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連載コラム「OZU活のすすめ」第13回 ~波切編 『浮草』のロケ地と資料を巡る旅 昭和の汽車旅に思いを馳せる~

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皆さまこんにちは。OZU活のすすめ第13回は、三重県志摩市大王町波切(なきり)をご紹介します。波切は志摩半島の東南端にある小さな港町。この町では、昭和34年に公開された『浮草』のロケ撮影が行われました。劇中に登場する真っ青な夏空と白い灯台、黒い板壁の家々や石垣が並ぶ美しい港町の風景は、公開から60年以上を経た今も、見る人の心に鮮烈な印象を残します。今回は『浮草』の劇中に登場する風景を訪ねて、波切の集落を散策しました。

『浮草』は、昭和9年に公開された『浮草物語』を小津監督が自ら再映画化した作品です。小津監督が少年時代を過ごした三重県で、唯一撮影が行われた作品としても知られています。

志摩半島のある港町に、旅回りの嵐駒十郎一座がやってきます。座長の嵐駒十郎、その連れ合いの花形役者すみ子、可憐な娘役の加代など、個性豊かな面々が連絡船から降り立ちます。この町には、かつて駒十郎が懇ろになったお芳という女性がいます。お芳はめし屋を営みながら、駒十郎との間に生まれた息子と2人で暮らしています。久しぶりに再会した息子の成長が嬉しく、すみ子に隠れてお芳のめし屋へ通う駒十郎でしたが、ひょんなことから駒十郎の秘密を知ったすみ子は、嫉妬にかられてある企てを実行に移します。

近鉄鵜方駅からバスで20分程。「大王埼灯台」のバス停に降り立つと、『浮草』の冒頭に登場する可愛らしい灯台が迎えてくれます。正式名称は波切港北防波堤灯台。昭和3年に建てられた灯台です。現在は嵩上げされた堤防に胴体が半分隠れていますが、劇中と同じく静かに佇む姿に感動します。

早速、ロケ地を探して高台に広がる集落を歩きます。迷路のように入り組んだ路地の中に、劇中に登場する風景が幾つも残っていました。お芳のめし屋へ向かう駒十郎が歩いた「伝三坂」(でんざざか)という坂道です。石畳に石の祠、黒い板壁の民家がそのまま残り、劇中のままの港町の風情が感じられます。

こちらも伝三坂の風景。駒十郎が辺りを窺いながらヒョイと曲がる三叉路です。黒い板壁の民家は既にありませんが、見事な手積みの石垣が当時のまま残っています。

看板娘の愛子ちゃんがいる床屋、「小川軒」がある路地を歩きます。実際にロケ地を訪れると、小津監督が作り出す構図の美しさに改めて感動します。小津作品の特徴といえば、低い位置にカメラを据えるローアングルが有名ですね。この路地も地面に寝転ぶ程低い位置から撮影されています。カメラが据えられた位置を探しながら、路地にしゃがみ込んで撮影してみました。この路地は海に向かって下り坂になっているため、普通に撮影すると坂の下にある家々の屋根が写ってしまいます。小津監督は低い位置にカメラを据えることで、路地の向こうに海が広がる美しい構図を作り出していることが分かります。

太平洋を望む高台に、撮影中小津監督や主要キャストが滞在した旅館「龍王閣」がありました。小津監督は撮影に先駆けてロケハンのために志摩半島を訪れた際も、龍王閣に宿泊しました。宿のすぐ隣にある空き地からは、三味線やクラリネットを鳴らしながら町回りする座員達を俯瞰するシーンが撮影されています。

『浮草』の志摩半島ロケが行われたのは昭和34年8月。波切の他に、阿児町志島と浜島町の3箇所で撮影が行われました。真夏の撮影はかなり過酷だったようで、小津監督の日記には「甚だ暑し」「汗みずく」といった記述が見られます。

高台の集落を後にし、波切漁港の近くへ移動しました。こちらもお芳のめし屋に向かう駒十郎が歩いた路地です。大王埼灯台が立つ岬の上には、芝居小屋「相生座」として撮影された民家がありました。色鮮やかな幟に囲まれた黒壁の建物を覚えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。細い路地から見上げるように撮影された相生座は、『浮草』の中でも特に印象的な風景です。

昭和45年まで相生座として撮影されたお宅にお住まいだった、中井茂樹さんと息子の伊太朗さんを訪ねました。町会議員だった茂樹さんのお父さんが自宅を撮影場所として提供するなど、『浮草』の撮影に全面的に協力なさったそうです。当時30歳だった茂樹さんは仕事が忙しく、撮影を見学したり俳優さん達と話す機会はなかったそうですが、京マチ子さんや中村鴈治郎さんが波切を訪れたことを大変懐かしがっておられました。撮影協力のお礼に中村鴈治郎さんの名前が入った記念品を頂いたそうです。

相生座の隣に映る煙突が出た建物は、鰹節の製造工場だそうです。志摩半島は古くから鰹の一本釣り漁が盛んだった地域。波切にはかつて多くの鰹節工場があり、中井さんも自宅の工場で鰹節の製造をしていました。

中井さんのお宅は昭和25年から真珠の養殖を始め、昭和45年に真珠店「伊光真珠」を開業したのを機に、岬の家から転居したそうです。店内には『浮草』に登場する波切の風景や、茂樹さんのインタビューが掲載された記事が飾られています。ロケ撮影当時4歳だった伊太朗さんが、昭和30年代の波切の様子を語ってくださいました。当時は宿や土産物店も少なく、殆ど観光地化されていなかった波切の町。マイカーが普及する前のことで訪れる人も少なく、新婚旅行のカップルが乗合バスでぽつりぽつりと大王埼灯台の見物に訪れる程度でした。幼かった伊太朗さんは新婚旅行客に可愛がられ、お菓子をもらうこともあったそうです。まさに『浮草』の劇中に登場するような、のんびりとした雰囲気ですね。

細い坂道に沿ったお土産街を抜けると、岬の先端に建つ大王埼灯台に至ります。熊野灘と遠州灘がぶつかりあう大王埼は波が荒く、岩礁や暗礁が多いことから、古くから海の難所とされてきました。昭和2年から航海の安全を見守り続ける大王埼灯台は、国の登録有形文化財に指定されています。『浮草』の劇中では、郵便局の看板の奥に一度だけ映る大王崎灯台ですが、美しい白亜の灯台は波切のシンボルとして多くの方に親しまれています。参観灯台として一般公開されているので、実際に登って眼下に広がる絶景を楽しむことができますよ。

ロケ地巡りを堪能した後は、波切漁港の近くにある「うなぎ寿司しまや」を訪れました。しまやは創業78年。女将さんは名古屋の寿司店などで修行の後、ご主人と共にしまやを継いで先代の味を守り続けてきました。看板料理の鰻はもちろん、女将さんが毎朝仕入れる新鮮な魚を使った握り寿司やお刺身も絶品です。

お勧めの特上鰻丼をいただきました。創業から継ぎ足し守ってきた秘伝のたれに鰻を漬け込み、炭火で焼く工程を3度繰り返します。表面はパリッと香ばしく、中はふっくら焼き上げられた蒲焼が4切れも乗った鰻丼はボリューム満点!ご飯の間にも蒲焼が挟まれた、二段重ねの豪華な丼でした。

元銭湯だった建物を改築したというしまやの店舗。厨房の壁には、『浮草』に登場する2つの灯台のタイル画が残されています。

戦前から多くの映画のロケ地となった風光明媚な波切の町。散策途中にお土産店に立ち寄り、懐かしい貝細工や貝殻を購入するのも楽しみの一つです。今回は紹介できませんでしたが、小津監督も訪れた思案地蔵や波切神社、静かに佇む石造りの祠などが、海と共に生きる波切の人々の暮らしを伝えてくれます。

波切を後にし、バスと電車を乗り継いで松阪市へ。OZU活のすすめ第11回でご紹介した、松坂城跡にある小津安二郎松阪記念館を訪れました。

小津監督は、『浮草』について報じられた新聞記事を自ら収集していたそうです。後に監督のご家族が記事を整理し、スクラップ帳にまとめました。小津安二郎松阪記念館では、貴重なスクラップ帳(複製)を自由に閲覧することができます。制作発表の様子や小津監督のインタビュー。波切での撮影風景や、撮影の合間に余暇を過ごす俳優さん達の姿など、ファンにとってたまらない写真が掲載されています。ついつい時間を忘れて読み耽ってしまいますよ。

旅の終わりに、松阪駅前にある「駅弁のあら竹」本店に立ち寄りました。明治28年創業のあら竹は、地元産の黒毛和牛やお米にこだわった手作りの駅弁を提供している老舗駅弁屋。現在は三重県に残る唯一の駅弁屋です。

ショーケースに並ぶサンプルの中から、大きな黒毛和牛の網焼きが入った「元祖特撰牛肉弁当」を注文しました。この駅弁、『浮草』が制作・公開された昭和34年に発売された駅弁なんです。

元祖特撰牛肉弁当は、昭和34年7月15日、「国鉄紀勢本線」の全線開通を記念して発売されました。名産松阪牛をメインとした郷土色豊かなこの駅弁は、日本で初めて牛肉を使用した駅弁でした。販売価格は150円。当時は日本一高価な駅弁として話題になりました。冷めても柔らかいお肉の秘密は、上質な内腿の赤身肉をじっくり焼き上げる独自の調理法にあります。お肉の旨みと甘辛い秘伝のたれでご飯がどんどん進みますよ。発売以来変わらぬ味で愛され続けるロングセラー駅弁です。

紀伊半島の海岸線をなぞるように走る紀勢本線は全長384.2km 。三重県の亀山駅から和歌山市駅を結ぶ日本有数の長大路線です。明治24年に亀山駅~一身田駅間が開通し、その後東西から徐々に路線を伸ばしますが、全線開通までには70年近い歳月がかかりました。海岸線に切り立った崖が続く紀伊木本駅(現熊野市駅)~尾鷲駅間は、岩盤を掘削しトンネルを建設しながら線路を敷設する難工事が続きました。紀勢本線の全線開通は地元の方々の悲願であったといいます。

昭和34年6月、小津監督と脚本家の野田高梧さんは、『浮草』脚本執筆のために和歌山県と三重県を巡る旅をしました。旅の3日目には全線開通直前の紀勢本線で和歌山県の新宮駅から松阪駅に向かっています。

6月10日(水)
あれ模様の雨となる
新宮発7・53→木本着8・34 国鉄バス9・00
天の川(矢の川)峠を越へて尾鷲11・40着 駅前にて少憩
13・04発 松阪15・54着 和田金にゆく 野呂ひさ子に会ふ
車にて古市大安 井阪来る

紀勢本線の全線開通以前は、尾鷲駅~紀伊木本駅(現熊野市駅)間を国鉄バスが結んでいました。険しい山道が続く峠越えのルートを3時間近くかけて走ったといいます。小津監督も荒れ模様の天気の中、バスに揺られて標高808mの矢ノ川峠(やのことうげ)を超えました。現在は特急で2時間半程の新宮駅~松阪駅間を、ほぼ1日がかりで移動する大変な行程です。松阪に到着すると、早速和田金のすき焼きで旅の疲れを癒したようですね。

『浮草』の嵐駒十郎一座は、志摩半島の次に和歌山県新宮市で興業を行う予定でした。興業を手配する先乗りの座員が逃げてしまい、一座は解散の憂き目に遭いますが、本来なら紀勢本線に乗り、バスで矢ノ川峠を超えて新宮市に向かった筈です。小津監督と野田さんは嵐駒十郎一座が行くはずだった道のりを逆から辿ったことになります。

『浮草』のラストシーン、再起を誓った駒十郎とすみ子は夜汽車に揺られて桑名駅を目指します。三等客車の固い座席で、駅弁をつまみにすみ子のお酌で盃を傾ける駒十郎の姿が印象的です。『浮草』のロケ地を巡る旅、最後に『浮草』と同い年の元祖特撰牛肉弁当を食べながら、昭和の鉄道旅に思いを馳せてみては如何でしょうか。

※波切漁港の写真は筆者私物の絵葉書より掲載
 日記引用「全日記小津安二郎」より

文:ごとう ゆうこ

 

「小津安二郎松阪日記」について詳しくはこちら https://www.city.matsusaka.mie.jp/site/culture-info/ozuyasujirou.html

『浮草物語』は長野県、『浮草』は三重県がロケ地となっています。サイレント時代の名作『浮草物語』の坂本武さんと飯田蝶子さんの粋なやりとり、そして鮮やかな色彩の『浮草』の有名な雨のシーンは何度観てもはっとする美しさ、それぞれの魅力をお楽しみください。

『浮草物語』https://www.cinemaclassics.jp/ozu/movie/2902/

『浮草』https://www.cinemaclassics.jp/ozu/movie/2839/

小津安二郎監督公式サイトはこちら https://www.cinemaclassics.jp/ozu/