連載コラム「OZU活のすすめ」第11回 ~松阪編 小津安二郎の花見コースを辿って 中町から松坂城跡を歩く~
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皆さまこんにちは。OZU活のすすめ第11回は、松坂城跡(松阪公園)をご紹介します。松坂城は織田信長と豊臣秀吉に仕えた戦国武将、蒲生氏郷(がもううじさと)によって天正16年に築かれました。江戸時代には松阪を含む伊勢国の南部が紀州藩の藩領となり、松坂城は伊勢国の領地を統括する城として城代が置かれていました。明治14年に公園として整備され、市民の憩いの場であるとともに、歴史的価値の高さから国の史跡に指定されています。
松坂城跡は桜の名所としても知られています。4月には満開の桜が鮮やかに石垣を彩り、多くの花見客で賑わいます。小津監督も毎年桜を見に訪れていたようで、中学2年生修了後の春休みに妹達とお花見に行った日記が残っています。
大正7年4月5日(金)晴 暖
一略一
妹と、晝から公園に行かうと云ふか
ら行く、柳屋に老伴三箱注問(文)して
兄と別れて公園に行く
桜は奇麗に咲く、寛一君と相ふ
鈴廼舎にて休んでぶらんこにのり本居
神社かり(ら)松阪神社に行き桜を以て家
に歸る
うららかな春の一日、小津兄妹の楽しそうなお花見の様子が伝わってきます。今回は小津監督が歩いたお花見コースを辿りながら松坂城跡周辺を散策しました。

※絵葉書「伊勢松阪中町通市街」 個人蔵
小津監督が暮らした愛宕町から西へ15分程歩いて中町へ。中町通りは松阪の目抜き通りで、宿場町として賑わった江戸時代には最も栄えた界隈です。通りには老舗の銘店が多く並び、小津家が日常的に利用していた商店が今も営業を続けています。写真は大正12年から昭和初期にかけて撮影された中町通りの風景です。手前にある大きな洋風の建物は百五銀行松阪支店。小津監督もお使いに訪れたことがありますよ。

まずは小津兄妹がお花見の前に立ち寄った和菓子店 、柳屋奉善(やなぎやほうぜん)を訪れました。今年で創業450年を迎えた柳屋奉善は、安土桃山時代の天正3年に滋賀県日野町で創業しました。初代当主・村田市兵衛は、近江国日野の領主であった蒲生氏郷の御用菓子司を務めました。
蒲生氏郷は松坂城を築く際、積極的に城下町の整備を行いました。城下の中央を貫くように伊勢街道の道筋を変え、先に統治していた近江国日野や松ヶ島から商人達を移住させて商業の発展を促しました。柳屋奉善も日野から移住を命じられ、以来松阪の地で400年を超す歴史を重ねてきました。

※写真提供 柳屋奉善
明治時代に撮影された柳屋奉善の店先です。小津兄妹がお使いに訪れた時もこのような歴史を感じる店構えだったのかもしれません。小津監督が注文したのは柳屋奉善の名物「老伴(おいのとも)」というお菓子です。

老伴は羊羹と最中を組合せた珍しいお菓子です。片面の円形最中に羊羹を流し込み、表面に糖蜜を塗って固めてあります。紅麹で赤く染められた手亡豆の羊羹は太陽を現しています。中央に幸せを運ぶコウノトリ、左右に延年の文字が配された最中は、良縁や子孫繁栄を願う秦王朝の紋様です。江戸期には伊勢参りの土産として大変人気があり、江戸でも有名になったといいます。小津家では手土産としてよく老伴を購入していました。

十七代目当主・岡久司さんにお話を伺いました。天正3年に蒲生氏郷の命を受け、老伴の前身となる「古瓦(こが)」というお菓子が作られました。初代当主が所有していた中国秦朝時代の瓦を最中の型とし、太陽に見立てた餡を丸く乗せたお菓子でした。古瓦には大変高価な砂糖と紅が使われ、紅で赤く染まるよう、小豆ではなく白豆の餡が用いられました。
蒲生氏郷は13歳で信長の人質となるものの、武将としての才を見出され、後に信長の娘婿となった人物。千利休の弟子であり、茶に造詣の深い文化人でもありました。柳屋奉善が菓子作りの命を受けた翌年に近江国で安土城の築城が始まったことから、古瓦は現地を視察する信長をお茶会に招くために作られたのではないか、と岡さんは推察されています。太陽を現す赤い餡は信長の天下統一を願ったものでしょうか。450年前に作られた個性豊かなお菓子には武将達のロマンが秘められているのかもしれません。

さて、柳屋奉善でお使いを終えた小津兄妹は松坂城跡へ。松坂城の表門跡を入ると、歴史を感じる木造二階建ての建物が見えます。シンメトリーのデザインが印象的なこの建物は、明治45年に開館した旧飯南郡図書館でした。現在は松阪市立歴史民族資料館として使用されています。

1階には松阪の歴史や松坂城に関する資料が展示され、2階は小津安二郎松阪記念館となっています。階段を上ると小津監督の大きな写真と、看板職人によって描かれた小津作品の映画看板が迎えてくれます。

記念館には小津作品の資料を始め、絵が得意だった小津監督の図画や習字、友人や家族とやり取りした自筆の手紙など見応えのある資料が並びます。壁に貼られた大正時代の大きな地図には松阪近辺のゆかりの地が詳しく紹介され、松阪の町を駆け回った小津監督の少年時代に思いを馳せることができます。
少年時代の小津監督は、まさか図書館が自分の記念館になるなんて夢にも思っていなかったでしょう。中学3年生の夏休みに図書館を訪れた日記が残っています。
大正7年8月13日(火)
一略一
昼より乾來れば公園に行く
隆ちん渡辺居ない
圖書館で昼寝した
後一島時計店によりかへる
小津監督が松坂城跡を訪れた日記は沢山ありますが、図書館に立ち寄った記述は数えるほど・・・。あまり図書館で勉強に勤しむタイプではなかったようですね。

二ノ丸跡には見事な藤の巨木があります。この藤の木は、明治23年に愛知県鍋田村(現やとみ市)から運ばれ、二ノ丸跡にあった「亀甲楼」という料亭の南庭に移植されました。現在も毎年GW頃に見事な花を咲かせ、訪れる人を楽しませてくれます。小津監督も中学校を卒業した大正10年5月に友人と藤の花を見に訪れています。

お花見を楽しんだ小津兄妹は、隠居丸跡にある鈴屋(すずのや)(日記中では鈴廼舎)を訪れました。鈴屋は古事記の注釈書「古事記伝」を著したことで知られる国学者、本居宣長の旧宅です。本居宣長は12才から72才の生涯を終えるまでをこの家で過ごしました。元は松阪市魚町にありましたが、保存の声が高まったことから、明治42年に松坂城跡の隠居丸跡に移築されました。現在は国の特別史跡に指定されています。

本居宣長は、日本橋大伝馬町に江戸店を持つ木綿商・小津三四右衛門家の次男として生まれました。一度は家業を継ぐものの学問の道を志し、医学を学ぶため京に上ります。松阪に帰郷した宣長は魚町の自宅で医者を開業しました。昼は患者を往診し、夜は「源氏物語」や「古事記」等古典の研究を行いました。宣長の元には多くの門人が集い、鈴屋の奥の間では古典の講釈や歌会が行われました。
小津監督は帰省した際に友人達と鈴屋の芝生で遊んだり、中学3年生の春には宇治山田中学校の遠足でも鈴屋を訪れています。小津監督にとって、鈴屋は幼い頃から親しんだ懐かしい場所でした。
鈴屋で休憩した後、小津兄妹はブランコに乗って遊んでいます。お花見の途中で隣家に住む友人の寛一君に出会っているので、一緒にブランコを楽しんだのかもしれません。大正時代、松坂城跡には動物園や遊具があり、子供達のよい遊び場だったようです。

松坂城の裏門跡を出ると、大きな常夜灯の向こうに本居宣長ノ宮(日記中では本居神社)の鳥居が見えます。松坂城が築かれた丘は、古くは四五百森(よいほのもり)と呼ばれていました。本居宣長ノ宮と松阪神社は、松坂城跡の南に残る四五百森の豊かな緑の中にあります。

小津兄妹に倣って鳥居を潜り四五百森へ。本居宣長ノ宮は、明治初期に本居宣長が眠る山室山で創立し、大正4年に四五百森へ移設されました。学門の神様として親しまれており、受験シーズンには多くの参拝者が訪れます。緑に囲まれた境内には柔らかな木漏れ日が降り注ぎ、小鳥達の囀りが響きます。静かに佇む本殿にお参りして奥へ進むと、同じ森の中にある松阪神社の境内へ行くことができます。

松阪神社の境内には樹齢900年を越す大楠が聳えていました。松阪神社の歴史は古く、創立は平安時代以前と伝えられています。蒲生氏郷が松坂城を築城した際に城の鎮守とされ、以来歴代の城主によって信仰されてきました。小津監督はお正月の初詣や夏の輪越祭にも松阪神社を訪れています。

お参りを終え四五百森を抜けると、桜の木が連なる松阪神社の表参道があります。この参道は春には美しい桜の花道となります。小津監督の日記に「桜を以て家に帰る」とあるのは、桜並木に見送られ、お花見の余韻を楽しみながら帰ったからかもしれませんね。

小津兄妹のお花見コースを辿った後は中町通りに戻り、「甘党の店 山作」を訪れました。山作は江戸時代に八百屋として創業し、明治26年に餅屋を開業しました。小津家には山作に鏡餅や切り餅を注文した記録が残っており、小津監督自身も山作にお使いに行ったことを日記に記しています。

店頭には自家製の餡子をたっぷり使った郷土菓子「さわもち」が並んでいました。五代目当主・村田さんのアイデアで生まれた、桜や紅芋などを用いた季節限定のさわもちも人気です。店内ではぜんざい、かき氷などの甘味やお得なランチを楽しむことができます。壁には小津家に保管されていた領収書の複製が飾られていました。先代の女将さんにお話をお聞きしたところ、小津監督の研究者やファンの方がお店を訪れることもあるそうですよ。

デザートとドリンクがセットになった、山作のランチをいただきました。二段重ねのお弁当箱に特製の赤飯と、エビフライや唐揚げ等のおかずが詰め込まれています。デザートのぜんざいは、柔らかいお餅と優しい甘さの餡が大変美味しかったです。熱々のぜんざいで体がほかほかに温まりました。
小津兄妹の春の1日を追体験すると共に、蒲生氏郷が築いた松坂城や、老伴の誕生秘話と併せて歴史ロマンを感じられる街歩きとなりました。来年の桜の頃はぜひ松阪で、小津兄妹の歩いたお花見コースを辿ってみてはいかがでしょうか。
※鈴屋の見学には入館料が必要です。本居宣長記念館にて鈴屋と記念館の共通入館券をお買い求めください。
日記文引用:「小津安二郎松阪日記」
文:ごとう ゆうこ

「小津安二郎松阪日記」について詳しくはこちら https://www.city.matsusaka.mie.jp/site/culture-info/ozuyasujirou.html
小津映画に愛らしい兄妹が登場する『東京の合唱』作品ページはこちら https://www.cinemaclassics.jp/ozu/movie/2914/
小津安二郎監督公式サイトはこちら https://www.cinemaclassics.jp/ozu/












