松竹シネマクラシックス

  1. トップ
  2. 神奈川近代文学館 特別展「生誕120年 没後60年 小津安二郎展」

神奈川近代文学館 特別展「生誕120年 没後60年 小津安二郎展」

カテゴリ:,

 日本を代表する映画監督・小津安二郎(1903~1963)は、日本の文化や社会事情を背景に、家族の日常、人生の悲哀などを、練り上げた脚本と〈ローポジション〉をはじめとする独自の撮影技法によって、細部にまでこだわり表現してきました。代表作である『東京物語』は、英国映画協会発行の雑誌「サイト&サウンド」において、映画監督が選ぶ史上最高の映画で、2012年に第1位、2022年においても第4位に選ばれるなど、「小津調」と呼ばれるその作品世界は、国境を越え世代を超えて多くの人に愛され、評価され続けています。
 東京・深川に生まれた小津は、9歳のときに家族とともに三重・松阪に移ります。ここで多くの外国映画に親しみ、その映画的感性を磨き上げていきました。少年期の父の不在、過酷な戦争体験など、小津が経験してきたことのひとつひとつは、自ら創り出す映画へ結実していきます。戦後は鎌倉に住み、『晩春』『麦秋』『東京物語』などの脚本を湘南の旅館・茅ヶ崎館で執筆、また、戦前から県内各地を撮影地とすることが多く、神奈川は小津映画にとって大変ゆかりの深い場所でした。今回の展覧会では、小津の生涯とともに小津映画の変遷を辿り、神奈川県に残した小津の足跡にも焦点を当てます。
 映画とともに歩んだ小津の人生。本展が小津映画への新たな入口となれば幸いです。


■開催要項

会 期    2023年(令和5)4月1日(土)~5月28日(日)
休館日   月曜日(5月1日は開館) 
会 場   県立神奈川近代文学館(〒231-0862 横浜市中区山手町110)
編集協力  築山秀夫(全国小津安二郎ネットワーク副会長、長野県立大学教授)
観覧料   一般800円(600円)、65歳以上・20歳未満及び学生400円(300円)
      高校生100円(100円)、 中学生以下は無料 ※( )内は20名以上の団体料金
主 催   県立神奈川近代文学館、公益財団法人神奈川文学振興会
特別協力  オフィス小津、松竹株式会社
協 力   鎌倉文学館、公益財団法人川喜多記念映画文化財団、公益財団法人江東区文化コミュニティ財団 江東区古石場文化センター
後 援   NHK横浜放送局、FMヨコハマ、神奈川新聞社、tvk
協 賛   筑摩書房、京急電鉄、相模鉄道、東急電鉄、横浜高速鉄道、神奈川近代文学館を支援(サポート)する会
広報協力  KAAT 神奈川芸術劇場

神奈川近代文学館WEBサイトhttps://www.kanabun.or.jp/


■会場構成 *内容や部門タイトルは変更になることがあります。

導入展示 世界のOZU
 没後60年を経て、世界中でますます高まる小津作品への評価と人気。海外での上映会ポスターを中心に、世界における小津映画の受容と後進に与えた影響を紹介。小津が撮影に用いた機材や、遺品の数々も展示する。

Prologue 活動写真へのあこがれ
 小津は幼少期から画才を発揮した。後年、映画の構図を細部までおろそかにしなかった姿勢が、このころの絵画にすでに表れている。小学生のときに移り住んだ松阪では活動写真に夢中になり、将来映画監督になりたいと願った。東京・深川、三重・松阪で過ごした青少年時代の歩みを、のちの映画作品に与えた影響とともに紹介する。

第1部 映画の世界へ
 1923年(大正12)8月、小津は念願かなって松竹キネマ蒲田撮影所に入所する。当初は撮影部に配属され、1927年(昭和2)監督に昇進したが「時代劇部監督」の但し書き付きだった。同年、処女作『懺悔の刃』を発表後、時代劇部が京都へ移ると小津は蒲田に残って現代劇を手がけ、若手のホープとして活躍する。ナンセンス喜劇からギャングもの、人情ものまで、様々なジャンルの作品を数多く世に送り出し、1932年から1934年には『生れてはみたけれど』『出来ごころ』『浮草物語』が3年連続で〈キネマ旬報ベストテン〉1位に輝いた。
 またたく間に日本映画を中核として支える存在となっていった、初期の足跡を辿る。

第2部 小津安二郎の戦争
 日中戦争下の1937年(昭和12)9月に応召した小津は上海、南京と転戦、約2年後に帰還した。帰国後、『戸田家の兄妹』『父ありき』の2作を発表。1943年には軍報道部映画班員として南方に派遣され、インドの独立をテーマとした国策映画の製作に取り組むが、戦局の悪化で撮影は中止となる。しかし「映写機の検査」と称して、軍報道部が接収したハリウッド映画の数々を鑑賞し、大きな刺激を受けた。
 戦中の小津の動向とともに、この時期の経験が戦後の小津作品にどのような影響を及ぼしたかを探る。

第3部 芸術のことは自分に従う
 1949年(昭和24)、小津はかねて執筆場所としていた茅ヶ崎館に本格的に腰を据え、脚本家の野田高梧とともに執筆に励んだ。同年公開した『晩春』、1951年の『麦秋』は〈キネマ旬報ベストテン〉1位を獲得。1957年以降は蓼科に執筆の拠点を移し、およそ年に1作のペースで数々の名作を生み出していく。1958年、『東京物語』(1953年公開)が英国映画協会のサザーランド杯を受賞、1962年には映画界で初の芸術院会員に選出され、内外を問わずその評価がゆるぎないものとなるなか、1963年12月、60歳の誕生日にこの世を去った。
 戦後の代表作の創作過程、神奈川とのゆかりや、小津の素顔も紹介する。

Epilogue 小津安二郎 ことばの贈りもの
 60年の生涯のなかで、小津は多くの名言を残した。映画への発言ばかりでなく、生活の信条につながる数々のことばは、時に厳しく時にユーモラスで、我々に共感をもたらすとともに、さまざまな示唆を与える。展覧会の最後に、小津からの〈贈りもの〉として、印象に残ることばを、味わい深い筆蹟とともに掲げる。


小津安二郎公式WEBサイトhttps://www.cinemaclassics.jp/ozu/