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イベントレポート【映画監督 篠田正浩 レトロスペクティブ 新文芸坐篇 石飛徳樹さん(映画評論家)×鯉渕優さん(プロデューサー)トークイベント】

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2026年9月17日(木)映画『悪霊島』(1981年公開)の上映後トークイベントが開催されました。

登壇者は、長年朝日新聞で映画記者を務め、現在は映画評論家として活動する石飛徳樹さん。そして、1978年の『はなれ瞽女おりん』から最後の『スパイ・ゾルゲ』まで、篠田組(表現社)の現場を助監督・プロデューサーとして支え続けた鯉渕優さんです。

映画『悪霊島』のロケ地選びの凄まじいこだわりから、名優・伊丹十三や渡辺謙との出会い、ビートルズ楽曲使用の裏側、そして宮川一夫カメラマンをはじめとする伝説的なスタッフ陣の仕事まで、貴重なエピソードが次々と飛び出しました。

篠田組との出会いと「俺のプロダクションを潰す気か!」

石飛徳樹(以下、石飛): 今日は新文芸坐においでいただきありがとうございます。私は元・朝日新聞の映画記者で、現在は映画評論家の石飛です。本日は、篠田組の現場を誰よりも知るプロデューサーの鯉渕優さんをお迎えし、特に映画『悪霊島』を中心に、篠田組の様々な裏話を伺っていきたいと思います。

鯉渕優(以下、鯉渕): ありがとうございます、鯉渕です。私は1978年公開の『はなれ瞽女おりん』にフリーの助監督として参加したのが、篠田組との出会いでした。
最初の現場で何も知らない私に、篠田監督がカチンコの叩き方を教えてくださったんです。でも、いざ本番で叩いた時に失敗してしまいまして。そうしたら監督に「おまえは俺のプロダクションを潰す気か!」と(笑)。それ以来、監督からの叱責をすべて請け負うような役回りをしておりました。
その後『夜叉ケ池』を経て、3本目にたどり着いたのがこの『悪霊島』でした。当時はまだ映画作りの全体像が見えていない時期でしたが、撮影現場は毎日が新鮮な出会いばかりで、本当に楽しかったですね。

鯉渕優さん

瀬戸内海の島々を一人で走破? 篠田監督の凄まじい「ロケ地へのこだわり」

石飛: 『悪霊島』といえば、瀬戸内海のロケ地がとても印象的です。中心となる「刑部島(おさかべじま)」のロケ地はどのように選ばれたのでしょうか?

鯉渕: 刑部島の港のシーンは、広島県の大崎下島にある「御手洗(みたらい)」という町で撮影しました。大変古い街並みが残っている保存地区で、とても素晴らしい雰囲気の港町です。作中に出てくる綺麗な鳥居も、セットではなく実際に現地にあったランドマークなんです。

石飛: あの鳥居は本物だったんですね! しかし、劇中に出てくる断崖絶壁は瀬戸内海っぽくない印象もありますが……。

鯉渕: そうなんです。瀬戸内海にはあんなに切り立った高い崖はありません。優しい島が多いんですね。ですから冒頭の転落シーンの崖は、島根県の隠岐島で撮影しています。
篠田監督のロケ場所に対するこだわりは本当に凄まじいものがありました。僕らスタッフを案内してくれる時には、すでに監督がたった一人で瀬戸内海中の島を全部巡り、調べ上げた後なんです。頭の中でほぼ完璧なラインを構築した上で、必要な場所だけを僕らに見せてくれるという流れでした。
だから刑部神社自体は京都の近くの福知山の大変由緒のある神社(元伊勢内宮)です。そこをロケハンで見つけて通いました。そして刑部神社の裏手や周辺はその近くにある大江山っていうあの酒呑童子で有名な鬼殺しというお酒の発祥地ですね。その辺りとかあとは京都の下鴨神社にある糺の森を使ったり…監督が気に入った場所をセレクトしてそれで刑部神社の雰囲気を構築してました。

『悪霊島』が繋いだ異彩の才能――伊丹十三と新人時代の渡辺謙

石飛: 映画に登場する異彩を放つキャラクターたちも魅力的でした。伊丹十三さんが演じられた役柄も、サングラスに葉巻という個性的なスタイルでしたね。岩下志麻さんの本でも触れられていますが、伊丹さんご自身が奇妙なジャケットやサングラス、葉巻といった衣装や役作りを積極的に監督へ提案されてたと伺いました。

鯉渕: 伊丹さんと篠田監督は、この『悪霊島』が最初の出会いでした。その後『瀬戸内少年野球団』でもご一緒することになるのですが、その撮影中、同じ民宿に泊まっていたので毎晩一緒に食事をして映画談議に花を咲かせていました。
篠田監督もとても嬉しそうで、馬が合っていましたね。伊丹さんはこれらの現場で映画監督の面白さに目覚め、のちに『お葬式』を撮ることになったのだと思います。

石飛: 篠田監督は、役者に対して細かいセリフの言い回しや演技指導をあまりされないタイプだと聞きます。

鯉渕: ええ、「キャスティングするまでが監督の仕事で、選んだ以上は俳優に任せる」という考え方でしたね。右向け左向けといった細かい指示はせず、リハーサルもそこそこに「じゃあ本番行きましょう!」と行くので、俳優さんが「えっ、もう本番!?」と驚くこともよくありました(笑)。俳優が持つ本質的な存在感やキャラクターを見抜く眼力が圧倒的だったのだと思います。

石飛: その「見抜く力」で発掘されたのが、のちに日本を代表するスターになる渡辺謙さんですね。

鯉渕: 次作の『瀬戸内少年野球団』のオーディションの時ですね。渡辺さんは最初、本命候補ではなかったんです。スタッフが持ってきた書類の中に小さな写真があって、監督が「これ誰?」と気にとめた。急遽オーディションに参加してもらい、最後の3人に残りました。最後は1シーンの本読みをしただけで、すぐに「渡辺くんで」と決まりました。その場にいた全員が驚きましたね。

石飛:この『瀬戸内少年野球団』で、渡辺謙さんと伊丹十三さんも出会い、『タンポポ』へと繋がっていったのかもしれませんね。

石飛徳樹さん

奇跡の「ビートルズ」オリジナル音源と、12月8日に込められた意味

石飛: さて、『悪霊島』といえばビートルズの楽曲(「Let It Be」「Get Back」)が使用されていることで有名です。権利関係の都合上、配信やDVDでは別カバー版に差し替えられていますが、本日の劇場上映ではオリジナルのビートルズ音源が流れました!

鯉渕: 本当にラッキーでしたね! 当時は二次使用(DVDや配信など)の概念がまだない時代だったので、後年になって再契約の壁が高くなってしまったのだろうと思います。
当時、ビートルズの楽曲を映画で使うというのは世界でも珍しいレベルの試みでした。ジョン・レノンとオノ・ヨーコさんの有名な写真(篠山紀信氏撮影)が劇中にも登場しますが、篠田監督が篠山さんの紹介でオノ・ヨーコさんにお願いし、プロデューサー陣の尽力もあって奇跡的に使用許可と契約を取り付けました。

石飛: 1969〜70年の時代の空気を伝える上で、やはりビートルズのオリジナル音源でないと出ない空気感がありますね。冒頭も、ジョン・レノンが射殺された「1980年12月8日」から始まります。

鯉渕: 事件が起きたのが1980年12月8日で、映画の公開が1981年。あの短い期間の中で手際よくシナリオに組み込み、交渉をまとめたスピード感はすごいと思います。
そして「12月8日」というのは、ジョン・レノンの命日であると同時に、篠田監督の作品に繰り返し影を落とす「太平洋戦争が始まった日(真珠湾攻撃の日)」でもあります。監督の中には、そうした時代や歴史の記憶が深く結びついていたのだと感じます。

宮川一夫のカメラと豪華スタッフ陣が生み出した「美」の凄み

石飛: 本日は客席に、出演者の宮下順子さんもいらしてくださっていますね。作中でのお姿も本当に美しかったです。そして、伝説の撮影監督・宮川一夫さんによる映像美や、岩下志麻さんの捉え方も素晴らしかったですね。

鯉渕: 本当に美しい映像でしたね。正面からだけでなく、横に回った時の岩下さんの微妙な表情の変化を見事に捉えていました。
これは篠田監督と宮川一夫さんとの間の壮絶な葛藤、そしてそれを支えた照明の佐野武治さんという素晴らしい方のあかりの設計があってこそです。宮川さん、佐野さん、篠田監督の3人が集結した美の心臓部のような現場でした。どのカットを見ても変な画がなく、安心して没入できます。
さらに、録音の西崎英雄さん、美術の朝倉摂さんなど、超一流のスタッフが総力を結集して作り上げたのが『悪霊島』という作品です。

石飛: 45分という時間はあっという間でしたが、スクリーンで観る『悪霊島』の凄みを改めて実感するトークとなりました。本日は誠にありがとうございました!

撮影現場秘話も多く語られ、来場されていた宮下順子さんのご紹介というサプライズも飛び出し、大いに盛り上がりました。