連載コラム「OZU活のすすめ」第15回 ~松阪編 祭の神輿 堀坂山 金剛川 作文と日記から辿る小津安二郎の少年時代~
カテゴリ:連載コラム「OZU活のすすめ」
皆さまこんにちは。今回も小津監督が少年時代に駆け回った松阪の小津スポットをご紹介します。子供の頃に見た祇園祭の神輿や四季の遊びを楽しんだ川辺など、日記や作文を元に小津監督の思い出を辿っていきます。

毎年7月に行われる「松阪祇園まつり」は松阪の夏の風物詩。日野町にある八雲神社は古くから祇園祭の勇壮な神輿で知られています。平安時代初期の貞観12年、諸国に流行した疫病を鎮めるために京都衹園社(現八坂神社)より松ヶ島へ勧請されました。蒲生氏郷が松坂城を築城した天正16年に現在の場所に移建され、城下町の産土神として親しまれてきました。
大正4年、小津監督が小学6年生の夏休みに書いた「祇園祭典」という作文に、八雲神社の神輿の様子が活き活きと表現されています。
「往来で遊んでいると八雲神社の神輿が来た。
赤い小さい鳥居、円き美しい鏡、銭のつながった様なすだれに、さい銭が付いている。
投るさい銭は或るいは落ち、或いは着している。
大波や小波の様に神輿を動かすと金物の音がかまびすしく聞える。」

作文に書かれたのは江戸時代中期の元禄15年頃に作られた神輿で、現在は松阪市の指定有形文化財となっています。松阪祇園まつりの渡御は平成に作られた新しい神輿で行われますが、祭の日には文化財の神輿も本殿前に飾られます。

神輿の3面には丸い神鏡が吊られ、赤い小さな鳥居が据えられています。煌びやかな金色の簾は、なるほど丸い硬貨が繋がっている様に見えますね。祭の見物客が投げた賽銭が簾に引っかかっていたのでしょう。神輿に向かって白い紙に包まれた賽銭が次々と投げられ、沿道は大変な賑やかさだったことが想像できます。

松阪祇園まつりの2日目「本日」に、八雲神社の神輿が街の中心部を練り歩きます。「チョーサヤ、チョーサヤ」(「千代に栄えよ」の略)の掛け声と共に担ぎ手さんが神輿を揺らすと、飾紐に付けられた鈴がシャンシャンと鳴り、金色の簾が陽の光に反射してキラキラと輝きます。小津監督の観察眼と豊かな表現力を改めて感じた松阪祇園まつりの1日でした。

小津監督が暮らした愛宕町から東へ徒歩20分程。松阪東部を流れる金剛川は小津監督にとって大変思い出深い場所です。田畑が広がる長閑な風景の中に古い親柱が残る金剛橋が掛かっています。この川辺で春はつくし取り、夏は魚取り、冬は草すべりと四季の遊びを楽しみました。時には友人達と堤で煙草をふかしたことも日記に記されています。
大正7年3月26日(火)晴 暖
一略一
午后片山君と金剛川岸に土筆とり
に行く、籠殆一杯とる
大正7年8月2日(金)晴 暖
本日直ぐなほつたから憲・寛君と
乾の家に行き金剛川をかいどりした
※かいどり=川を堰き止め、中の水を掻き出して魚を獲ること
大正10年1月7日(金)晴
一略一
女中は藪入に行つてゐるから弟と
荒木野を経て乾の宅に行つた。
金剛川の岸で藁をひいてすべつた、菓子や
本を乾に貰つて大喜びて信三と皈る。
大部分肩車や背負つてやつたのには弱つた。
金剛橋の上流に架かる杉の森橋の傍には小津監督の親友・乾さんの家がありました。乾さんとは宇治山田中学校の同級生でもあり、共に映画好きだった2人は連れ立って映画館「神楽座」に通いました。小津監督の日記には頻繁に乾さんの家に遊びに行く様子が記されており、2人の仲の良さが窺えます。

金剛川の川岸からは松阪郊外に連なる山々が一望できます。一際美しい三角形の山影は標高757mの堀坂山(ほっさかさん)です。
大正7年7月9日(火)晴 暑
一略一
夕食後肋木に上つて夕日舂く堀阪(坂)山を
眺む、故山を思ふ情にたへず
中学3年の夏、宇治山田中学校の校庭から松阪に思いを馳せる記述があります。寄宿舎生活を送る中で寂しさを堪えたことが何度もあったに違いありません。生徒達が帰宅し校内が閑散とする夕方は、特に寂しさが募ったのではないでしょうか。小津監督の脳裏には堀坂山の美しい山影がありありと浮かんでいたことでしょう。
昭和17年、小津監督が38歳の時に公開された『父ありき』に印象的なシーンがあります。佐野周二さん演じる堀川良平が教鞭を取る秋田県の工業学校。寄宿舎で暮らす一年生達の会話です。

学校のはずれ夕方
寄宿舎の初年生が五、六名。草原に腰を下している。
田園の向うに汽車が行く。
A「あ、汽車が行か!」
B「汽車を見ると家へ帰りたくなるな」
A「あれに乗ると帰れるんだがな」
C「俺んとこ、もう少し近けりゃ汽車通学出来るんだがなあ」
B「ずいぶん長いな、あの汽車」
C「帰りたいなあ」
A「帰省願、書こうかなあ」
C「おお、今日の舎監誰だ?」
B「今日は堀川先生だ」
C「あの先生、許可くれるかなあ」
B「くれるもんか!お前この前の土曜日も帰ったばかりじゃないか」
C「だめかなあ、でも俺、弟生れたんだぞ」

汽車を見る度に帰りたくなる懐かしい我が家。寂しさが込み上げるのはやはり夕方です。生徒Cのセリフ「俺んとこ、もう少し近けりゃ汽車通学出来るんだがなあ」 は、寄宿舎で暮らしていた小津監督が日頃から感じていた気持ではないでしょうか。弟が生まれたばかりの生徒Cは、この後舎監室を訪れ、良平に帰省願いを提出します。このシーンにも小津監督の少年時代が色濃く反映されています。
小津監督が中学2年生だった大正7年1月、弟の信三さんが誕生しました。生まれたばかりの弟に早く会いたいものの帰省は春休みまで待たねばなりません。待ちきれなくなった小津監督は、2月の週末に帰省願を提出し松阪へ帰省します。
大正7年2月23日(土)晴 暖
放課後歸省と思へば時間の立つ
のが遅い様に思もてかなはんだ
放課後忽ちに大掃除して五十銭貰つ
て大いに忽(急)いで二時五十分の汽車にのり
乗車にて赤福をかい(二箱)
家にかいれば皆吃驚してゐた、
家に帰れる喜びが伝わってくる日記です。大掃除を終えるのももどかしく、乙種学資金の50銭を受け取り、お土産の「赤福餅」を忘れずに購入しているのが微笑ましいです。寄宿舎にいる筈の小津監督が突然現れ、家族の驚きが「吃驚」という言葉で表現されています。「父ありき」からは、この突然の帰省が小津監督の記憶に鮮明に残っていたことが窺えます。

小津監督は友人だけでなく、兄弟とも金剛川に遊びに行きました。小津兄弟にとっても金剛川は懐かしい遊び場です。大正10年の日記には3歳になった信三さんを連れて遊びに行く記述も見られます。
大正7年3月24日(日)晴 暖
一略一
妹等金剛川附近に土筆を摘に來る
大正10年3月31日(木)晴
一略一
昼から兄と弟とで荒木野から金剛川に
遊んだ
ナイチンゲールの声麗かに陽炎が立つて
実によい天気だつた
大正10年4月4日(月)晴
兄と信蔵(三)とときと四人で金剛川に
遊びに行つてサワモチを買つて喰つて
野閑に遊んで皈る。
椿をもつて。

小津兄弟が金剛川で食べた「サワモチ(さわ餅)」は松阪や伊勢地方に伝わる郷土菓子。正方形の薄い餅に餡子を乗せて2つ折りにした素朴な餅菓子です。麗らかな春の陽気の中、兄弟仲良くさわ餅を頬張る姿が微笑ましいですね。
さわ餅以外にも小津監督の日記には、街の食堂で食べたおしるこや、友人達の家で出してもらったお菓子等様々なおやつが登場します。特に乾さんの家は子供達が遊びに行くとお菓子を出して歓待してくれたようです。弟の信三さんにもお菓子や本を持たせてくれた記述があり、乾家の大らかな家風が伝わってきます。饅頭、煎餅、干菓子、最中、ビスケット・・・日記を眺めていると大正時代の子供達が食べていたお菓子に興味が湧いてきます。

昔ながらのお菓子を求めて、中町にある「駄菓子のあいや」を訪れました。あいやの創業は大正5年。三代目当主の吉田さんは創業から受け継がれた伝統の製法を大切に守り続けています。懐かしい雰囲気の店内には色とりどりの飴玉や、麦粉やきな粉や胡麻等、素材の風味を活かした手作りの駄菓子が並びます。

胡麻の香りがたまらない「白胡麻ねじり」と「黒胡椒ねじり」。素朴な味わいの和風ビスケット「すいらい」には、白砂糖を煮詰めたすり蜜が掛かっています。素朴で優しい甘さの駄菓子は手が止まらなくなる美味しさです。小津監督も友人達と松阪の町を駆け回りながら、こんなお菓子を食べていたのかもしれないと想像すると楽しくなりますね。

中学5年生の1月、小津監督の日記に印象的な記述がありました。
大正10年1月7日(金)晴
一略一
乾の家に又行く、夜晩く皈つてくる。
皈りに金剛川の汀に佇んで、沈み行く赤き
日光を浴びた時、いつまでも此處にいたいと
思つた、
日記が書かれたのは冬休み最終日。中学卒業が近付き、小津監督は3月に高等商業学校の入学試験を控えていました。間もなく訪れる少年時代の終わりを予感し、様々な思いが胸に込み上げたのでしょうか。「いつまでも此處にいたい」溢れ出した言葉に青春の瑞々しい一瞬が切り取られています。
OZU活松阪編の最後に夕暮れの金剛川を訪れました。空一面を赤く染める夕陽と川岸を覆う銀色の芒。17歳の小津監督が眺めた金剛川の冬茜はその場を去り難くなる美しさでした。
蒲生氏郷が築いた松坂城と城下町、江戸で成功を収めた豪商の屋敷、小津家が暮らしの中で利用した老舗の銘店等、松阪は多くの歴史が息づく町です。小津監督が暮らした大正時代の面影を追いながら、松阪の町の成り立ちや時代の寵児となった伊勢商人にも強く心を惹かれました。
松阪市では小津安二郎松阪記念館での貴重な資料展示を始め、小津作品の上映会や小津監督ゆかりのゲストを招いての講演会等、様々なイベントが開催されています。何より松阪には小津監督が少年時代に見た風景が多く残っています。ぜひ松阪の町を歩いて小津監督の青春時代を追体験し、小津作品に反映された松阪への思いを感じていただければ幸いです。
日記文引用「小津安二郎松阪日記」
文:ごとう ゆうこ

「小津安二郎松阪日記」について詳しくはこちら
https://www.city.matsusaka.mie.jp/site/culture-info/ozuyasujirou.html

『父ありき』https://www.cinemaclassics.jp/ozu/movie/2884
小津安二郎監督公式サイトはこちら https://www.cinemaclassics.jp/ozu/












