連載コラム「OZU活のすすめ」第21回 ~深川編 小津安二郎が愛した深川の歴史と人情に触れる街歩き~
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皆さまこんにちは。OZU活のすすめ第21回も小津監督生誕の地「深川」をご紹介します。深川編では小津監督が暮らした家の周辺や散歩コースを歩きながら、深川の町や肥料問屋「湯浅屋」の歴史を辿りました。町の歴史を知ると、そこに暮らした人々に興味が湧いてきます。今回は江戸時代の深川庶民の暮らしを体感できる「江東区深川江戸資料館」を訪れました。

まずは資料館の最寄駅である地下鉄「清澄白河駅」にやって来ました。清澄三丁目の交差点から東へ進むと、インターナショナルスクール(旧白河小学校跡)のそばに「干鰮場跡」の碑が建てられています。ここには「銚子場」という干鰯場がありました。碑の3面には干鰯場についての説明が刻まれています。碑の周囲をぐるりと一周しながら読んでみてください。

「干鰮場跡」の碑を後にし、「江東区深川江戸資料館」へ。こちらの資料館には、江戸時代末期にあたる天保年間の深川佐賀町の町並みが再現されています。深川佐賀町は木場と隅田川を結んだ油堀川が隅田川に接する一帯で、湯浅屋があった富久町(明治2年より亀住町)から西へ600m程の距離にあたります。

受付のある1階から階段を降りていくと、吹き抜けの展示室に深川佐賀町の町並みが広がっています。連なる屋根の向こうには、油堀川をモデルにした堀割も再現されていますよ。展示室内は照明と音響効果によって 一日の時の流れが演出され、当時の町の雰囲気を肌で感じることができます。夜が明けると雀の囀りと共にあさり売りの呼び声が響き渡ります。刻々と空は明るくなり、季節に合わせた様々な町の音が聞こえてきます。カラスの鳴き声と共に夕焼けが広がり、夜の闇には火の用心の拍子木の音が響きます。

佐賀町には「永代場」という干鰯場があり、干鰯の取引が盛んに行われました。表通りには大きな問屋や商店が立ち並び、「多田屋又兵衛」という実在した肥料問屋が再現されています。立派な看板を掲げた佇まいから大店の風格が感じられます。湯浅屋もこのような店構えだったのかもしれませんね。他にも玄米を精米して販売する舂米屋(つきごめや)や八百屋などが軒を連ねています。

表通りの裏側には、細い路地に沿って庶民が暮らす長屋が並んでいます。深川佐賀町の長屋に暮らす店子の顔ぶれを見てみましょう。海に近い深川ではあさりや青柳などの貝類が豊富に獲れました。天秤棒を肩に担いで貝のむきみを行商する棒手振り(ぼてふり)の若者、表通りの舂米屋で働く職人の一家、油堀川沿いの船宿に所属する猪牙舟の船頭、木場で働く木挽き職人などが暮らしています。
各部屋には店子達の家財道具や仕事で使う道具類が置かれています。展示室内の建物は中に入って自由に見学することができますよ。ボランティアガイドの方々が展示について詳しく解説してくださいます。楽しいお話の中から当時の風習や暮らしの工夫を知ることができ、興味が尽きません。

長屋の一角には井戸や厠(かわや)など共有の設備が設けられています。洗濯や炊事などで住人が顔を合わせる井戸端は、社交や情報交換の場となりました。現代よりもずっと隣近所との距離が近い長屋暮らしでは、住人同士が互いに助け合う相互扶助の精神が育まれました。

長屋の裏には洗濯物が干されていました。赤ちゃんのおしめや仕事着の半纏など、洗濯物からも住人達の生業や家族構成が垣間見えます。

小津作品にもよく風に揺れる洗濯物が登場します。画面に洗濯物が映ると何故かほっとするのは、人々の暮らしの温もりを感じるからでしょうか。時代が移り変わっても洗濯物は庶民の暮らしの象徴といえるモチーフですね。

小津監督が庶民の生活を描いた「喜八もの」と呼ばれる作品群があります。学はないが男気があって人情に厚く、粋でいなせだがすぐにドジを踏む。そんな愛すべき「喜八」という名の男が主人公です。昭和8年公開『出来ごころ』から昭和22年公開『長屋紳士録』まで、坂本武さん演じる「喜八」が登場する映画は5作品に上ります。

喜八ものに欠かせない名脇役が、飯田蝶子さん演じる「かあやん」です。作品によって名前は異なりますが、愛称は共通して「かあやん」。明るくさっぱりとした気性の女性で、一膳飯屋や居酒屋などを営んでいます。面倒見がよいかあやんは、『出来ごころ』では喜八の息子・富坊の洋服を繕ってやり、『東京の宿』では路頭に迷った喜八に働き口を世話したりと、実に頼もしい存在です。喜八ものには庶民が助け合い労り合う、温かい人情が描かれています。
小津監督は昭和27年のインタビューで『出来ごころ』について次のように語っています。「僕は深川で育ったんだが、その頃家に出入りしてた者に、のんびりしたいい奴がいてね、それが大体喜八のモデルになってるんだ。」
小津監督の弟・信三さんによると、湯浅屋に男衆として出入りしていた船頭さんに喜八のような性格の方がいたといいます。また、湯浅屋の支配人を務めた父・寅之助さんは、深川に大勢の飲み友達がいました。お酒が好きだった寅之助さんは、何かあると近所の人達と集まってはお酒やお喋りを楽しんでいたようです。小津監督は湯浅屋の男衆や寅之助さんの飲み友達など、身近にいる深川の人々をモデルとして喜八のキャラクターを作り上げたのでしょう。
小津監督にも困った人を見ると放っておけない喜八のような一面があったといいます。小津監督の兄・新一さんによると、小津監督は自分を頼ってくる人をはねのけることができない優しい性格でした。多少恨みに思う人がいたとしても、頼み事をされるとすっかり昔の事を忘れて世話を焼いたりすることがあったそうです。多くの友人やスタッフに慕われた小津監督の温かい人柄には、深川で育った土壌が現れているのかもしれませんね。

江戸時代の深川を堪能した後は、資料館のエントランスに併設された「横綱大鵬顕彰コーナー」を見学しました。第48代横綱の大鵬は、幕内優勝32回、6場所連続優勝2回、全勝優勝8回など、前人未到の記録を樹立した昭和の大横綱です。江東区に長くお住まいだったことから、平成8年に江東区名誉区民第一号に選ばれました。顕彰コーナーには化粧回しや引退断髪式で落とした髷などゆかりの品々が展示され、大鵬が残した功績を知ることができます。
昭和35年1月、大鵬は新入幕の初場所で初日から11連勝という記録を達成し、大きな話題となりました。目覚ましい活躍を見せる大鵬に小津監督も注目していた様子です。1月20日の日記には「十一日までの全勝 大鵬と栃錦の二人のみ」の記述があります。
この頃になると小津監督はテレビで大相撲を楽しむようになり、千秋楽には力士の成績を日記に書き留めています。昭和34年のインタビューでは、スタジオの談話室で相撲中継を見ながら「相撲や野球を見るのが楽しみでね、いや別にひいきなんてないんだ。だれが勝とうが負けようがただ楽しんでいるんだよ」と相撲愛に溢れるコメントを残しています。
小津監督の日記には大鵬に関する印象深い記述があります。昭和35年2月の日記に「野崎組次郎物語ロケにて大鵬来た由」とあり、大鵬が特別出演した映画『次郎物語・第一部』の撮影について触れています。大鵬の映画出演が小津監督の周囲で話題になっていたのではないでしょうか。また、昭和36年5月の日記には「〈あたし(私)の秘密〉に大鵬出る」と、大鵬がゲスト出演した人気番組について書かれていました。時の人であった大鵬が様々なメディアに出演していたことが分かります。「巨人、大鵬、玉子焼き」は、高度経済成長期の日本を象徴する流行語にもなりました。小津監督の日記は、昭和30年代における大鵬の人気の高さを伝えてくれます。

昭和34年公開の『お早よう』には、テレビに熱中する子供達が描かれています。当時のテレビ世帯普及率は24%。まだまだテレビは庶民にとって憧れの存在でした。林家の兄弟・実と勇は大相撲に夢中。自宅にテレビがないため、学校から帰ると毎日のようにテレビを持っている近所の家に入り浸ります。母親に見つからないように、英語の塾に行く振りをするという周到さです。頭ごなしに禁止されてもテレビの面白さには抗えません。

実は小津監督と脚本家の野田高梧さんもテレビに熱中していたエピソードがあります。蓼科の山荘「雲呼荘」に滞在して脚本を執筆していた小津監督と野田さんは、仕事の合間にテレビがある高原ホテルや土産物店へ足を運んで、相撲や野球の中継を楽しんでいました。リアルタイムで試合が見られる魅力もさることながら、まるで試合会場にいるかのような臨場感はテレビでしか味わえません。『お早よう』に登場する子供達は、もしかしたら小津監督や野田さん自身の姿を重ねているのかもしれませんね。

深川江戸資料館を堪能した後は地下鉄で門前仲町駅へ戻り、古石場へ歩きました。大横川に架かる石島橋を渡ると、右手に「古石場川親水公園」の入口があります。古石場川は大横川と平久川を結ぶために作られた水路でした。現在はかつての川筋に小川や遊歩道が整備され、散歩やウォーキングを楽しむ人々が行き交います。遊歩道を歩いていくと、「小津橋」という可愛い橋がありますよ。
小津橋は、大正5年に小津秀祐さんという方が私財を投じて古石場川に架けた橋です。秀祐さんは三重県松阪市に生まれ、古石場町に移り住んだ方だったそうです。松阪には本家から暖簾分けを許される「分家」や、家族が独立して家を興す「別家」によって、「小津党」や「小津五十党」と称されるほど、小津姓の商人が大勢いました。秀祐さんも伊勢商人・小津党の流れを汲む人物だったのかもしれません。

最後に「江東区古石場文化センター」を訪れました。平成9年にオープンした古石場文化センターは、地域の方々の交流と文化活動の拠点となっている施設です。センター内には江東区立古石場図書館を始め研修室や音楽スタジオが備えられ、開館以来映画上映会など様々なイベントが開催されています。

1階に設けられた「小津安二郎紹介展示コーナー」には小津作品の資料を始め、小津監督のご家族や生前に交流があった方々から寄贈された貴重な資料が展示されています。明治小学校3年生の時に書かれた作文「私どもの家」や、関東大震災の緊迫した様子が記された寅之助さんの手帳など、深川での小津家の暮らしを伝える資料も充実しています。また年に一度、全国小津安二郎ネットワーク副会長・築山秀夫さん所蔵の小津コレクションを紹介する特別展示が開催されます。

小津監督のグッズや関連書籍の販売コーナーもありました。小津監督が描いた絵をモチーフにしたポストカードや一筆箋、10代の頃に友人達と創立した映画研究会「エジプトクラブ」のマークがプリントされたサコッシュなど、ファンにはたまらないグッズが並びます。旅のお土産としても喜ばれそうですね。
小津監督の誕生日でもあり命日でもある12月12日にちなみ、古石場文化センターでは毎年12月に「江東シネマフェスティバル」が開催されます。小津作品の上映は勿論、小津監督を敬愛する映画監督の作品などが上映される映画祭です。多彩なゲストを招いたトークイベントも好評で、期間中は多くの映画ファンで賑わいます。
小津監督の原点である深川を巡るOZU活は、新しい発見に満ちた旅となりました。「干鰮場跡」の碑や富岡八幡宮境内の永昌五社稲荷は、肥料問屋が栄えた深川の歴史を伝えてくれます。長屋で暮らした深川庶民の人情は時代を超えて【喜八もの】に影響を与え、温かくさっぱりとした小津監督の人柄にも深川っ子の矜持が感じられました。結城運輸倉庫に祀られたお稲荷さんや、MONZ CAFEに受け継がれた清水のきんつばの看板には、深川の温かい人情が息づいています。ビルが立ち並ぶ街並みの中にも懐かしさと優しさを感じる深川。皆さまも小津監督生誕の地をぜひ歩いてみてください。
日記文引用:「全日記小津安二郎」より
インタビュー引用:「小津安二郎戦後語録集成」より
文:ごとう ゆうこ

『出来ごころ』https://www.cinemaclassics.jp/ozu/movie/2911/
『お早よう』https://www.cinemaclassics.jp/ozu/movie/2832/
小津安二郎監督公式サイトはこちら https://www.cinemaclassics.jp/ozu/












