松竹Cinema Classics

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木下組 | 木下作品を支えた人々

木下忠司 | きのした ちゅうじ

1916年4月9日生まれ。木下惠介監督の実弟で、彼の6作目『わが恋せし乙女』(46)から遺作『父』(88)までの間、『楢山節考』(58)を除く全ての作品の音楽を担当。『女の園』(54)では毎日映画コンクール音楽賞を受賞している。その他『安城家の舞踏會』(47)『人間の条件』シリーズ(59~61)『トラック野郎』シリーズ(75~79)、テレビ『水戸黄門』(69~2011)『特捜最前線』(77~87)など代表作多数。85年には戦場カメラマンを主人公にした映画『泰造』を製作している。

楠田芳子 | くすだ よしこ

1924年3月12日生まれ。木下惠介監督の実妹で、44年に楠田浩之と結婚。その後、脚本家としてデビューする。代表作に『この広い空のどこかに』(54)『涙』(56)『二人だけの橋』(58)『母子草』(59)『風の視線』(63)『あねといもうと』(65)『塩狩峠』(73)など多数。木下作品は『夕やけ雲』(56)や、テレビ“木下恵介劇場”『喜びも悲しみも幾歳月』(65)『今年の恋』(67)、“木下恵介アワー”『あしたからの恋』(70)を担当している。

楠田浩之 | くすだ ひろし

1918年4月14日生まれ。34年に松竹蒲田撮影所の撮影部に入所し、小原譲治らに師事。当時より木下惠介と交友を深め、43年、彼の監督デビュー作『花咲く港』でキャメラマンとして1本立ちし、以後応召されて参加できなかった『陸軍』(44)を除き、『なつかしき笛や太鼓』(67)まで全ての木下作品の撮影を担当する。妻は木下監督の実妹で脚本家の楠田芳子。『野菊の如き君なりき』(55)で毎日映画コンクール撮影賞、『楢山節考』(58)で日本映画技術賞など受賞歴も多数。2008年9月18日、永眠。

小林正樹 | こばやし まさき

1916年2月14日生まれ。41年、松竹大船撮影所助監督部に入所。応召を挟み、戦後『破戒』(47)から『日本の悲劇』(53)まで木下惠介監督作品に就く。52年に中編『息子の青春』を監督し、53年、木下が脚本を手がけた『まごころ』で正式に監督に昇進。その後『切腹』(62)『怪談』(65)と連続してカンヌ国際映画祭審査員特別賞を受賞し、一躍巨匠の地位を確立させた。その他の代表作に『人間の條件』シリーズ(59~61)、『化石』(75)『東京裁判』(83)など多数。1996年10月4日、永眠。

川頭義郎 | かわず よしろう

1926年4月28日生まれ。45年、松竹大船撮影所に入り、撮影部を経て46年より助監督部に所属し、およそ10年間、木下惠介監督作品に就く。『不死鳥』(47)では原作も手掛けた。55年、『お勝手の花嫁』で監督デビューを果たし、『涙』(56)『恋して愛して喧嘩して』(57)『有楽町0番地』(58)など良質のプログラムピクチュアを連打していく。テレビの“木下恵介劇場”“木下恵介アワー”にも多数参加するが、72年12月30日、永眠。46歳の若さであった。

松山善三 | まつやま ぜんぞう

1925年4月3日生まれ。48年、松竹大船撮影所助監督部に入所し、所内同人誌に掲載したシナリオが木下惠介監督に評価され、『婚約指環』 (50)から彼の作品に就き、54年に『荒城の月』で脚本家デビュー。55年には高峰秀子と結婚し、61年『名もなく貧しく美しく』で監督デビューを果たした。その後も『乱れる』(64)『人間の証明』(77)などの脚本家として、『われ一粒の麦なれど』(64)『虹の橋』(93)などの監督として活躍。木下監督の遺作『父』(88)の同時上映『母』(88)も監督している。

勅使河原宏 | てしがわら ひろし

1927年1月28日生まれ。前衛芸術活動の一環として、50年代に入って映画製作に乗り出したことを機に、木下惠介監督に師事。62年に初の長編劇映画『おとし穴』を監督し、続く64年の『砂の女』は木下監督の協力を得て完成させ、カンヌ国際映画祭審査員特別賞など内外の受賞に輝き、世界にその名を轟かせた。その後の代表作に『他人の顔』(66)『アントニー・ガウディー』(84)『利休』(89)などがある。2001年4月14日、永眠。夫人は木下映画の常連女優でもある小林トシ子。

大槻義一 | おおつき よしかず

1927年7月26日生まれ。51年、松竹大船撮影所に入所し、木下惠介監督の『カルメン純情す』(56)から『笛吹川』(60)まで全ての作品に助監督として就く。『二十四の瞳』(54)など出演作もあり。62年『流し雛』で監督デビューし、以後『背くらべ』(62)『七人の刑事』(63)『男の影』(64)などを監督。66年にフリーとなり、“木下恵介アワー”『兄弟』(69)『太陽の涙』(71)などテレビドラマを多数演出した。2011年12月、永眠。なお、ミュージシャンの大槻ケンヂは甥にあたる。

吉田喜重 | よしだ きじゅう

1933年2月16日生まれ。55年、松竹撮影所演出部に入所し、所内のシナリオ同人誌に書いた『海の墓標』が木下惠介監督に評価され、『夕やけ雲』(56)から『今年の恋』(62)まで木下組の助監督を務める。その間の60年『ろくでなし』で監督デビューし、以後『秋津温泉』(62)『日本脱出』(64)などで松竹ヌーヴェルヴァーグの一翼を担った。フリーになって以降も『エロス+虐殺』(70)『戒厳令』(73)『嵐が丘』(88)『鏡の女たち』(2003)など代表作多数。夫人は女優の岡田茉莉子。

山田太一 | やまだ たいち

1934年6月6日生まれ。58年、松竹大船撮影所に助監督として入所し、61年『永遠の人』(61)から『香華』(64)までの木下惠介監督作品に就き、『歌え若人達』(63)では脚本にクレジットされる。64年に木下監督と一緒に松竹を退社し、脚本家・小説家として活躍。代表作にテレビ『ふぞろいの林檎たち』(83)、『キルトの家』(2012)小説『異人たちとの夏』(87)など多数。“木下恵介アワー”にも『たんとんとん』(71)など数多く参加しており、83年の映画『この子を残して』では共同脚本を務めた。