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小津安二郎生誕120年記念「小津めぐり」松阪篇 紹介

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 小津安二郎生誕120年を記念し、2023年4月から2024年3月にわたって小津安二郎ゆかりの各地にて開催されたデジタルスタンプラリー「小津めぐり」。小津安二郎が残した足跡を辿る旅が全国各地にて開催されました。

 小津安二郎監督は、1903年12月12日に深川(東京都江東区)で生まれ、少年期を三重県松阪市で過ごし、1923年に松竹へ入社しました。中期の作品は、茅ヶ崎館(神奈川県茅ヶ崎市)で、後期の作品は蓼科高原(長野県茅野市)で脚本を執筆。神奈川県鎌倉市の大船撮影所はもちろんのこと、時には撮影所を飛び出し、広島県尾道市でロケを行った『東京物語』など、数々の名作を生み出しました。生涯を通して様々な場所での生活・映画製作を経験した小津安二郎。日本全国には、いまでも彼の足跡が多く残っています。

 デジタルスタンプラリー「小津めぐり」は終了となりましたが、各地域では引き続き小津安二郎監督の顕彰活動が行われています。各地域の皆様が選ばれた小津安二郎ゆかりの地を訪れ、監督の残した足跡を探してみてはいかがでしょうか。


【小津めぐり】「青春のまちを歩く」in 松阪(2023年4月3日~2024年3月31日開催
※デジタルスタンプ
ラリーは終了しています。

 明治36年(1903)東京深川で生まれた小津安二郎は9歳の時、父の故郷である飯南郡松阪町(現・松阪市)に移住し、多感な青春時代を過ごしました。松阪には少年・安二郎が家族、友人たちと訪れた寺院や、お店が今でも残っているほか、当時の図書館の2階は現在、小津安二郎松阪記念館となっており、直筆の手紙や映画に没頭する様子がうかがえる日記などを展示しています。それらの貴重な資料とゆかりの地を通して、監督になる以前の少年・安二郎の姿を発見しましょう。


①湊町通り(長井本家跡)
【アクセス】松阪市殿町1536-6

 湊町は城下町建設時に伊勢大湊から商人を誘致したことによりその名があり、江戸店持ちの豪商の木綿問屋・長井本家の屋敷もこの一角にありました。大正9年(1920)の地図にはこの通りに、安二郎が日記を買った「太田書店」や帽子を買った「徳力分店」の名前を見ることができます。安二郎の母・あさゑの妹・ふみが長井本家に嫁いでおり、湊町通りは馴染みの場所だったと思われます。また、長井家長男・欽之助とは宇治山田中学の同級生で、妹・登貴は欽之助のところに嫁いでおり、小津家と長井本家は、大変縁の深い関係にありました。現在、屋敷のあったところはマンションとなっています。マンションの横道を入って左に折れると、神輿が練り歩く祇園祭で名高い八雲神社があります。小津安二郎は小学校6年の時の作文に「祇園祭典」としてその様子を記しました。

 昭和17年(1942)公開の『父ありき』では、金沢から信州上田に移った親子が、父は仕事のため東京へ、息子は勉強のため中学の学生寮に入って離れ離れに生活することとなります。小津安二郎は大正2年(1913)に松阪に移住しましたが、父・寅之助は湯浅屋の仕事のため、単身赴任のかたちで東京に残りました。安二郎は県立第四中学(のち宇治山田中学に改名)に進学、5年生の夏休みまで学生寮で生活しており、そこに時々、父が訪ねてきたそうです。内宮前の宿屋で「親父はチビリチビリ呑みながら僕にはライスカレーを食わせてくれましてね」という安二郎の体験は、映画の中に取り入れられた例となります。

『父ありき』(1942年)

監督:小津安二郎
脚本:池田忠雄 柳井隆雄 小津安二郎

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②第二尋常小学校跡(五十鈴公園)
【アクセス】松阪市五十鈴町

 大正2年(1913)、小津安二郎は松阪へ引っ越すと、第二尋常小学校の4年に編入しました。当時、描いたデッサンは小津安二郎松阪記念館で常設展示されており、その才能の片鱗がうかがえます。卒業後は伊勢の県立第四中学に進学した安二郎は、休暇で松阪に帰ってくると学校を遊び場にしていたようで、大正7年1月1日の日記には「…昼よりは始球式をす。第二学校は度々硝子を割ると云って中止されたから神戸学校(現第五小)にて球を失うたから乾の家に行って歌留多をす。…」とあります。小学校は昭和26年(1951)に松阪大火の火元となり焼失してしまい、現在はその一角が五十鈴公園となっています。


③愛宕山 龍泉寺/神楽座跡
【アクセス】松阪市愛宕町1-4

 火防安住、商売繁盛、良縁祈願所として地元の人々から信心を集め「あたごさん」と親しまれます。ここは居宅に近いことや隣が映画館「神楽座(かぐらざ)」であったことから小津安二郎が日頃からよく出かけた場所と思われ、大正10年(1921)の日記には「夜、家に風呂なければ愛宕山のはたの温泉風呂に行く一人二銭」ともあります。「初愛宕大祭」は江戸時代から続く縁日で、今も1月に火除けの護摩や火渡り、愛宕市が開かれています。境内入口にある「三門」は県指定有形文化財です。


④中町通り/柳屋奉善
【アクセス】松阪市中町

 中町通りでは小津家が住んでいたころの味を今でも楽しむことができます。柳屋奉善は創業から400年以上続く老舗菓子店で「老伴」は江戸時代から続く松阪土産の定番です。大正5年(1916)に同店舗で小津家が饅頭を買った際の領収書も残っています。大正7年4月5日の日記には「…柳屋に老伴三箱注文して兄と別れて公園に行く…」ともあり、大正10年1月7日の日記には、「…昼から家の用で山作に行った。」とありますが、「山作」も同じ中町通りにある餅屋です。柳屋の左隣は明治11年(1878)創業のすき焼きで有名な「和田金」です。昭和29年(1954)の旅日記には、脚本家野田高梧らと松阪に肉だけを食べに途中下車したことが記載されています。「車中麦酒二本とるも和田金にそなへ半分のみのこせり。三人にて二本の麦酒を余すとは蓋し稀有の事也。」「和田金まことに大牢(たいろう)*りっぱな料理。ごちそうのこと。」「満腹 車にて駅に行く」「駅につき和田金の肉のお土産を忘れしことに気づく 急ぎ 和田金に至る」晩年の日記や旧友に宛てた手紙には松阪肉の話題も多く、松阪に立ち寄った時はこの中町通りを訪れていたことがうかがえます。

 グルメなことで知られた小津安二郎、中学時代の日記にもいろいろな食べ物の記録が残っていました。食欲旺盛な柔道部の少年ですから、寄宿舎から繁華街に出かけては、うどんやぜんざいをぺろりと平らげています。『出来ごころ』『東京の宿』といった「喜八もの」と呼ばれる下町人情物の主人公の名前である「喜八」のもととなったのは、うどん屋の店名であったとも言います。

『出来ごころ』(1933年)
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『東京の宿』(1935年)
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⑤岡寺山 継松寺/松阪座(松阪劇場)跡
【アクセス】松阪市中町1952

 奈良時代から続く日本最古の厄除け観音。旧暦2月初午の日には参拝者で賑わいます。小津安二郎の日記には直接お参りした描写はありませんが、友人が岡寺付近に桑苗を買いに行ったことや隣接地に劇場・映画館の「松阪座(松阪劇場)」があり、大正10年(1921)からは映画も上映されたことなどから、馴染みのある場所だったと思われます。書院、鐘楼、銅鐘、銅燈籠、銅製香炉は市指定有形文化財であり、お寺の佇まいは今も安二郎が過ごした当時のままです。


⑥旧同心町
【アクセス】松阪市殿町

 「同心」とよばれた武士たちが住んでいた一角で、生垣が美しく刈り込まれた静かな佇まいです。大正期の日記から松阪公園(松坂城跡)周辺と白粉町の通りが主な遊び場だったと思われることから、その途中にあるこの辺りもよく通っていたのではないでしょうか。また、旧同心町の通りには、小津安二郎より半世紀早く生まれた、明治・大正時代の篤志家・原田二郎の旧宅があり、建物は市指定有形文化財です。原田二郎旧宅の周辺には、現在も19世紀中期の武家屋敷が所々に残っています。家々の広さは一軒平均200坪余りあり、家の周囲には生垣が巡らされており、ここでも安二郎が見たであろう景色を楽しめます。


⑦御城番屋敷
【アクセス】松阪市殿町1385

 松坂城裏門跡と搦手門(竹御門)跡を結ぶ石畳の両側に、美しく整えられた槇垣(まきがき)を巡らした御城番屋敷は、江戸時代末に松坂城の警護の任にあたった40石取りの紀州藩士20人と、その家族が住んでいた屋敷です。屋敷には、今も子孫の方が住まわれて維持管理を行い、旧松坂御城番長屋として国指定重要文化財に指定されています。昭和26年(1951)に小津安二郎と脚本家の野田高梧がこの辺りを訪れたとき、昔のまま残っている御城番屋敷に感心した野田氏が「ロケ地にいいのではないか」と言った際、安二郎は「一度ここでロケをしたいけれど、腕白時代の自分を知っている人がまだまだいるので恥ずかしくて…」と語っています。

 小津安二郎監督の映画にはクラス会のシーンが多く登場します。遺作となった『秋刀魚の味』では、かつての恩師をクラス会に招くことに難色を示すシーンがありますが、小津安二郎が友人に宛てた手紙には、次のようなものがありました。「有馬でのクラス会 大変愉しみにしてゐたが槌賀がくるさうでどうも気が重い。」槌賀とあるのは旧制中学時代の教師で、安二郎が4年生まで過ごしていた学生寮の舎監でした。生徒に大変親しまれた名物教師でしたが、学内の事件に巻き込まれ、停学となった安二郎の退舎処分を決めたため、その後、クラス会などで同席することを拒んだといいます。同級生との間でも『秋刀魚の味』と似たような会話が交わされたのかもしれません。

『秋刀魚の味』(1962年)

監督:小津安二郎
脚本:野田高梧 小津安二郎

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⑧小津安二郎松阪記念館(松阪市立歴史民俗資料館2階)
【アクセス】松阪市殿町1539

 松阪市立歴史民俗資料館は明治45年(1912)4月に飯南郡図書館として開館しました。本館は2階建てで、伝統的な和風の意匠をもち、左右に翼部、中央に玄関が突出した左右対称の構成になっています。小津安二郎が松阪にいた頃に書いた日記には、友人と一緒に公園に行き「図書館で昼寝した」とあります。この建物と周りの石垣の風景は、安二郎が青春時代を過ごした頃の姿を、今に伝える貴重な景観となっているのです。現在、資料館の2階は「小津安二郎松阪記念館」として、安二郎のルーツや松阪での生活を伝える資料を中心に展示を行っています。


⑨宮前尋常高等小学校跡(小津安二郎資料室)
【アクセス】松阪市飯高町宮前704-2

 旧制中学を卒業した小津安二郎は一年の浪人期間を経て、松阪の山間部の飯高で小学校の代用教員を勤めました。安二郎は5年生男子を担任し、教え子たちに土地の訛りで「オーヅ先生」と呼ばれ親しまれていました。その時の教え子たちにより結成された「飯高オーヅ会」によって、学校跡地である松阪市飯高老人福祉センター内には、全国初の顕彰施設「小津安二郎資料室」が開設されています。宮前地区は和歌山街道の宿場として栄えた町で、教え子たちの思い出話に出てくる、神社や下宿先などのゆかりの場所も当時の面影を留めています。敷地内に建つ「小津安二郎先生敬慕之碑」には、安二郎が下駄を履いて登っていったという「局ケ岳」が美しく映り込んでおり、当時の思い出があちらこちらに感じられます。

電話番号:0598-46-1315 
開館時間:10:00~15:00
開館日:木、土、日、祝日


小津安二郎公式WEBサイトhttps://www.cinemaclassics.jp/ozu/