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連載コラム「銀幕を舞うコトバたち(23)」
夫婦はこのお茶漬の味なんだ。

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 家族や夫婦を描くことが多かった小津安二郎の映画に食べ物は欠かせない。食べものがそのままタイトルになった作品もいくつかある。プリントが失われてしまった『カボチャ』は毎日カボチャばかり食べさせられてウンザリしているサラリーマンが主人公で、カボチャを抱えて電車に乗って捨てに行く喜劇だったようだし、遺作は『秋刀魚の味』。その次回作として小津が構想していたのは『大根と人参』だった。
 しかし、タイトルが食べ物で、しかもその食べ物が映画の主題を言い表している作品となると、『お茶漬の味』を置いてほかにない。

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 もともと、お茶漬は小津の大好物。燻製の鮭を火鉢で焼いてご飯に乗せ、手早く熱いお茶をジューッとかけて食べるのが好きだった。従軍中の日記にも食べたいものとして「鯛茶」や「白菜で茶漬」を挙げている。ただし、ここに登場するのは残っていたご飯にお茶をかけるだけのシンプルなお茶漬である。
 少し倦怠期にある中年夫婦の話だ。山の手のお嬢さま育ちの妻を演じるのは木暮実千代。女友だちと気ままに遊んだり、夫に無断で旅行に行ったり、まさに有閑マダムといった役どころで、無口で少々野暮ったい、佐分利信演じる夫のことが何かと気に入らない。

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 たとえば、夫がご飯に味噌汁をかっこむのが大嫌い。一方、夫は自分が本当に好きなのは、煙草なら安い「朝日」、汽車なら「三等」、要するに「インティメートで、プリミティブな、遠慮や気兼ねのない気易さ」なのだと妻に説明する。
 意志の疎通を欠き、微妙にギクシャクしたままだった関係がふとしたことからお互いを見直し、夫婦の絆を深めるのだが、その象徴となるのがお茶漬である。夜中に二人でしみじみと食べながら、妻が漏らす。

「遠慮や体裁のない、もっと楽な気易さ……わかったの、やっと今……」

 夫がつぶやく。

「夫婦はこのお茶漬の味なんだ」

 人間、気取らないのが一番だよという小津の声が聞こえてきそうだが、本作でお茶漬と並んで、もう一つインティメートでプリミティブな食べ物として描かれるのがラーメンである。こちらは若いカップルのデートの場面に登場する。鶴田浩二が津島恵子に「ラーメンはおつゆがうまいんですよ」と嬉しそうに説明する。

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 鶴田はさらにこう付け加える。

「こういうものは旨いだけじゃいけないんだ。安くなくっちゃ」

 これは小津の食に対する考えを代弁しているセリフと言ってもいい。小津が好きだったのは気取ったタイプの高級店より職人気質の店、凝った料理よりとんかつ、鰻、天ぷら、ラーメンなどそのものズバリの素朴な料理だった。小津は店の名前と住所や手描きの地図まで載せた通称「グルメ手帖」を残しているが、記されているのはそんな店ばかりだ。
 ところで、小津作品の食のシーンにおける大きな特徴はそこにある料理が何であるかをはっきり見せないことにある。今どきのグルメ映画のように食べ物を真上から撮って、いかにも旨そうに見せることをしない。ローアングルだから当然と言えば当然なのだが、ぼくは小津なりの理由があったと勝手に推察する。
 まず、主役は人であって、料理ではないということ。さらに、食欲という人間の欲望をあからさまに見せることに抵抗があったからではないかと思う。つまり、品性や節度の問題である。
 小津とは親しかった女優の高峰秀子がこんなことを言っている。

「人間が物食べてるのはほんとうに見苦しいとあたしは思うんですよ。アゴをガクガクやっちゃって。それと食べながらものをいうってことがとてもできない。できるほうがおかしいと思うんですけど」(川本三郎著『君美わしく―戦後日本映画女優讃』より)

 きっと小津も同じ思いだったに違いない。

 

文 米谷紳之介

 


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