松竹シネマクラシックス

  1. トップ
  2. イベントレポート【映画監督 篠田正浩 レトロスペクティブ シアター・イメージフォーラム篇 ローランド・ドメーニグさんトークイベント】

イベントレポート【映画監督 篠田正浩 レトロスペクティブ シアター・イメージフォーラム篇 ローランド・ドメーニグさんトークイベント】

カテゴリ:,

2026年8月29日(土)映画『夕陽に赤い俺の顔』上映後のシアター・イメージフォーラムのトークイベントに、日本映画研究者のローランド・ドメーニグ氏が登壇しました。ドメーニグ氏は以前、篠田正浩監督ご本人に対し、松竹入社から退社に至るまでの経歴やお仕事について、10時間にも及ぶロングインタビューを行っています。今回はその貴重なご経験をもとに、当時の時代背景や寺山修司との関わりについて語っていただきました。

異彩を放つ監督第三作目の『夕陽に赤い俺の顔』
本作は上映される機会が稀な作品ですので、今回初めてスクリーンでご覧になった方も多いのではないでしょうか。篠田監督の回顧展などでも、本作は上映されないことが多い傾向にあります。その理由として、系統として位置づけしにくい作品であることが挙げられます。
当時のチラシなどでは「アクションコメディ」と紹介されていましたが、興味深いことに、予告編では「喜劇ではない、ジョークだ」というセリフが登場します。つまり、本格的なコメディというよりも、ジョークやナンセンスコメディ、ドタバタ劇として作ろうとしていたのかもしれません。
本作は1961年に製作された、松竹での監督第三作目にあたります。「松竹ヌーベルバーグ」という概念が一般に普及し始めた時期でしたが、本作がそれに該当するかといえば、少し異なります。ヌーベルバーグ的な要素で言えば、前作の『乾いた湖』や、後に寺山修司と協力して作った『涙を、獅子のたて髪に』の方が強いと言えます。本作はむしろ「風刺的」な要素が強い作品です。

松竹・大船調への反発と寺山修司の世界観
この作品には、いくつか注目すべき点があります。 デビュー作『恋の片道切符』との共通点を挙げるとすれば「音楽」です。ミュージカル的な歌と踊りが突然現れる演出は、当時の松竹作品にはあまり見られないものでした。踊りやガンマニア、殺し屋が登場して殺し合い、派手なセットや演出、色彩を使う手法は、松竹というより当時の日活や東宝の映画のような印象を受けます。そこには、篠田監督の松竹、特に「大船調」と呼ばれた松竹映画に対する反発があったのではないかと思われます。
配役を見ても、大島渚監督作品にも出演し松竹ヌーベルバーグの顔となっていた川津祐介や、唯一の女性殺し屋として炎加世子が登場し、風刺的に描かれています。 また、女性が子羊を連れている設定や歌の使い方などは、寺山修司の好みが強く反映されていると推測できます(同年1961年に岩波映画が制作したPR映画などとの関連性も感じさせます)。さらに、競馬のシーンが登場するのも、競馬評論家としても活躍していた寺山ならではの世界観が色濃く出ている部分です。

当時の松竹の混乱と「松竹ヌーベルバーグ」の誕生
当時はベテラン監督のメイン作品と新人監督の作品を合わせた「二本立て」での公開が一般的でしたが、本作は二人の新人監督の作品による二本立てで公開されました。これは非常に珍しいケースです。その背景には、当時の松竹の混乱がありました。
篠田監督が入社した1950年代前半は、就職難で2000人の応募者からわずか5人しか入社できない狭き門でした。当時の松竹は『東京物語』や『君の名は』などが大ヒットし、業界トップの最盛期を迎えていました。城戸四郎社長のもと、いわゆる大船調のメロドラマや小市民劇が女性観客を中心に大人気を博していたのです。 しかし1950年代後半になると時代が変わり、若い観客は大船調に飽き、日活の「太陽族映画」など新しい青春スターに注目するようになりました。松竹は時代遅れとなり、1959年にはついに初の赤字を計上します。
その責任を取って城戸四郎社長が辞任し、制作路線は大きく乱れていきました。しかし城戸は辞任前に、若手監督をデビューさせて若い観客を取り戻す「新大船調宣言」を行っており、そこから「松竹ヌーベルバーグ」が誕生することになります。 フランスのヌーベルバーグが映画業界の外側(アマチュアや批評家)からゲリラ的に発生し、自然光などを用いたのに対し、松竹ヌーベルバーグは完全に「撮影所というスタジオシステムの中」で制作されたという決定的な違いがありました。

驚異的なペースで制作された寺山修司とのタッグ作
松竹は、ヒット作が出ると「できるだけ早く次の新作を作れ」という方針をとっていました。篠田監督もその要求を受け、第二作『乾いた湖』の脚本を、以前から短歌を読んで気に入っていた寺山修司に依頼しました(これが寺山の初脚本とよく言われますが、実際にはその直前に東宝作品の脚本も手がけています)。
『乾いた湖』が好評を得ると、松竹は再び新作を急かしました。篠田監督が提案した企画は「内容が暗い」と断られてしまいましたが、公開スケジュールはすでに決まっており時間がありません。そこで再び寺山に依頼し、10日間で脚本を書き上げ、3週間以内で撮影まで済ませたのが、本作『夕陽に赤い俺の顔』です。 非常にハイペースで制作されたため、出来については賛否両論ありましたが、かつての松竹にはなかったアナーキーで新鮮な試みは、一部の若い観客から高く評価されました。

独立への道と、多様な作品を残した篠田監督の再評価
その後、1963年に城戸四郎が社長として復帰すると、松竹ヌーベルバーグへの風当たりが強くなります。篠田監督の作品『乾いた花』もお蔵入りとなり、公開が見送られる事態となりました。篠田監督はその後3年間松竹で仕事を続けましたが、1966年に退社し、自身の会社「表現社」を設立して独立プロの路線へと進みました。
松竹ヌーベルバーグの旗手と呼ばれた大島渚、吉田喜重、篠田正浩の三監督ですが、篠田監督は映画ごとに作風が大きく変わるのが特徴です。時代劇、文芸作品、実験的なものまで、非常に幅の広い作品を残しました。幅広い分、評価を定めるのが難しい監督でもありますが、逆に言えば非常に豊かで引き出しの多い監督だと言えます。すでに亡くなられてしまったのは残念ですが、これから篠田正浩監督の再評価が本格的に進むことを大いに期待しています。

 

当時の映画業界や松竹の様子を伺うと背景がわかり、初期の作品についても、また改めて観なおしてみたくなりますね。

初期作品は、2026年10月24日(土)~30日(金)シネマヴェーラ渋谷にて上映予定です。
<松竹ヌーベルバーグ>の旗手として時代を問い続け、独自の視点で日本文化を描き出した映画監督 篠田正浩。
その作品群を捉え直す本プロジェクトの上映企画第5弾!

映画監督 篠田正浩 レトロスペクティブ シネマヴェーラ渋谷篇
詳しくは【シネマヴェーラ渋谷公式HP】http://www.cinemavera.com/index.html