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映画『釣りバカ日誌』よもやま話 【その20】

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【はじめに】
映画『釣りバカ日誌』シリーズは、時代が平成に変わる1988年12月24日お正月映画として、第1作が公開されました。
バブル景気やゼネコン疑惑など移り行く時代を背景に、建設会社の社長「スーさん」と平社員である「ハマちゃん」の釣りを通して結ばれた立場逆転の風変わりな友情を軽やかに描いたこの作品は、2009年に至るまでスペシャル版と時代劇版を含む全22作品が製作された人気シリーズです。

【撮影の思い出】
シリーズ全作品の現場に参加した唯一のスタッフである岩田均さんに、撮影当時のお話を伺いました。
岩田さんのプロフィールは、コチラ
https://www.shochiku.co.jp/cinema/history/interview/vol-4/

【今回の作品】
映画『釣りバカ日誌20』
2009年12月26日公開。

- シリーズの最終作の撮影に臨む気持ちはどのようなものでしたか。
それは『釣りバカ日誌18』の撮影をしている時のこと。西田さん三國さん、朝原監督との世間話の中で、西田さんから「そろそろシリーズの終わりを考える時期が来たかな」の一言が出てきた時のことを、今も強烈に覚えています。その時が近づいていることは分かっていましたが、ゾクッとしました。

- 何気なく、そのお話になったのですね。
「キリが良いのは20本かな?そこまでは頑張ってやりましょう」と西田さんがおっしゃって、三國さんも頷かれ、私も「ですね」と返答したことを覚えています。

- 最後に釣るお魚はどのように決められたのですか。
有難いことに『釣りバカ日誌』には、毎年たくさんの地方ロケのタイアップ申し込みを頂いていて、その中から場所とストーリーに反映させるスタイルがいつの間にか出来上がっていました。

- 地方ロケ先の皆さんの厚い協力体制に支えられてきたと伺いました。
西田さんが『19』の撮影現場で、「最後の『釣りバカ』は物語にあった好きなところに行きたいな。例えば、スーさんとハマちゃんの二人がモンゴルの原野で幻の魚イトウを追いかけて、釣りをしながら旅していく。本当の釣りバカ二人のストーリーなんてどうかなあ、無理かもしれないけど」とおっしゃいました。

- モンゴルですか!!
それを伺って「やりましょう!少々お時間をください!」ということで、モンゴルロケの可能性をロケの現地経験者やモンゴル関連の会社に相談しました。実現に向けて、本気で調べはじめたのです。

- 唯一の海外ロケになるところでしたね!
ギリギリまで検討したのですが、西田さん三國さんお二方の御体調を考え、万が一何かあった場合にジェットヘリで中国に入れるか?ということに対して「手配ができない」こと、ロケ撮影経験者から聞いた「食べ物が安定して届かなかった」ことなど、撮影以前に生活を確保できないのでは?ということがネックになり、モンゴル行きは断念しました。

- 残念でしたね!
でも幻の魚「イトウ」を釣るというテーマは残すことになりました。そしてイトウを求め、北海道へシナリオハンティングに出かけました。

- そもそもイトウは、どんなお魚ですか。
サケ目サケ科イトウ属に分類される、絶滅危惧種に指定されている淡水魚です。糸のように細長い体型を持つ個体が多いことから名付けられたとされているようです。ゆっくり成長して、成魚は普通でも1~1.5ḿの大きさになります。イトウはなんでも食べてしまうので「釣り上げて料理しようと腹をさばいたら、猫を丸飲みしていていたことがあって震えあがりました」と話された方もいらっしゃいました。

- 初めてイトウを御覧になったのはどちらですか。
標津町にある水族館「標津サーモン科学館」です。調べている内にいろいろなことがわかってきて「これをハマちゃんスーさんが釣り上げるのか!?撮影できるのか?」と不安になりました。

- 大きすぎるからですか?
イトウは生まれた川から海に出て、必ず同じ川に戻ります。イトウは他のサケ科の魚に比べると見た目が長細く、平らな頭に大きな口と特徴的な顔をしていますが、「川ごとに顔が違う」と言われてるくらいです。なので、撮影の時に別の川で育ったイトウを持ってきて、リリースすることは出来ません。遺伝子が混ざってしまうからです。

- 以前、撮影用の魚は多めに用意する、とおっしゃってましたが…
『釣りバカ』で魚を釣り上げるシーンの時には、同じ魚を何匹か用意して、カット毎に弱った魚を交換しながら撮影しますので、カットが多ければ多いほど、必要な魚の数も多くなります。撮影すると決まった川でイトウを何匹も用意する、という大変なミッションをクリアしなければならなくなりました。

- 簡単には用意できないですよね。
プロの方にお願いしても簡単には釣れません。演出部1名を撮影の一か月前に「イトウ捕獲人」として、本隊に先んじて送り込みました。助監督が一人付きっきりで、現地の方と協力して撮影の舞台となる川で網を駆けたりして、やっと「同じ川で釣った8匹のイトウ」を確保することかできました。

今回の舞台は北海道

- カヌーでの釣りも印象的です。
ロケハンでは釧路湿原を4時間も漕いで川下りをしました。ロケハンは冬でしたが、実際の撮影は春から冬に変わる時期でした。この辺りでは本州にいない虫が沢山活動していて、重装備にもかかわらず虫に刺されるスタッフが出てくる中、西田さん三國さんは何故か全く刺されませんでした。以前も他は全員船酔いしている時、お二方だけは元気だったこともありました。他の人とは違う何かがあるのかもしれません!

- お天気に悩まされたお話をよくされていますが、この時は晴れていますね。
7月のロケの時は時間の制約があり、曇天の下で一度撮影しました。でもここは本当に大切なシーンなのでどうしても「晴れた空の下の釣り」の画が欲しい、ということで8月に再度撮影し直しました。シリーズ最後の作品ですから特別に!

- 8月は晴れが多いのですか。
いえ。せっかく用意して行ったのですが、大雨でした。アウト!です。めちゃくちゃ寒い中、待つこと数時間…。一瞬日が差しました。7月に撮影していたことがリハーサル代わりになって全て段取りよく進み、晴れている間の1時間で全てのシーンを撮る終えることができたのです。一瞬だけ晴れたのも、分量が多い撮影を短時間で終わらることができたのも、まさに奇跡!です。『20』は、私のほぼ理想の撮影スタッフ編成が出来たのですが、その団結力もあったと思います。

奇跡的に晴れた中で撮影!

- ハマちゃんスーさんや松坂慶子さん演ずる葉子が宿泊するのは、中標津ですね。
スケジュールを合わせきれなくて、出演者の方々は飛行機の時間の都合で中標津空港ではなく、釧路空港に到着されました。迎えに行くのに往復4時間以上かかり、北海道は本当に広大だなと改めて痛感しました。

- ハマちゃんスーさんは、素敵なお宿に泊まられてますね。
養老牛温泉の「旅館藤や」です。夜になると、国の天然記念物のシマフクロウがやってきます。池で飼っているヤマメ目当てだったようです。川べりの露天風呂から、釣りができるようになっていたり、素敵なホテルでした。

- ホテルが集まっている場所なのですか。
いえ。撮影現場への移動には苦労しました。製作部では、撮影用の車輛で迷わずに現場に辿り着けるように地図を作るのですが、広い上に曲がり角にする目印がなくて、コーンに矢印を付けたものを置きました。まるでオリエンテーリングのようでした。

- 思い出の場所ですね。
映画『男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎』でもロケをしているんですよ。私自身は朝間義隆監督の映画『椿姫』(88)の撮影の時に、養老牛温泉に伺って以来でした。その作品の主演は松坂慶子さんでしたから、今回も御縁があってとても感慨深いものがありました。

- 人気のホテルですね。
撮影の2、3年後に閉館しました。『釣りバカ』の中に、この素敵な宿を残せてよかったと思います。

中標津の美しい自然の中で

- スーさんが三途の川を渡ろうとするシーンは驚きました。
撮影自体は雪が無くなった春ですが、ロケハンで撮影場所を探したのは春がまだ遠い冬で、場所によっては1~2メートルの雪が残っていました。あの世へ向かおうとするスーさんの道行きに選んだ場所は、地獄谷です。ガスが噴き出している場所ではありましたが、規制があるとは思っていなかったので、撮影場所に決めました。雪が溶けてから再訪してビックリ!侵入禁止の立て看板がありました。ロケハンの時には雪で埋もれて見えなかったのです。

- どうされたのですか?
道庁や町からは「危険なことをしないのであれば」と撮影許可を頂きましたが、直接管理をしている公園管理事務所の方は「規則があるから…」と困っていました。折衷案として、ガスが出ていない場所で撮影をさせて頂きました。それでも人数制限があり、一般のエキストラは入れられないので、撮影スタッフが三國さんの周りを囲むようにして出演しています。私もその一人です。その時に初めて天冠(幽霊が付けている三角の布)を付けました!

- 最後に会長がお話をするシーンも心に残ります。
『18』の社長退任の演説シーンと同じく、このシーンは『釣りバカ日誌』に愛着を持っている方々にお願いするべきだ、ということで、原作を連載している「ビッグコミックオリジナル」で募集をかけて頂きました。この時も全国各地から集まって頂いて本当に胸が熱くなりました。

- このシーンの撮影が終了した時は、どんなことを思われましたか。
ホールでの撮影が終わった時、私はこの場にはいませんでした。

- どうしてですか?
佐々木課長、途中から次長として長くシリーズを支えて下さった谷啓さんも、このシーンに参加してくださいました。この時、体調含めてあまり本調子でなかったところを、特別に御出演頂いたのです。撮影後の控室まで御一緒して、その後にお見送りをしました。この作品が谷さんの最後の映画出演となりました。とてもとてもお世話になりましたので、撮影の最後にタイトルバックでご一緒できて本当に良かったです。たくさん楽しいお話を聞かせて頂いたことを、思い出します。

晴れやかな笑顔

- セット撮影を全て終わられた時はいかがでしたか。
クランクアップは2009年7月6日でした。シリーズ22年間の撮影が終わった時、出演者、スタッフ、ずっと助けて下さった東映撮影所をはじめとする関係者から、大きな歓声があがりました。隣のセットで撮影している組から苦情が来たほどです。ちょっとやそっとの大きさでは隣のセットに音が漏れることなんてありませんからね。いかに大きな声だったか、よくわかります。怒っていたお隣の組の製作部の方も事情を話したら、ねぎらってくれました。

- 万感の思いですね。
実はクランクアップした瞬間、私はホッとした気持ち、完投した嬉しさと同時に、映画『釣りバカ日誌』が終わってしまうことが嫌で、セットから逃げ出して、スタッフルームに引きこもりました。無理やり、その時にやらなくても良い経費精算をしたりして。しばらくすると助手さんが「何してるんですか!写真を撮りますよ!」と呼びに来て、引っ張られるようにしてセットに戻りました。

- 目に浮かびますね。
万感の思いを込めた集合写真の撮影が終わると、スタッフが私の周りに集まってきました。「何事?」と思ったら、皆で私を胴上げしてくれました。胴上げされたことは、後にも先にもあの時だけです!宙に舞いながら「本当にこの作品に携われて良かった」と心から思いました。

思い出の集合写真(写真提供/松竹)

そして、この時。私と『釣りバカ日誌』シリーズの22年間は、終わりを告げたのでした。

映画『釣りバカ日誌』シリーズ
商品 (DVD・DVD―BOX)
https://www.shochiku-home-enta.com/c/series-turibakanisshi

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