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連載コラム「銀幕を舞うコトバたち(22)」
間に合うってことは、つまんないことね。

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 ファム・ファタール。今さらぼくが言うまでもなく、「運命の女」と訳されるフランス語だ。「悪女」の意味もあり、フィルム・ノワールやハードボイルド映画には欠かせない存在である。こう書くと、親子や家族のかたちを描き続けた小津安二郎の映画(とりわけ戦後の小津作品)には無縁にも思えるが、あえて小津映画におけるファム・ファタールを指名するとすれば、やはり『早春』の岸恵子以外にいない。

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 『早春』(1956年)は『東京物語』(1953年)から3年のブランクを経て公開された作品である。この間、田中絹代の監督作『月は上りぬ』実現のために奔走したという事情があったとはいえ、戦後はほぼ年1本のペースで映画を撮り続けた小津には異例のこと。『東京物語』で映画表現の高みに到達した小津が次の作品を模索する助走期間であったような気もする。結局、小津が次に選んだのは東京郊外から都心に通勤するサラリーマンの暮らしを描いた『早春』だった。
 池部良演じるサラリーマンが33歳、淡島千景の妻が30歳という設定は、笠智衆や佐分利信ら熟年、老年を主人公にしてきた戦後の小津作品には珍しい。サラリーマン社会の出世や派閥、左遷、定年退職、転勤、転職といった要素が散りばめられ、その中心に不倫という問題が据えられているのだから、極めて今日的な物語でもある。ところが、この映画、サラリーマン物やホームドラマの枠には収まらない不思議な味がある。シリアスでもなく、かといって喜劇でもない。この独特のテイストの中で一際輝いているのが岸恵子だ。

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 小津は俳優を決めた上でシナリオを書いた。いわゆる当て書きである。もちろん、岸恵子が池部良の不倫相手にも決まっていたわけで、小津は彼女について「岸恵子はいいよ。身持ちが悪くって」という独特の言い方で賛辞を贈っている。そして『早春』で彼女が演じたのが「ズベ公」と揶揄されたり、煮ても焼いても食えないから金魚というあだ名をつけられているOL。さすがに「ズベ公」はないだろうと思うのだが、劇中で「ジェラール・フィリップに似ている」とも評される池辺良を惑わすに十分な色気を漂わせ、奔放にふるまう。小津映画には貴重なキスシーンもある。絡みつくような細い肢体と少し浮世離れした甲高い声。当時24歳ながら、ついファム・ファタールと呼びたくなる匂いがする。
 この映画の面白さに不倫に対する周囲の反応がある。2人の仲間たちが非難するだけでなく、査問会だ、吊し上げだと声を上げるのは今の芸能マスコミのよう。一方、妻の淡島千景は愛想をつかして家を出るのだけれど、彼女の周囲の女性は案外冷静だ。

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 ご近所の杉村春子も、淡島の母も友人もそれぞれ過去に夫の不倫を経験していて、そんなものはあって当然という態度である。とりわけ、浦辺粂子が演じた母だ。自分の亭主の女癖の悪さを例に挙げて、「折れるべき時に折れないとね、取り返しのつかないことになりますよ」とやんわり説得する。
 しかし、もっと気になるセリフがある。淡島千景の友人が洗濯物のアイロンかけを手伝いながら、具合いの悪くなったアイロンの買い替えを淡島に提案する場面だ。


「アイロンぐらい買いなさいよ」
「買えりゃ買うわよ。でも結構それで間に合うんだもの」
「間に合うってことは、つまんないことね」

 
 この何気ないセリフを額面通り受け取るわけにはいかない。何しろ小津と野田高悟が言葉の吟味を尽くしたシナリオである。映画の文脈から考えれば、夫も妻もお互い「間に合っているうちはまだ代わりはいらない」と解釈できなくもない。「間に合っている」とは少々忍耐を必要しても、夫婦関係を継続できるレベルというところか。そして、そんな夫婦関係は独身者から見れば「つまらない」。一応、映画の終盤、笠智衆に「いろんなことがあって、本当の夫婦になるんだ」と正論を吐かせているが、小津の真意はこの「間に合う」という表現に隠されている気がする。小津が考える夫婦像、ひいては生涯独身を通した理由とも結びつけたくなる。

 

文 米谷紳之介

 


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