木下惠介とは | 木下恵介エピソード

山田太一氏と木下監督 写真提供:木下惠介記念館

他人の好き嫌いにうるさい木下監督は、自分自身にも厳しく、趣味嗜好を徹底させていた。それらは概ねハイカラなもので、特に50年代に入って『海の花火』を発表した直後にパリへ赴いて西洋文化にじかに触れて以降は、洋服など見た目のおしゃれなどにもその嗜好が顕著になっていったが、それが嫌みなくさまになってしまうあたりが彼の生来の資質を者が経っているようだ。もっとも、そのあおりを受けて木下組スタッフまで撮影所への通勤は背広にネクタイと、きちんとした身だしなみを要求されていたそうだ。