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イベントレポート【映画監督 篠田正浩 レトロスペクティブ 新文芸坐篇 松野泉さん・鯉渕優さんトークイベント】

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9月17日(木)池袋・新文芸坐にて、映画『少年時代』(1990年)の上映後、
藤子スタジオ代表取締役の松野泉さん、当時のプロデューサー補・鯉渕優さん、そして聞き手に映画評論家の石飛德樹さんを迎えて、トークイベントが行われました。イベント終盤には、主人公・進二役を演じた藤田哲也さんがサプライズ登壇!
原作・映画化の舞台裏から、四季を追った過酷な撮影現場のエピソードまで、濃密なトークの模様をお届けします。

漫画化から映画化へ——安孫子素雄が温め続けた「夢の企画」。篠田正浩✕山田太一との奇跡のタッグ

まずは原作マンガの誕生から映画化に至る経緯の話題からスタートしました。
松野:安孫子は、柏原兵三さんの小説『長い道』を読んで強い衝撃を受けました。自身も終戦当時、同じ富山県の隣町に疎開していた経験があったため、「ぜひ自分で漫画化したい」と手掛けたんです。大の映画好きだった安孫子は、漫画完成後も「これをどうしても映画化したい」と、長年温め続けていました。
以前から映画を作りたいと思っていた安孫子素雄(藤子不二雄Ⓐ)先生にとって、この企画は並々ならぬ思い入れのあるものでした。そして、監督として熱望したのが、以前から大ファンだった篠田正浩監督でした。

松野:藤子不二雄Ⓐとして独立した記念として、ぜひ篠田監督にお願いしたいと。当時は全く面識がなかったので、熱烈なラブレターとお手紙、小説の「長い道」、それを漫画にした「少年時代」という2冊の分厚い本をお送りしたんです。でも、しばらくまったくお返事がなくて……。

石飛:返事を待つ間はドキドキですね

松野:はい。そうしたらある日、篠田監督から「長い道と学校が見つかった。この映画が撮れます」というお返事をいただきました。

富山の田んぼで1年間考え続けた篠田監督

しかし、監督から「撮れる」という確信を得るまでには、知られざる苦労とこだわりがありました。

鯉渕:安孫子先生から原作本をいただいてすぐ、監督から「富山に行くぞ」と声をかけられました。ロケ地のインフラ、特に古い木造校舎が残っているかが重要だったんです。幸いなことに当時はまだ木造校舎や古い町並みが残っていて、作中に登場する「田んぼの一本道」にも巡り会えました。
ところが、ロケ地が見つかってからも篠田監督はすぐに正式なイエスを出さなかったといいます。

鯉渕:季節が変わるたびに富山へ行き、あの田んぼの一本道に立って、同じ方角を向きながらじーっと考え事をしていました。四季(フォーシーズン)を通して、安孫子先生にどう答えるべきか、自分なりの映画表現を模索していたんだと思います。

一本の「道」へのこだわりと、豪華な制作陣

作中で印象的に描かれる「田んぼの一本道」にも、妥協のない映画作りの技術が注ぎ込まれました。
鯉渕:当時の富山県は農業の先進県で、農道はすでに舗装されていたんです。普通の映画なら映る部分だけ土を盛りますが、篠田監督は「剥がそう」と。地元の地権者の方々にお願いしてアスファルトを剥がし、砂利を敷き直しました。さらに日常の轍や草が生えるのを待つため、1年間そのまま置いたんです。撮影時には古い木の電柱も立てました。(注:剥がした道は撮影終了後、元通りに再舗装しました)

石飛:風景を馴染ませるために1年も待つなんて、実に贅沢な作り込みですね。
脚本にはテレビドラマの巨匠・山田太一さんが参加。篠田監督の助監督を務めた過去の縁や、山田さん自身も疎開体験者であったことからこの奇跡的なタッグが実現しました。

石飛:当時のシナリオ会議に泉さんは立ち会われていたと聞きまして、そのときのメモを読ませていただいたのですが、これがめちゃくちゃ面白くて。篠田さんも山田太一さんも自分のイメージを持っていらっしゃる方ですから、なかなか引かないんですよね。実際その場にいらしてどんな感じでしたか。

松野:本当にプロ中のプロの二人で、考えられているビジョンがはっきりしていて、その会話のやりとりは凄かったですね。かなりピリピリした場面もありました。お二人がぶつかられて、どちらもお引きにならなくて。こういう時安孫子はどうにもできないんですよ(笑)そんな時に山田太一さんがちょっとお手洗いに立たれて、その5分10分でおふたりともクールダウンされてまた始まる感じでした。

石飛:いくつもの面白い場面がメモしてあるんですけど、篠田さんが少年たちのヒーローを富山の空にコラージュしたいとおっしゃっていたのを、山田さんがそれはちょっと違うってお話しされて。

松野:そこの場面だとちょっと違うとか言ってね。

石飛:それは面白いな、ちょっと空に出てくるのを見たいかなと思いましたけど、山田さんのドラマを見てるとそれはありえないなと僕も思ったりもして。

松野:なんて書いてありましたっけ。武がそうなると…武がミスティファイになるのは良くないことって書かれていましたね。

石飛:謎めいてしまうっていう意味ですね。

松野:はい、武はすべてを見せなきゃいけないというのが山田さんのお考えでしたね。

石飛:武が謎めいているように見せて観客を宙づりにしてはいけないということでしたね。いやここに居合わせたかった。泉さんは素晴らしいところに立ち会われていたんですよね。

松野:当時はわかっていませんから…。書くのが一生懸命でもう全然意味が分からなかったです。ファシズムって何?とか思ってました。

石飛:武くんはファシズムの象徴であり、学校を病気で休んでた須藤くんっていうのが民主主義の象徴である…というようなことをお二人が話し合っていらして。でもあまりいい民主主義じゃない。だからこそ必ずしも全部礼賛ではないっていうところまでちゃんと描いているんですよね。

松野:たぶん安孫子はびっくりしていたと思います(笑)そこまで考えて書いてなかったような気がしますね。安孫子は本当に二人の愛と憎しみのドラマ、それにプラスアルファ少年社会でも、ある権力闘争のドラマを書きたいと思っていたのだと思います。

石飛:なかなかあそこまで激しく深く権力闘争を描いた作品はなかったと思いますので、そこが大きな魅力ですね。

松野:少年の映画っていうのはみんなきれいですからね。

石飛:大人が書くものですからやっぱり昔は良かったなぁみたいなものが多いですね。

松野:たぶん柏原兵三さんの小説が、そういうイメージを全部はぎ取った権力闘争のドラマだったことに安孫子は惹かれたのだと思います。

石飛:なるほど。それをさらに山田さんと篠田さんでこんな凄い映画に。

松野:していただきました!

石飛:素晴らしいなあと思いました。このメモの話でもう2時間ぐらい喋りたいんですけどまあ今日はこのぐらいにしておきまして、また別の機会にまたお話ししたいですね。

主題歌「少年時代」に込められた想い

石飛:この作品には素晴らしい主題歌がついてます。井上陽水さんのこの曲はどんな経緯でできたんですか?

松野:安孫子は映画が大好きで、それで「第三の男」のあのメロディーがすごく気に入っていました。いい映画には絶対素晴らしい主題歌がついていると思い込んでおりまして、そこを信じて、この「少年時代」の主題歌には井上陽水さんの声しかないと考えたようです。たまたま麻雀仲間だった井上陽水さんにこれまた手紙を書いてご依頼をしました。

石飛:井上さんはすぐ書いてくださったんですか?

松野:いえいえいえ、井上陽水さんはコンサート中だったのですが、そのコンサートを一本キャンセルされたくらいの…ちょっとスランプに入られてたみたいでた。でも安孫子さんが詩を書いたらやってもいいよっていうお返事をいただいて、それで安孫子は詩を書きました。

石飛:書かれたんですね!

松野:はい、(紙を出して)安孫子が書いた詩ですけれど、これちょっとですけど(と言って読んで紹介)…井上陽水さんじゃないですよね(笑)

石飛:(実際の主題歌は)全然違う詩になってますけれども。

松野:お送りしたあと、井上陽水さんからなかなかお返事がなくて。

石飛;また待たされたのですね。

松野:はい、また待たされて(笑) その後篠田監督からは、そろそろ予告篇に曲を入れなければいけないからまだかまだかと催促されまして。でも安孫子は漫画家ですから締め切り前に、すごくやってるのに催促されると嫌なんですって言うのです。もうやるもんかって思っちゃうのだそうです。ですからとにかく待って待って…。そうしたら井上陽水さんから事務所に電話がかかってきて今スタジオにいるから来てください!と。でもその時に安孫子がフッと思ったのは、ずっと曲を作ってくださいって言ったけども誰に歌ってくださいということは言ってない、どうしようと思ってスタジオに向かいました。

石飛:それが陽水さんの歌声で流れてきたわけですね。

松野:もう感激して帰ってまいりました。

石飛:いやー、凄いなー。もう陽水さんの全楽曲の中でも代表作のような曲ですもんね。とてもちょっとスランプだったなんて思えないすごい作品が出来ましたよね。

サプライズゲスト! 主人公・進二役の藤田哲也さんが登壇

トークが終盤に差し掛かったところで、石飛さんの呼びかけにより、主人公・風間進二役を演じた藤田哲也さんが客席から登壇。客席からは盛大な拍手が送られました。
現在は会社員をしているという藤田さんですが、当時の思い出や作品への思いを語りました。

藤田:風間進二役を演じました藤田哲也です。久しぶりに大きなスクリーンで鑑賞し、また懐かしい方々とお会いできて非常に嬉しいです。大人になり、48歳になった今改めて見返すと、子供たちの関係性の描写が本当に深くて、素晴らしい作品に出演させていただいたのだと感じます。
撮影当時の苦労話として、寒さとの戦いについての思い出も飛び出しました。

藤田:海辺で武を追いかけて走るシーンがあるのですが、実は真冬の2月に撮影したんです。白い息が出ないように、直前に助監督から氷を食べさせられて撮影に臨んだのをよく覚えています。

石飛:篠田監督はどんな印象でしたか?

藤田:一言で言えば「本当に怖かった」です(笑)。優しく褒められた記憶があまりなくて、子供心にも監督の威厳と凄みを感じていました。

山田太一さんが遺した言葉、そしてイベントの締めくくり

イベントの最後には、松野さんから、脚本を務めた山田太一さんが生前、作品の刊行物に寄せていたあとがきが朗読されました。
山田太一さん(あとがきより抜粋) 「柏原兵三さんの『長い道』も藤子不二雄Ⓐさんの『少年時代』も私にはほとんど自分の物語のようでした。(中略)傑作を脚色する至福を何度も感じました。 30年前、松竹大船で私は助監督として篠田作品につきました。今回久しぶりに親しく接し、その活力が少しも衰えていないことに感嘆いたしました。この監督の力で美しい富山平野の四季と少年たちの物語が現存せしめられたらどんなに魅力的な映画になるだろうと、胸が熱くなります。
時代のリアリティを追求したスタッフ・キャストの執念と、作品に注がれた深い愛情が改めて浮き彫りとなった今回のトークイベント。終始温かい拍手に包まれながら、特別な一夜は幕を閉じました。