださっていたと思います。ロケ最終日を終えた打ち上げの宴会場で、青島さんが「『釣りバカ日誌』には主題歌がないの?」と聞いてくださったので、本木監督が「作って下さいよ!」とお願いしたら、「いいよ!作ってくる」と仰いました。西田さんもノリノリで「歌うよ~!」と。その時、皆ベロベロに酔っぱらってましたが。

- 「スーダラ節」を作られた方ですからね!
青島さんは宴会場だけでの話でなく、後日本当に主題歌を作って下さいました。西田さんも、レコーディングで今で言う「ファーストテイク一発録り」だった気がします。二発だったかな? 話が持ち上がってからあっという間に、ラテン調の楽しい主題歌が出来上がりました。

晴釣雨読の毎日

- いろいろな意味で節目の作品ですね。
『釣りバカ日誌』シリーズは定型があってない、作品ごとに変化を続けている作品なので、節目は何度もあった気がします。「大船撮影所」を失ったことは本当につらいことでしたが、この作品の時に、会社は違っても「撮影所」気質は同じだということを改めて実感しました。新しい出会いがあり、それがまた良い反応を生んだのではないかと思います。

〈その13に続く〉

映画『釣りバカ日誌』シリーズ
商品 (DVD・DVD―BOX)
https://www.shochiku-home-enta.com/c/series-turibakanisshi

土曜だ!釣りバカ!
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