連載コラム「OZU活のすすめ」第12回 ~松阪編 思い出の松坂城三ノ丸跡を歩き 小津安二郎が愛したすき焼きを味わう~
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皆さまこんにちは。OZU活のすすめ第12回は、松坂城三ノ丸跡の風景をご紹介します。松坂城には広大な三ノ丸があり、城の周囲には土居と水堀が巡らされていました。今では水堀は埋められ、三ノ丸の痕跡は街の風景に溶け込んでいます。しかし、松坂城跡裏門付近には、緑豊かな四五百森や紀州藩士の組屋敷が残り、かつての三ノ丸の面影を現在に伝えてくれます。
小津監督の中学時代の日記には、この三ノ丸跡を駆け回った記述が多くあり、四五百森や組屋敷は、小津監督にとって馴染み深い風景であったことが分かります。今回は大正7年元日、小津監督が友人達と初詣に行った日記を元に、三ノ丸跡周辺を散策しました。
大正7年1月1日(火)晴 暖
朝餅四つ食ひ著(屠)蘇を祝ふ
乾來れば日野をさそて片山を誘ひ
松阪神社に行く折しも工業學校が
予鈴なり生徒集りたれば四人で藤田
にかまい始めをした、後片山の家で遊び散
る
穏やかな元旦。お餅を4つも食べて旺盛な食欲を見せる小津監督が微笑ましいです。小津監督が寄宿舎生活をしていた中学時代、父・寅之助さんは仕事で1年の半分を東京で過ごし、兄・新一さんも進学のために松阪を離れていました。家族皆が揃って迎えるお正月は、小津家の人々にとって特別な思いがあったに違いありません。

お餅を食べ終えた小津監督は友人達と誘い合い、初詣に出かけました。皆で訪れたのは、第11回でご紹介した四五百森の松阪神社です。小津監督は何をお願いしたのでしょう。いつもは厳かな雰囲気の境内は、晴れ着を着た大勢の参拝客で華やいでいたのではないでしょうか。

松阪神社の参道も新年を祝う人々が賑やかに行き交っていたことでしょう。参道の隣には、小津監督の友人・藤田さんが通っていた、三重県立工業学校(現三重県立松阪工業高校)がありました。
工業学校では正月の祝賀式が行われたのか、生徒達が校庭に集まっています。その中に藤田さんの姿を見つけた小津監督。早速皆で声を掛けてからかっています。日記に「かまい始め」と書いているところから、小津監督のイタズラ好きな一面が窺えますね。

三重県立工業学校は、全国初の応用化学専攻の学校として、明治35年に創立されました。当時は実験で用いる硫化水素が木造校舎の外壁を黒変させると考えられており、変色を防ぐために、校舎の壁は全て硫化水銀の赤い塗料で塗装されました。赤い校舎の工業学校は、「赤壁(せきへき)」の愛称で親しまれるようになりました。
小津監督にとって工業学校の広い校庭は格好の遊び場であったようで、長期休暇には松阪の友人達と野球を楽しんだ様子が日記に記されています。
大正7年8月5日(月)晴 暑
本日工業に行く
長崎 世古 片山 泰やん日野 乾等
と野球練習した
長崎はよくこける奴だ
片山は気取計りだ
共に下手なり
皆のプレーについて辛辣な感想が並んでいます。とはいえ、寄宿舎生活で中々会えない友人達と過ごせる長期休暇は、小津監督にとって幸せな時間であったに違いありません。

工業学校の伝統は、建学の精神を現す「赤壁魂(せきへきたましい)」の校訓と共に、三重県立松阪工業高校に受け継がれています。校門横には明治41年に建てられた工業学校の旧製図室が保存されています。白い漆喰と赤い塗料に彩られた旧製図室は「赤壁校舎」と呼ばれ、同校のシンボルとなっています。

赤壁校舎の内部を見学させていただきました。木枠の窓やペンキで塗られた腰壁に木造校舎ならではの温かみを感じます。小津作品にも味わい深い木造の建物が沢山登場しますね。現在は資料棟となっており、工業学校創立からの貴重な資料が展示されていました。

さて、工業学校を後にした小津監督達は、一緒に初詣に行った片山さんの家に遊びに行きます。片山さんの家は、工業学校の目の前にある、紀州藩士の組屋敷「御城番(ごじょうばん)屋敷」にありました。
片山さんは商業学校に通う学生で、小津監督の日記から、お互いの家を行き来する親しい友人であったことが分かります。小津監督は松坂城跡や工業学校に出かけた際、すぐ近くにある御城番屋敷の片山家で遊ばせてもらっていたようです。
御城番屋敷は、松坂城の警護を任務とする20名の紀州藩士とその家族の住居として、文久3年に松坂城三ノ丸に建てられました。石畳を挟んで、それぞれ10戸を擁する2棟の長屋が向かい合っています(現在西棟は9戸)。建築当初の姿がそのまま残された組屋敷は大変珍しく、国の重要文化財に指定されています。

御城番を勤めた藩士達のルーツは戦国時代にまで遡ります。天正年間、徳川家康は遠江国と駿河国の境にあった高天神城を巡り、武田勝頼と激しい攻防を繰り広げました。この時、戦いの拠点として築城された横須賀城の城主・大須賀康高の下に家康から遣わされたのが、御城番の先祖である旗本達でした。彼らは「横須賀党」と呼ばれ、数々の戦で武勲を上げました。
家康が天下統一を果たした後、横須賀党は紀州藩主となった家康の十男・徳川頼宣の直臣として、紀州国へ遣わされます。紀州藩の御附家老・安藤直次が治める田辺藩に常駐し、有事の際は田辺城を守る任務を与えられた彼らは、「田辺与力」と呼ばれるようになります。

それから240年が過ぎた安政2年、家老の安藤氏から、田辺与力は安藤家の家臣となるよう通達が下されます。藩主の直臣であることに誇りを持っていた田辺与力にとって、通達の内容は到底受け入れられず、紀州藩に暇願(いとまねがい)を出します。藩士の身分を捨て浪人の身となった彼らは、苦労を重ねながらも帰参への道を模索し続け、6年後の文久3年、松坂城御城番として念願の帰参が叶いました。

現在は西棟の一戸が建築当初の姿に復元整備され、一般公開されています。武家屋敷の特徴である式台付きの玄関があり、田の字型に配置された4つの居室、陽当たりの良い裏庭には畑が作られました。念願の帰参が叶い、新築の組屋敷を賜った藩士達の感激はどれほどのものだったでしょう。鴨居には浪人の身となって1年後、決意を新たにするために作成された血判状が飾られていました。
昭和26年11月、47歳の小津監督は、コンビを組んでいた脚本家の野田高梧さんと松阪を訪れ、松坂城跡や御城番屋敷を案内しました。御城番屋敷を見た野田さんは、大いに制作意欲を掻き立てられたようです。
「いいなァ、いいじゃないですか、この辺——」と言う野田さんに、小津監督は「僕もね、一度ここへロケしてやろうと思うんですがね、どうも腕白時代の僕を知ってる人がまだまだいるんでね、恥かしくて……」と苦笑していたそうです。
照れ屋の小津監督にとって、御城番屋敷はよく遊んだ友人の家があっただけに気恥ずかしさがあったのかもしれません。晩年は時代劇を撮りたいと語っていたという小津監督。もし実現していたら、少年時代を過ごした松阪でどんな映画を撮影したのでしょうか。

最後に、中町通りにある「和田金」を訪れました。小津監督は大のすき焼き好き。贔屓にしていたすき焼き店が幾つもありましたが、中でも和田金は格別のお気に入りであった銘店です。松阪や伊勢を訪れる際は必ず和田金に立ち寄り、松阪牛のすき焼きを楽しみました。

※写真提供 和田金
和田金の創業は明治11年。初代・松田金兵衛は東京の料亭「和田平」などで料理の修行を積んだ後、故郷の松阪で牛肉店を開業しました。明治16年には、松阪で初めてのすき焼き料理店を開業します。研究熱心な金兵衛は、すき焼き店を開業した後も度々東京へ足を運び、牛肉料理の研鑽を重ねました。

美しい輪島塗の円卓で、小津監督が愛した和田金の「寿き焼(すき焼き)」をいただきました。和田金で供される牛肉は、兵庫県産の黒毛和種の中から優秀な雌の仔牛を厳選し、自社牧場で丹念に肥育された松阪牛です。

樫の木で作られた上質な菊炭の上に、南部鉄の鉄鍋が据えられます。味付けはお砂糖とたまり醤油と少量の昆布出汁。柔らかな炭火でお肉にゆっくりと火を通します。

お肉が色付くと部屋中に香ばしい香りが漂い始めます。仲居さんが頃合いを見て取り分けてくれたお肉を箸で持ち上げると、その重さと大きさに驚きました。鮮度を大切にし、冷凍をしない和田金のお肉は、一般のすき焼き肉より厚く切られています。卵に絡めていただきます。口の中で蕩けるお肉の甘さと柔らかな食感に感動しました。

次に野菜を入れた寿き焼を仕立ててもらいます。淡路島産の玉ねぎや大分県産の椎茸など、こだわりの具材が鍋に並びます。出来上がりを待つ間も仲居さんの鮮やかな手つきから目が離せません。お鍋に溶けた牛脂とお肉の旨みが野菜に移り、こちらもたまらない美味しさでした。

小津監督のすき焼き好きを知る人々が、お土産に和田金の牛肉を持参することもあったようです。鎌倉の自宅や、脚本を書くために滞在した蓼科でも、松阪牛のすき焼きを楽しんだことが、小津監督の日記に記されています。

小津監督は自らすき焼きを調理し、友人達や仕事仲間と賑やかに鍋を囲むことが好きでした。『麥秋』、『東京物語』、『早春』など、小津監督の作品には、家族や友人が集まってすき焼きをする描写が多く見られます。小津監督にとって、すき焼きの鍋を囲むことは家族団欒の象徴であったのかもしれません。

あと何日かで新しい年を迎えます。皆さまはどんなお正月を過ごされるでしょうか。ご家族や大切な方とすき焼きの鍋を囲むのも素敵な過ごし方ですね。どうかよいお年をお迎えください。
日記文引用 『小津安二郎松阪日記』
小津安二郎 野田高梧会話引用 『小津安二郎 人と仕事』
文:ごとう ゆうこ

「小津安二郎松阪日記」について詳しくはこちら
https://www.city.matsusaka.mie.jp/site/culture-info/ozuyasujirou.html

腕白な可愛さあふれる実ちゃん、勇ちゃん兄弟のシーンも魅力的。
崩れていく大家族への想いと新たに生まれる家族への希望が織り重なった作品『麦秋』の情報はこちら
https://www.cinemaclassics.jp/ozu/movie/2855/
小津安二郎監督公式サイトはこちら https://www.cinemaclassics.jp/ozu/












