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連載コラム「OZU活のすすめ」第20回~深川編 油堀川跡から小津安二郎の散歩コースを辿る~

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皆さまこんにちは。OZU活のすすめ第20回は、前回に引き続き小津安二郎生誕の地「深川」をご紹介します。深川を象徴する風景といえば、水面に丸太が浮かぶ「木場」(貯木場)を連想される方も多いのではないでしょうか。江戸の街が発展し人口が増加すると、火災が頻繁に発生するようになりました。寛永18年(1641)、幕府は防火対策のために日本橋や神田周辺にあった材木の集積場を隅田川の対岸へ移転させます。最初は永代島、次に深川の埋立地が移転先として指定されました。元禄14年(1701年)、材木商達の尽力により広大な「木場」(貯木場)が完成し、江戸市中で使用される木材の取引と物流の拠点として発展していきます。

湯浅屋の前を流れていた油堀川は、隅田川と木場を結ぶために開削された人工の水路でした。木場に集積された木材は油堀川を通じて江戸市中へと輸送されました。油堀の名は、沿岸の佐賀町や福住町に油問屋が多くあったことから名付けられたそうです。川岸に立ち並ぶ蔵や材木を連ねた筏が隅田川へ向う風景は、小津監督にとって馴染み深いものであった筈です。

昭和44年に貯木場は新木場へと移転し、跡地は埋め立てられて木場公園が整備されました。輸送経路としての役割を終えた油堀川は昭和50年に埋め立てられ、その上には首都高速9号深川線が走っています。油堀川は「十五間川」とも呼ばれ、その名の通り15間(約28m)の川幅がありました。高速道路の高架下を歩くと、その川幅の広さを実感することができます。まずは湯浅屋跡に建つ結城運輸倉庫から木場方面に向かって、油堀川の川筋を辿ってみました。

高架下を10分程歩くと、油堀川に架かっていた「和倉橋」の親柱が残されていました。案内板には昭和4年竣工とあり、アール・デコを思わせるモダンなデザインに目を惹かれます。この一帯の古い町名は「和倉町」といいます。大正12年3月、宮前村の代用教員を辞した小津監督は、先に上京した家族が待つ深川区和倉町16番地(現江東区冬木)の家に落ち着きました。

東京に来ても未だ就職口がきまつてゐない。
二三ヶ月遊ぶ覚悟じやないとだめだつて兄貴は云ふ。元からその方が結構なんだ。
一略一
私もいよいよ上京する様な有様どうぞ一度立ち寄つて下さい。

松阪を発った2日後、大正12年3月30日の消印が押された友人宛の手紙には、上京の報告と和倉町の家への行き方が記されています。先のことは決まっていないものの、19歳の小津監督が書く明るい文面は東京生活への希望に満ちています。

大正12年当時はまだ橋はなく、「わぐらの渡し」という渡し舟がありました。昭和9年に書かれた小津監督の日記に和倉橋の名を見ることができます。

昭和9年2月9日(金)
和倉橋を渡つて眼医者に行く
目の血環(管)が破けたとのこと
当分禁酒

和倉町の家は関東大震災で焼失したため半年程暮らしただけでしたが、亀住町に転居した後も和倉町が小津監督の生活圏内であったことが分かります。

油堀川跡を辿るのはここまでとし、和倉橋跡から富岡八幡宮を訪れました。富岡八幡宮は寛永4年(1627)に創建された江戸最大の八幡様です。清和源氏の末裔を名乗る徳川将軍家は、源氏の氏神である八幡大神を尊崇しました。富岡八幡宮は徳川家の手厚い保護を受けて発展し、広大な社有地は60,508坪にも及んだといいます。庶民からも深川の八幡様として親しまれ、多くの参拝者で賑わう門前町は商業地として活況を呈しました。

毎年8月15日に行われる例祭「深川八幡祭り」は、江戸三大祭の一つに数えられています。3年に1度の本祭には各町から54基の神輿が集結し、「ワッショイ」の掛け声と共に深川の氏子各町を練り歩きます。神輿の担ぎ手は沿道の観客から清めの水を盛大に浴びせられることから、「水掛け祭」とも呼ばれています。

小津監督の日記にも富岡八幡宮の例祭の様子が記されていました。

昭和10年8月15日
細雨
一略―
深川八幡宮の祭礼にて雨の中にみこしあまた通る

何基もの神輿が「ワッショイワッショイ」の掛け声と共に賑やかに通っていく様子が目に浮かびます。雨の中の神輿は大変な迫力がありそうですね。

富岡八幡宮の境内には本殿の他にも多くの末社が祀られています。「永昌五社稲荷神社」は、和倉町の干鰯問屋にお祀りされていた五社稲荷が、明治29年に八幡宮境内の永昌稲荷に合祀されて生まれました。現在も肥料関連企業から篤い信仰を集め、毎年7月に例大祭が行われています。

深川には干鰯を水揚げし、仲買人との取引を行う「干鰯場」という流通の拠点がありました。銚子場、永代場、元場、江川場の4箇所があり、肥料問屋は利用する干鰯場によって、銚子場組(銚子場、江川場)と永代場組(永代場、元場)に分かれていました。湯浅屋は和倉町にあった江川場を使用しており、銚子場組の所属にあたります。

永昌五社稲荷の前には、江川場を利用していた肥料問屋が住吉神社に奉納した狛犬や石の鳥居が並んでいます。宝暦13年(1763)に奉納された狛犬の土台と、嘉永元年(1848)に奉納された石の鳥居には「江川場売手中」として湯浅屋の名が刻まれています。

住吉神社は古くから農耕や航海安全の神様として信仰されてきました。千鰯を扱う肥料問屋にとって、漁の安全と五穀豊穣は何よりの願いだったことでしょう。永昌五社稲荷の東隣には八社の神社が合祀された合末社があり、住吉神社はその中の一社としてお祀りされています。

富岡八幡宮は、勧進相撲発祥の地でもあります。貞享元年(1684)、幕府によって春場所と秋場所の開催が許可されました。以降約100年にわたり富岡八幡宮の境内で本場所が行われ、この地で定期興行制や番付制が確立されました。明治33年、歴代横綱を顕彰する横綱碑が境内に建立されました。見上げるような大きな碑には歴代横綱の名がずらりと刻まれています。現在も新横綱が誕生すると横綱碑への刻名式が行われ、新横綱による土俵入りが奉納されています。

小津監督の祖父・新七さんは大の相撲好きで、相撲の番付表をコレクションする程でした。お祖父さん譲りか小津監督も相撲が大好きで、日記には相撲に関する記述が多く見られます。昭和9年の五月場所は4日連続で両国の旧国技館へ観戦に出かけており、小津監督の相撲愛が窺えます。深川で暮らした頃は何度もこの横綱碑を見上げたのではないでしょうか。

富岡八幡宮を後にし、小津監督がよく散歩に訪れたという深川不動堂を訪ねました。「深川の不動さん」として親しまれる深川不動堂は、千葉県成田市にある成田山新勝寺の東京別院です。

不動明王は大日如来の化身と言われ、憤怒の形相で人々の心の迷いを断ち切り、正しい道へと導いてくれる仏様です。権現造りの旧本堂からは、樹齢500年の霊木で作られた大きな「お願い不動尊」が境内を見守っています。旧本堂の隣に建つモダンなデザインの新本堂では毎日お護摩修行が行われ、自由に参列することができますよ。境内にはお願い事を書いた護摩木を奉納する護摩木授与所があり、この日も多くの参拝者で賑わっていました。

※写真提供:清水家

深川不動堂の参道「人情深川ご利益通り」には、小津監督が散歩の途中に必ず立ち寄った「清水のきんつば」がありました。清水の御主人と小津監督は明治小学校の同級生。小津監督は御主人から「おっちゃん」の愛称で呼ばれていました。

きんつばは小麦粉を捏ねた生地であんを薄く包み、ごま油を敷いた鉄板できつね色に焼いたお菓子です。現在は四角い形もありますが、元は丸いお菓子でした。中央に窪みのある丸い形が刀の鍔に似ていることからその名が付けられたといいます。

明治時代初期に創業した「清水のきんつば」は、江戸時代からの製法を守り続けた名店でした。作家の池波正太郎さんも清水のきんつばが好物で、深川に住む親戚の家へ遊びに行くと必ず立ち寄ったことをエッセーに書いています。美味しさの秘密は、手間を惜しまず丁寧に仕込まれたあんにありました。昭和57年にきんつば屋としての歴史を終えた後は、同じ店舗でご家族が「清水甘酒店」を営みました。清水のきんつばと同様に、清水甘酒店も参道を訪れる人達に長く愛された名店でした。

おせんべいや和菓子など老舗の商店が軒を連ねる参道に、ふと足を止めたくなるカフェがあります。白い外壁にさりげない鉄製の看板を掲げるMONZ CAFE(モンズカフェ)は、清水のきんつば、清水甘酒店として歴史を重ねた建物をリノベーションしたカフェなんです。

MONZ CAFEを運営するのはカフェやレストランのデザインを手がけるブエナデザイン株式会社。代表を務める建築家の鈴木さんは、昔ながらの茶屋のように、参道を訪れる人の憩いの場となるカフェを作りたいと考えました。MONZ CAFEのどこか懐かしい佇まいにはそんな思いが込められています。

店内に入ると大谷石の大きなカウンターが訪れる人を迎えてくれます。入口のドアの上には小津監督が通った清水のきんつばの看板が飾られていました。MONZ CAFEには建物が重ねてきた歴史が大切に受け継がれています。

人気メニューは本格的なエスプレッソマシーンで淹れるラテやカプチーノ。プリンやケーキなど自家製のスイーツも好評です。スタッフの方がお勧めしてくれたダーティ抹茶ラテと、ショーケースに並ぶ美味しそうなスイーツの中からキャロットケーキをお願いしました。

木製のベンチやテーブルが並ぶ開放的なテラス席は、茶屋の店先にある床几を連想させます。気持ちのいい青空に誘われて、外のベンチでコーヒーを楽しむことにしました。柔らかな日差しに包まれるテラス席には、優しい風が不動堂のお香の香りや街の音を届けてくれます。小津監督も清水のきんつばの店先で、こんな風に参道を眺めたのかもしれません。隣り合わせた人と自然に会話が始まるような、穏やかな時間が流れていました。

街の様子は変わっても、温かい人情が感じられる深川の町。小津監督の思い出や町の歴史を辿りながら、いつしか心が温まる楽しい街歩きとなりました。皆さまもぜひ小津監督の深川散歩コースを歩いてみてください。次回も引き続き、小津監督生誕の地深川を巡ります。

文:ごとう ゆうこ

 
 

下町というと“喜八もの”とよばれる人情喜劇作品を思い出します。『出来ごころ』や『東京の宿』などは、喜八のダメさと格好良さが絶妙に同居する、人情味あふれる名作です。

『出来ごころ』https://www.cinemaclassics.jp/ozu/movie/2911/

『東京の宿』https://www.cinemaclassics.jp/ozu/movie/2893/

小津安二郎監督公式サイトはこちら https://www.cinemaclassics.jp/ozu/