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連載コラム「銀幕を舞うコトバたち(5)」
結局、人生は一人じゃ。一人ぼっちですわ。

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 デビッド・ボウイの遺作となったアルバム『★(ブラックスター)』を聴くうちに、ふと思い出したのは小津安二郎の遺作『秋刀魚の味』だった。作品としては何の関連性もないにもかかわらず、両者に共通するおよそ遺作らしくないみずみずしさがぼくのなかで響き合ったらしい。

『秋刀魚の味』は初老の父が一人娘を嫁がせるまでの物語。『晩春』や『秋日和』に連なる作品で、“小津映画の集大成”、“小津の円熟の境地”といった評価をされることが多い。ほんとにそうなのかなと思う。名画座で初めてこの映画を見たときがそうであったように、今、デジタル修復されたブルーレイを見ても、ぼくがまず感じるのは昭和30年代の映画とは思えない新鮮さだ。

 大きな理由は色にある。小津にとってはこれがカラー6作目。すっかり色を自家薬籠中のものにしたというべきか、鮮やかな配色に目を奪われる。映画の冒頭でいきなり登場する赤と白の煙突、小料理屋の緑の器、岩下志麻の赤いスカート、藍色の火鉢に載った黄色いヤカン、バーの黄色のスツール……。アクセントとしての原色の使い方が独特で、どの場面も絵画を見るような愉しさがある。ぼくの娘がこの映画を見て「昭和の日本は色がきれいで、品があったんだ」と感心していたことがあるけれど、これは昭和というより小津が好み、創造した風景なのだ。

 そういえば小津安二郎生誕100年記念のシンポジウムで、ポルトガルの監督ペドロ・コスタは「小津はパンク」だと発言した。コスタはパンクという表現については「人のなかにある子供の心、映画を作る人が持っているべき子供の心」と説明している。

 音楽史的にはセックス・ピストルズやクラッシュを筆頭とするパンクロックの嵐が吹き荒れたのは1977年。既存のロックスターが精彩を欠いたこの年、自身の音楽の転換点となった2枚の傑作『ロウ』と『ヒーローズ』を発表している。松竹ヌーベルバーグの時代に毅然と自分の作品を撮り続けた小津の姿と重ならなくもない。

 しかし何より遺作とは思えないみずみずしさ、若々しさだ。『★』にも『秋刀魚の味』にもここから新しい何かが始まる、これはその一歩なのだという意思が感じられる。

 ボウイは『★』で新たにジャズ・ミュージシャンと組んだ。これを『秋刀魚の味』に当てはめれば、岩下志麻の起用だろうか。当時21歳。美しい立ち姿と涼やかな横顔は小津映画のヒロインのなかでも際立ち、画面からは新たなミューズに出会った小津の喜びが伝わってくるようだ。役名の「路子」はそれまでの小津映画にはないもので、原節子の“紀子三部作”に匹敵する“路子三部作”が始まりそうな気さえする。

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 バーのマダムを演じた岸田今日子も従来の小津映画には登場しなかった正体不明なタイプの女優。その違和感が逆に魅力的で、黄色いバンダナを頭に巻いた彼女がニッコリ、敬礼する姿は頭から離れない。

映画の主題は「老い」である。戦後の小津作品の多くは無常観を根底に「老い」という時間の流れを描いている。しかしこれほど切実に「老い」に迫った作品はなかった。元教師で今はラーメン屋を営む東野英治郎に「結局、人生は一人じゃ。一人ぼっちですわ」と愚痴らせ、さらにラストで念を押すように笠智衆に「いやぁ、一人ぼっちか……」と独白させる。小津はこの映画の脚本執筆中に最愛の母を亡くしており、その心情は確実に影を落としている。ずっと母と二人暮らしだった小津にとって「老い」や「孤独」はおそろしく身近な、真正面から取り組まざるを得ないテーマとなったに違いない。

一人ぼっちを痛感した小津はこのあと「老い」をどのように描いただろうか。ぜひ見たかった。

文 米谷紳之介

 

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