連載コラム「銀幕を舞うコトバたち(53)」
コレが、コレなもので。
カテゴリ:コラム "銀幕を舞うコトバたち", 松竹映画100周年
映画製作の舞台裏やそこに関わる人々の悲喜こもごもを描いたバック・スクリーンものには名作が多い。一例がフランソワ・トリュフォーの『映画に愛をこめて アメリカの夜』だ。タイトル通り、映画にハマった人たちの映画愛が詰まった「映画についての映画」で、ぼくは「アメリカの夜」という業界用語が夜のシーンを昼間撮るためにカメラに赤いフィルターをつける撮影技法であることを、高校時代にこの映画で知った。
日本で「映画についての映画」といえば、深作欣二監督の『蒲田行進曲』だろう。
つかこうへいの戯曲の映画化で、主要人物は万事わがままな映画スターの銀ちゃん(風間杜夫)、さえない大部屋俳優のヤス(平田満)、売れなくなった美人女優の小夏(松坂慶子)の3人。男2人と女1人のトライアングルが織り成す恋物語もまた、『冒険者たち』、『突然炎のごとく』、『明日に向かって撃て!』と名作が目白押しのジャンルである。
つまり、『蒲田行進曲』は男2人女1人のゴールデントライアングルの構図で見せる「映画についての映画」。これだけでも映画好きにはたまらないわけだが、松坂慶子による冒頭のナレーションも、「映画についての映画」であることを高らかに宣言する。
「映画の撮影所というところは本当に奇妙で不思議な世界です。偽りの愛さえも、ホンモノの愛にすり替えてしまうようなこの世界では、昼を夜にすることなど、朝飯前のできごとなのです」
物語は撮影真っ盛りの大作『新選組』の殺陣の場面から始まる。銀ちゃんは主人公の土方歳三を演じているのだが、坂本龍馬を演じる橘(原田大二郎)の颯爽とした芝居に押され気味。そんな銀ちゃんの最大の見せ場となる予定なのが、クライマックスの池田屋の階段落ちシーン。ところが、あまりの高さに尻込みし、引き受けるスタントマンがいない。何しろ39段、高さ10メートル。日本映画始まって以来の階段である。
不機嫌な銀ちゃんを慰め、懸命に尽くすのが付き人同然のヤス。やりたい放題の銀ちゃんはヤスの人の良さにつけこみ、いつも無理難題を言いつける。ついには出世の邪魔になるというので、自分の子を身ごもった愛人の小夏を押し付け、結婚させようとする。ヤスのアパートで3人が感情を爆発させるくだりが序盤のヤマ。雷鳴が轟き、豪雨が降る演出がいかにも映画的で、ここからナレーションにもある「偽りの愛をホンモノの愛に替える」世界が怒涛の勢いで展開していく。
ヤスは銀ちゃんの願いを受け入れ、小夏の出産費用を稼ぐために必死に仕事をこなし、さらに故郷に錦を飾るがごとき派手な結婚報告が行われる。一方、銀ちゃんは小夏に対し心変わりを見せ、やがてヤスは銀ちゃんのために階段落ちのスタントを引き受ける。小夏は2人の男に翻弄されながらも出産の日を迎え……と、話は速度を増しながら転がり続ける。笑いと涙、バカバカしい喧騒としんみりした悲哀。深作欣二の演出は緩急自在だ。
すべてに過剰な映画である。つかこうへい自ら脚本を書いただけあってセリフは膨大だし(とくに銀ちゃんとヤス)、役者の演技もオーバーヒート寸前のテンション。その過剰さの象徴がクライマックスの感動的な階段落ちなのだが、今も耳に残っているのは、ヤスのこんなセリフだ。
「コレが、コレなもので」
小指を立て、両手でお腹が大きい仕草を見せる。「女房が妊娠しているから、仕事を頑張らないと……」と言いたいのだ。ヤスはこのセリフを繰り返し、ケガを重ねながら次々に危険なスタントをこなす。このときのアクションシーンの撮影に登場するのが千葉真一、真田広之、志穂美悦子だから贅沢だ。それにしても、「コレ」と言って小指を立てる仕草がいかにも昭和である。
ぼくがこの映画を初めて観たのは、とうに姿を消した池袋の汚い劇場で、足下をネズミが走り回っていた。でも、そんな環境がこの映画にはふさわしかった気がする。小ぎれいなシネコンでCG満載の作品を観るのとはちょっと違う、昭和の映画体験。どんな超人的アクションも捏造してしまうCG合成の映像は意外なほど手応えがない。『蒲田行進曲』は肉体と感情が直にぶつかりあってきしみ、その痛みがストレートに伝わってくるような昭和の映画である。蛇足ながら、小夏役の松坂慶子はため息がこぼれるほど美しい。
文 米谷紳之介
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