連載コラム「OZU活のすすめ」第27回 ~上野編 『長屋紳士録』『東京物語』のロケ地巡りと上野の山の歴史を辿る~
カテゴリ:連載コラム「OZU活のすすめ」
皆さまこんにちは。OZU活のすすめ第27回は上野をご紹介します。台東区の西北に位置する「上野恩賜公園」は、明治6年に日本初の公園として開園しました。園内には動物園、博物館、美術館など多くの文化施設が点在し、様々な文化や芸術に親しめる文化的拠点として知られています。
上野公園がある高台は武蔵野台地の東端にあたり、古くは「忍岡(しのぶがおか)」と呼ばれました。江戸時代には忍岡に江戸城の鬼門を守る「寛永寺」が創建され、30万坪にも及ぶ寺領には多くの堂宇が建てられました。桜の名所としても知られた寛永寺は大勢の参拝者で賑わい、江戸の人々は親しみを込めて「上野のお山」と呼ぶようになりました。
小津監督は上野公園の博物館や美術館を度々訪れ、身近な上野の風景を映画にも登場させました。今回は『長屋紳士録』と『東京物語』のロケ地を訪ねるとともに、江戸の人々から愛された上野の山の歴史を辿ります。

まずは上野公園の山王台に建つ「西郷隆盛像」を訪れました。薩摩藩の下級武士として生まれた西郷隆盛は、薩長同盟の仲介や江戸城の無血開城を成し遂げた明治維新の功労者として知られています。彫刻家・高村光雲の手による銅像は、明治31年に見晴らしのいい山王台に建てられました。愛犬のツンを従えた堂々たる姿は「上野の西郷さん」の名でお馴染みですね。着流しに兵児帯を締めて草鞋を履いた姿は、兎狩りに出掛ける様子を表しています。この銅像の周囲では、昭和22年公開『長屋紳士録』のラストシーンが撮影されました。

小津監督の戦後復帰作となった『長屋紳士録』は、焼け跡に建つ長屋で暮らす人々と、父親とはぐれた少年・幸平の触れ合いを描いた作品です。物語の後半、幸平は迎えに来た父親と長屋を去っていきます。幸平に母親のような愛情を抱いていた荒物屋のおたねは、また子供を迎えることはできないかと八卦見の田代に相談します。田代は亥年のおたねに縁起の良い乾(いぬい:北西)の方角を示します。

たね「乾の方って、どっちさ」
田代「まあ本郷か下谷の方じゃろか」
為 吉「上野なら西郷さんだい」
田代「まあ、その近所を探して見るんじゃよ」
たね「うん、西郷さんね・・・・銅像ね・・・・」
じっと手を見るおたねに続いて、上野公園の西郷隆盛像が映し出されます。西郷さんが立つ台座の周囲には戦災で家族を失った大勢の孤児達が遊んでいます。

太平洋戦争の末期、度重なる空襲によって東京の街は焦土と化しました。上野駅の地下道には焼け出された人々が押し寄せ、その中には家族を亡くした多くの孤児も含まれていました。終戦後も孤児達に十分な支援はなく、生きていくために窃盗などの犯罪に手を染めたり、飢えや寒さで命を落とす子供も少なくありませんでした。『長屋紳士録』は終戦後2年近くを経ても上野に孤児が溢れていた現実を映し出します。西郷隆盛像の周囲にいるのはまだあどけない顔をした少年ばかり。穏やかな日差しの下、束の間無邪気に遊ぶ姿に胸を打たれます。

映画は西郷隆盛像の後ろ姿を写して終わります。子供達を見下ろす西郷さんは何を思うのでしょうか。脚本には「やがて子供達は幸せになるであろう」とト書が添えられていました。子供達の明るい未来を願う小津監督の思いが込もったラストシーンです。『長屋紳士録』では、上野動物園でおたねと幸平がキリンを見るシーンも撮影されています。スクリーンには当時上野動物園で飼育されていたキリンの姉妹「ミナミとフジ」が登場しますよ。

山王台を後にして上野公園の北部エリアへ。東京国立博物館前の屏風坂通りを東へ進み、両大師橋の袂にある「寛永寺」の旧本坊表門を訪ねました。この門前では昭和28年公開『東京物語』の撮影が行われました。門の入口には、劇中に登場する石積みと寄進者が刻まれた玉垣が当時のまま残っています。

『東京物語』は小津監督の代表作ともいえる作品です。かつては固い絆で結ばれた家族が、いつしか希薄な関係になってしまう寂しさや人生の悲哀を、小津監督は一組の夫婦の目を通して丹念に描き出しました。家族という普遍的なテーマを扱った『東京物語』は、公開から70年以上を経た今も世界中で愛され続けています。
広島県尾道市に暮らす平山周吉と妻のとみは、独立した子供達に会おうと久しぶりに上京します。開業医の長男と美容院を営む長女の家を順に訪れますが、仕事や生活に追われる子供達は十分なもてなしができません。両親を持て余した子供達は周吉ととみを熱海に行かせますが、団体客の騒音に悩まされた2人は予定を切り上げて長女の家に戻ります。タイミング悪く店で講習会を開く日に戻ってきた両親に長女は迷惑顔。仕方なくとみは戦死した次男の妻・紀子のアパートへ、周吉は尾道で親しくしていた知人を訪ねて一晩泊めてもらうことにします。

一息つく間もなく長女の家を出た周吉ととみは、紀子の退勤時間まで上野公園で時間を潰します。歩き疲れた2人は旧本坊表門の傍らに座って休憩します。そろそろ行こうかと立ち上がった周吉はとみが座っていた場所に視線を走らせ、置き忘れた日傘を指差します。照れ笑いをしながら日傘を取りに戻るとみ。長年連れ添った夫婦ならではのやり取りが見事に表現されています。

寛永寺は寛永2年(1625年)に江戸城の鬼門を守る祈願寺として創建されました。創建者の天海僧正は徳川家康、秀忠、家光が三代に渡り深く帰依した天台宗の僧侶でした。京都御所の鬼門を守る比叡山延暦寺と同じく、寺号は創建時の年号から命名され、東の比叡山という意味を込めて「東叡山」の山号が付けられました。
天海僧正は延暦寺に見立てた寛永寺の周囲に、様々な上方の名所を再現しました。京都の清水寺を模した懸造りの清水観音堂を建立し、不忍池に中之島を造成して琵琶湖の竹生島から辯才天を勧請しました。参道には奈良の吉野山から取り寄せたヤマザクラが植えられ、元禄時代には多くの花見客が訪れる桜の名所となりました。

承応3年(1654年)、後水尾天皇の第三皇子・守澄(しゅちょう)法親王が三代目の山主となり、朝廷より輪王寺宮(りんのうじのみや)の称号が下賜されました。以来、寛永寺は歴代山主を皇室から迎えることとなり、徳川家の菩提寺であるとともに朝廷に深い所縁を持つ寺院として発展していきます。周吉ととみが休憩した旧本坊表門は、寛永寺の山主が起居した本坊の正門として建てられました。門の周囲には皇室ゆかりの菊花紋があしらわれ、輪王寺宮の格式の高さを表しています。
寛永寺創建から242年後の慶応3年(1867年)、徳川十五代将軍・徳川慶喜は大政奉還によって朝廷に政権を返上し、江戸幕府は264年の歴史に幕を下ろしました。翌年、鳥羽・伏見の戦いに敗れた慶喜は江戸に戻り、寛永寺に謹慎して朝廷への恭順を示します。これに異を唱える幕臣達は「彰義隊」を結成し、慶喜の警護を名目として寛永寺に駐屯しました。江戸城が新政府軍に明け渡され、慶喜が水戸へ退去した後も、彰義隊は寛永寺に留まり続けました。事態を重く見た新政府軍は寛永寺に攻め込み、彰義隊と激しい戦闘を繰り広げます。

「上野戦争」と呼ばれるこの戦いで上野の山は戦場と化し、寛永寺の堂宇は殆ど焼失してしまいました。寛永寺の寺領は新政府軍に没収され、上野公園の敷地となります。明治15年、上野戦争で焼失した本坊の跡地に博物館(現東京国立博物館)が開館し、被災を免れた旧本坊表門は博物館の正門となりました。その後関東大震災で博物館は大きな被害を受け、昭和12年に現在の東京国立博物館本館が再建されました。博物館の再建に伴って旧本坊表門は移築され、現在は寛永寺の檀信徒会館「輪王殿」の正門として使用されています。

平成22年から2年の歳月をかけて旧本坊表門の修復保存工事が行われました。修復前の解体調査で門に黒漆が塗られていたことが判明し、総漆塗りの黒門に鮮やかな弁柄漆の菊花紋が映える創建当初の姿が蘇りました。門に残された幾つもの弾痕や砲弾の穴は上野戦争の激しさを伝える歴史の証人として、補修を施された上で大切に保存されています。

周吉ととみは旧本坊表門を後にして両大師橋を渡ります。軽やかに歩いていく子供達と、疲れた足どりでゆっくりと欄干に近づく2人の対比が印象的です。

欄干に並んで東京の風景を眺める周吉ととみ。橋の下には上野駅から伸びる幾本もの線路が並んでいます。2人が見ている風景はスクリーンには映りません。ただ会話の背景に列車の音が重ねられています。
周 吉「なアおい、広いもんじゃなあ東京」
とみ「そうですなあ。ウッカリこんなとこではぐれでもしたら、一生涯探しても会わりゃしやせんよ」
まるで今生の別れのような寂しいセリフは、見知らぬ土地で離れ離れに一夜を過ごす2人の寄る辺なさを際立たせます。

多くの路線が集中する上野駅は、東北・北陸・信越方面へのターミナル駅として、古くから東京の「北の玄関口」の役割を果たしてきました。上野駅は小津監督の作品に度々登場します。昭和11年公開の『一人息子』では信州に暮らすおつねが息子に会うために上野駅に降り立ち、昭和32年公開の『東京暮色』では、東京に暮らす娘に心を残しながら喜久子が室蘭へと旅立ちます。両大師橋の下を走る幾本もの線路は、様々な人生が交差する東京の一面を表しているような気がします。
上野周辺のロケ地を訪れた今回のOZU活。今回ご紹介した以外にも、東京国立博物館の前庭では昭和26年公開『麥秋』の撮影が行われました。緑豊かな上野公園を散策するのも楽しく、清水観音堂や五重塔など上野戦争の被害を免れた寛永寺の堂宇が江戸時代の趣きを伝えてくれます。ロケ地巡りと共にぜひ江戸の人々に愛された「上野のお山」の面影を辿ってみてはいかがでしょうか。次回は上野公園の南側に広がる上野の繁華街へ。小津監督お気に入りのグルメを紹介します。
文:ごとう ゆうこ

『東京物語』https://www.cinemaclassics.jp/ozu/movie/2846/

『長屋紳士録』https://www.cinemaclassics.jp/ozu/movie/2869/
小津安二郎監督公式サイトはこちら https://www.cinemaclassics.jp/ozu/












