松竹Cinema Classics

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メッセージ

木下惠介生誕100年に寄せて

生誕100年にあたり、木下監督と所縁の深かったスタッフ・キャストの方々、また、木下監督作品の大ファンの方々からコメントが寄せられています。

  • 人をつきつめることのない優しさ、曖昧さ、非論理、いたわり、弱さ、涙、嘆き、忍耐、諦めを肯定する力。これは日本人の財産である 山田太一 (脚本家)
  • 兄貴はいつも威勢がよかった。一作が終われば常に次の作品の事を考えていた。尤も大好きなスタッフを集め、彼らに囲まれながら、良い映画を作ることだけを考えていた。 木下忠司 (作曲家・実弟)
  • 時代の波に翻弄されながらも逞しくいきていく庶民達の生活、その中にある日々の喜び悲しみを丹念に描いてゆくことで、映画を見る人達により身近な感動を与えることができた事、これが私の、兄の映画に感じる一番大きな魅力なのだと思っています。 楠田芳子 (脚本家・実妹)
  • 1950年代から60年代にかけての日本映画の黄金時代を、木下惠介、黒澤明の両監督が双頭の鷲のように率いていたといっても過言ではない。ダイナミックで男性的な「ますら男ぶり」の黒澤作品に対して、木下作品はあくまでも優しく心にしみいるような「たおや女ぶり」だった。あゝ、どれだけの涙を日本人はあなたの映画に流し、悲しみを癒されたことだろう。 山田洋次 (映画監督)
  • 木下監督を想う。1953年、私は大船撮影所の助監督になっていました。その年、所内で所員向けの新作試写会がありました。木下惠介監督の『日本の悲劇』です。その圧倒的な表現力に衝撃を受けた私は、自分の才能に絶望して助監督をやめたほうがいいのではと思ったのです。同時に、こんな作品を作り出せる撮影所にいることの誇りをも抱き、踏みとどまりました。以来、私が映画監督として生涯を支えてきたのは、木下惠介という師表を得たからだと信じています。 篠田正浩 (映画監督)
  • 木下さんはみずからの感情をきびしく貫く人だ。だが時によって感情は変化し、矛盾が起きる。それが木下さんの映画の魅力だった。感覚の抑制された『二十四の瞳』、激情をあらわにした『日本の悲劇』、『陸軍』のように出征する息子を母が延えんと見送るシーンのために反戦主義者と思われ、映画から追われたこともある。こうした作品の落差が観客を戸惑わせるにしても、人間の感情が揺れ動くものであるかぎり、木下さんの責任ではない。かつて木下さんは私に語ったことがある。「映画には、観客がいるからね」。それは私に向かって言った言葉だったのか、感情を殺すことの悲しみを伝える、木下さん自身の述懐であったのか、いまではさだかではない。 吉田喜重 (映画監督)
  • 木下監督は私にとって「運命の人」でした。あなたとの出会いが無ければ、スクリーンの中に私の姿はなかったんです。私が松竹から飛び出したあとも、以前と変わることなく言葉をかけてくれました。「全部みてるよ。連ちゃん。あの写真よかったね」とほほ笑みながら。あんなに迷惑かけて、何も言わずに松竹を辞めたのにです。今も見ていてくれている。そう信じて演じています。 三國連太郎 (俳優)
  • 私の育ての親、小林正樹監督の師匠にあたる木下監督は、役者をほめるところはほめて、気持ちよく演じさせる天才です。出演作は『永遠の人』だけでしたが、仕事以外でよくお会いし、お話を伺ったものです 仲代達矢 (俳優)

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