当時開発途上であった国産カラー・フィルムは、それゆえにテスト段階から失敗も多く、富士フィルム側は「万が一カラー撮影が失敗したら、撮影費用を全額支弁するので公開を見合わせてほしい」とまで申し入れた。松竹側もいざというときに備えて、カラー版と同時にモノクロ版の撮影も敢行。またカラー・プリントの焼き付けが当時高価だったこともあり、現に初公開の際も本作のカラー・フィルムは11本しか焼かれておらず、全国松竹系映画館の上映をまかなうべく、地方ではモノクロ版フィルムもフル稼働された。