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連載コラム「OZU活のすすめ」第23回 ~信州編 『父ありき』のロケ地と作品世界を巡る旅~

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皆さまこんにちは。OZU活のすすめ第23回は、長野県の小津スポットをご紹介します。小津監督は幾つもの作品で信州ロケを行っており、スクリーンに映る冠雪の山々や歴史ある城跡など、雄大な景観が私達を魅了します。今では失われてしまった風景もありますが、長野県には現在も撮影当時の面影を残すロケ地が存在します。今回は長野県にお住まいの小津監督ファンの方と共に、小津作品『父ありき』のロケ地と、より深く作品の背景を感じられるスポットを訪れました。

昭和17年公開の『父ありき』は、小津監督の少年時代が色濃く反映された作品です。石川県金沢市の中学校で教鞭をとる堀川先生は妻に先立たれ、小学生の息子・良平と2人で暮らしています。修学旅行の引率中、堀川先生のクラスの生徒が思いがけぬ事故で亡くなります。責任を感じた堀川先生は教職を辞し、良平を連れて生まれ故郷の長野県上田市へ向かいます。

「上田って大きい町?」「人口、何万やったかなあ?」初めて父の故郷を訪れる良平は、上田に向かう汽車の中で堀川先生に尋ねます。「繭の集散地やね……蚕糸専門学校があるがやろ」と学校で習ったのか、上田に関する知識を披露する微笑ましい会話もあります。息子の質問に丁寧に答える堀川先生は、口数は多くないものの、愛情深い父親であることが分かります。上田に到着した2人は墓参りの後、町の食堂で親子丼を食べました。

私達も歴史ある食堂でお昼をいただくことにしました。お城口天神通りに店を構える「肉うどん 中村屋」は、100年以上の歴史を持つ老舗の名店です。なんと明治21年に開業した上田駅と同じ頃に創業したそうです。

名物は甘辛く煮込まれた馬肉とネギが乗った肉うどん。こくのある甘めのつゆは馬肉を長時間煮込んで出汁をとっています。肉の旨味が溶け込んだ熱々のつゆに太めのうどんがよく絡み、箸が止まらなくなりますよ。

お品書きには天丼や親子丼などの丼メニューも並んでいます。『父ありき』の堀川親子にちなんで親子丼をオーダーするのもいいですね!柔らかい鶏肉に大きな椎茸。たっぷりの具材が入った親子丼はどこか懐かしく、ほっとする美味しさでした。

堀川先生が生まれ育った家は、今は人手に渡っています。食堂での会話から、堀川先生の父はお城で漢学を教えた先生であったこと。家を売って堀川先生の学費を工面してくれたことが分かります。食事を終えた2人はお城へ行ってみることにしました。

戦国武将・真田昌幸によって築かれた上田城は、徳川の大軍を2度も退けた「不落城」として知られています。天正11年(1583年)、昌幸は徳川家康の命を受けて上田城の築城に着手しますが、上州沼田領を巡って家康と対立し、城の完成を待たずに断行します。家康は上田城に7,000人余りの大軍を差し向けるものの、昌幸は僅か2,000人足らずで城に籠り、徳川軍を撃退しました。
それから15年後の慶長5年(1600年)、上田城は再び籠城戦の舞台となります。関ヶ原に向けて中山道を進軍する徳川秀忠は、家康から真田氏の平定を命じられます。秀忠は3万8000人の大軍を率いて降伏を迫りますが、昌幸は僅か2,500人で上田城に立て籠もりました。この籠城戦は大きな戦には至りませんでしたが、上田に足止めされた秀忠は関ヶ原の決戦に間に合わず、徳川軍にとって大きな痛手となりました。

上田城の広大な敷地は「上田城址公園」として整備されています。昭和24年に南櫓と北櫓、平成6年には東虎口の櫓門が再建され、江戸時代から現存する西櫓や石垣などと共にかつての城の面影を伝えています。本丸跡には歴代の城主を祀る眞田神社が鎮座しています。「不落城」であった城の歴史から、縁起の良い神社として多くの人々が参拝に訪れます。

城の南側は高さ12mもの断崖に面しています。更に崖下には千曲川の分流が流れ、上田城が自然の地形を活かした難攻不落の城であったことが分かります。「尼ヶ淵」と呼ばれたこの場所は、現在は桜の木々に囲まれた芝生広場となっています。

尼ヶ淵の断崖から芝生広場の向こうを眺めます。現在は商業施設や多くの住宅が立ち並んでいますが、かつては一面の桑畑が広がっていました。蚕糸業で発展した上田市は「蚕都上田」とも称され、蚕の餌となる桑の栽培も盛んに行われていました。昭和5年の地図を見ると、上田の市街地は広大な桑畑に囲まれていたことが分かります。

お城から上田の街並みを眺めた良平は、「ねえ、お父さん!上田の町って随分ちっちゃいね」「もっと大きな町かと思った」と呟きます。金沢市で育った周平には、桑畑に囲まれた上田の町はとても小さく見えたのかもしれません。

堀川先生は上田から2里(8km)ほど離れた村で住職を務める友人を頼り、寺に間借りをして村役場に勤めます。やがて良平が中学校の入学試験に合格すると、堀川先生は寄宿舎への入舎を勧めます。

堀川「なあ、良平、お前、中学へ入れたとなると、寄宿舎へ入らんといかんな」
良平「寄宿舎?」
堀川「上田の町へは通いきれんだろう」
良平「僕だけ上田へ行っちゃうの?」
2人の会話から、良平が上田の中学校に入学することが分かります。

長野県立上田高校は、明治33年に旧制上田中学校として開校した歴史ある学校です。上田城址公園から東へ400m程離れたこの一帯は上田城三の丸にあたり、上田高校の敷地には歴代の上田藩主が暮らした藩邸がありました。旧藩邸の表門だった薬医門が校門として使用されています。門の両脇に続く土塀と水濠が、往時の藩邸の面影を現在に伝えてくれます。生徒達から「古城の門」と呼ばれる校門は、同校のシンボルとして親しまれています。
旧制上田中学校には、遠方に住む生徒のために寄宿舎が併設されていました。良平はこの学校の寄宿舎で暮らしたのでしょうか。上田で生まれ育った堀川先生も、上田中学校の卒業生かもしれませんね。

『父ありき』の劇中で、お城の天守台に座る堀川親子です。実はこのシーンは上田城ではなく、長野県小諸市の小諸城で撮影されました。小津監督はこのシーンのために岐阜県の大垣城、高山城、石川県の金沢城、そして長野県の上田城、小諸城と幾つもの城跡をロケハンしました。1つのシーンのために3県を跨いでロケハンが行われたことに驚かされます。小津監督は幾つもの候補地に足を運び、最終的に小諸城をロケ地として選びました。このシーンに対する小津監督の特別な思いが伝わってきます。

お城のシーンが撮影された小諸城へ行ってみましょう。小諸城址は「市営公園小諸城址懐古園」として整備されています。上田駅から小諸駅まではしなの鉄道で20分程。小諸駅の地下通路を潜ると、小諸園の入口である重要文化財の「三の門」が迎えてくれます。

すり鉢状の地形に築かれた小諸城は、城郭が城下町より低い位置にあるという大変珍しい城です。低地にある城は容易に攻め込まれそうですが、小諸城の周囲は朝熊ヶ岳の噴火でできた深い谷と千曲川上の断崖絶壁に囲まれており、地の利を活かした天然の要塞となっています。

懐古園のほぼ中央に位置する天守台は、昭和17年の撮影当時と変わらぬ姿で佇んでいました。自然石を積み上げた工法は「野面積(のづらづみ)」と呼ばれ、戦国時代から桃山時代にかけて築かれた城に見られるそうです。大小様々な石を組み合わせた素朴な風合いが見事ですね。

天守台には豊臣秀吉に仕えた戦国武将・仙石秀久が築いた三層の天守閣が聳えていました。屋根には秀吉の家紋である五三の桐紋入りの金箔瓦が葺かれていたといいます。寛永3 年 (1626 年)、天守閣は落雷によって焼失しましたが、江戸幕府は再建の許しを与えず、天守台だけが残されました。

天守台に登ってみると面白いことに気付きました。小津監督はカメラを据える位置によって、堀川親子が座る向きを変えていました。天守台の下から撮影する時は北向きに座らせ、天守台の上で撮影する時は西向きに座らせています。石垣や風景を一番美しい角度で捉えようとする小津監督ならではのこだわりを感じました。

天守台の石積みを眺めていると、小津監督が少年時代に駆け回った松坂城の石垣に似ている気がしました。蒲生氏郷によって築かれた松阪城にも美しい野面積みの石垣がありました。東京で生まれ育った小津監督は、9歳の時に父の故郷である三重県松阪市に移住しました。父・寅之助さんは幼い小津監督を連れて松阪城跡を訪れたことがあったのでしょうか。良平が呟いた「上田の町って随分ちっちゃいね」という言葉には、小津監督自身の思い出が反映されているのかもしれません。

城の西北端にある「水の手展望台」からは、眼下に流れる雄大な千曲川を望むことができます。小諸城址と千曲川といえば、島崎藤村の「千曲川旅情の歌」を連想する方も多いのではないでしょうか。「小諸なる 古城のほとり 雲流れ 遊子悲しむ」 春まだ浅い小諸の自然と旅人の憂いを歌い上げた美しい詩は、藤村の代表作として知られています。

明治32年、藤村は恩師が開いた小諸義塾に招かれ、国語と英語の教師として教壇に立つことになります。藤村は懐古園に足繁く通い、城跡から望む浅間山や千曲川の風景を愛しました。小諸義塾に赴任した翌年、藤村は『千曲川旅情の歌』の原型となる2篇の詩を発表しました。雲を見上げてもの悲しく佇む旅人は藤村自身の姿に他なりません。昭和2年、藤村の友人達や小諸義塾の卒業生等の協力よって水の手展望台のそばに「千曲川旅情のうた」の詩碑が建てられました。藤村直筆の書が刻まれた詩碑は、昭和33年に開館した藤村記念館と併せて懐古園の見どころとなっています。

小津監督も藤村の詩を愛読していたのでしょうか。昭和8年、29歳の小津監督は信州と新潟を巡る旅の中に新年を迎えました。小諸市を訪れた1月4日の日記に「千曲川旅情の歌」の全文が記されています。

映画撮影のために日本各地を旅した小津監督もまた遊子(旅人)であったのかもしれません。『父ありき』の舞台となった上田市と、ロケ地となった小諸城を訪ねることで、物語の背景をより深く理解することができました。次回も長野県で撮影された小津作品のロケ地と、小津監督の作品世界をより深く知ることができるスポットをご紹介します。

文:ごとう ゆうこ

 

『父ありき』https://www.cinemaclassics.jp/ozu/movie/2884/

小津安二郎監督公式サイトはこちら https://www.cinemaclassics.jp/ozu/