連載コラム「OZU活のすすめ」第19回~深川編 小津安二郎生誕の地 江東区深川を歩く
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皆さまこんにちは。OZU活のすすめ第19回は、小津監督生誕の地「深川」をご紹介します。深川は東京都江東区の西側に位置し、隅田川の東岸に広がる地域です。元は隅田川の河口に広がる広大な湿地帯でしたが、江戸時代に入ると多くの運河が作られました。水運の発達により、深川は流通と取引の重要な拠点となっていきます。小津新七家が支配人を務めた肥料問屋「湯浅屋」は深川にあり、小津監督とは大変ゆかりの深い土地です。今回は小津監督が暮らした江東区深川の小津スポットを巡りながら、小津新七家の暮らしに思いを馳せます。

明治36年12月12日、小津監督は肥料問屋「湯浅屋」の支配人を務める小津寅之助とあさゑの次男として、深川区亀住町4番地(現江東区深川1丁目)に生まれました。小津監督が生まれた「小津新七家」は、松阪の豪商・小津与右衛門家の分家であり、湯浅屋の支配人を代々務める家系でした。

明治38年、2歳の時に同じ町内の亀住町7番地へ転居します。地下鉄門前仲町駅から清澄通りを北上すると、「清澄通り深川一丁目」の歩道橋脇に「小津安二郎生誕の地」の記念プレートがあります。現在は大きなマンションが建つ歩道橋脇の角地が、かつて小津監督が暮らした亀住町7番地でした。

明治43年に自宅からほど近い明治尋常小学校(現江東区立明治小学校)に入学します。3年生の時に書かれた「私どもの家」という作文には、家に女中が2人いることや、色々な木が植えられた庭の様子が書かれており、亀住町7番地の家での豊かな暮らし向きが伝わってきます。明治尋常小学校には3年間通い、3年生修了後の大正2年3月、小津監督は家族と共に寅之助さんの生まれ故郷である三重県松阪市に移住しました。

清澄通り「深川1丁目」の交差点には、小津新七家の菩提寺「陽岳寺」が静かに佇んでいます。陽岳寺は寛永14年(1637)に開山された禅宗のお寺です。開山に際しては徳川幕府の船手頭を務めた向井忠勝が多大な支援を行いました。向井氏は船手頭の筆頭であり、忠勝の子孫は代々船手頭の役目を世襲しました。向井氏の菩提寺である陽岳寺は、水辺の街として栄えた深川の歴史を今に伝えてくれます。
敷地内の墓所には小津監督の両親、寅之助さんとあさゑさんが眠っています。昭和9年に寅之助さんが亡くなった際は陽岳寺で告別式が行われました。深川を離れた後も、小津監督はご家族の法要で折々に陽岳寺を訪れています。

寅之助さんが支配人を務めた湯浅屋は、仙台堀川の支川である和泉堀川と油堀川が合流する深川区亀住町2番地(現江東区深川1丁目)にありました。現在、湯浅屋があった場所には結城運輸倉庫の社屋が建っています。巨大な倉庫が併設された広大な敷地から、湯浅屋が江戸で有力な肥料問屋であったことが推察できます。ここで、湯浅屋が深川に江戸店を持つに至った歴史について触れておきましょう。
湯浅屋は宝永5年(1708)頃、紀州湯浅村出身の岩崎嘉右衛門と湯浅屋与右衛門が共同出資し、江戸の北新堀に開業した肥料問屋でした。商いが軌道に乗り始めた頃に湯浅屋与右衛門が引退し、代わりに共同出資者となったのが、小津与右衛門家の初代当主である松阪出身の伊勢商人・小津新兵衛でした。
小津新兵衛が共同出資者となった後、湯浅屋は江戸店を日本橋小網町へと移します。当時の肥料は「干鰯(ほしか)」と呼ばれる、鰯を乾燥させたものでした。深川にあった「干鰯場」に荷揚げされた干鰯は深川を東西に横断する運河「小名木川」を通じて関東平野へと運ばれました。
天保7年(1836)、六代当主・小津与右衛門久足(ひさたり)の代に、湯浅屋は江戸店を日本橋小網町から深川富久町へと移します。天保5年に発生した江戸大火で小網町の店が焼失したことと、干鰯場がある深川に店を移した方が商いに効率がよいとの理由からでした。明治に入ると深川富久町を含む一帯は亀住町と名前を変え、湯浅屋の住所は亀住町2番地となりました。

湯浅屋の横を流れていた和泉堀川は埋め立てられ、遊具や遊歩道が整備された「亀堀公園」となっています。公園の細長い敷地だけが、かつてここに川があったことを示しています。和泉堀川に架かっていた「丸太橋」は幼い小津監督の良い遊び場でした。いたずら好きの小津監督は、近所の炭店が丸太橋に干していたタドンをボール代わりに使ってよく叱られたといいます。
江戸時代から順調に需要を伸ばしてきた干鰯でしたが、明治時代中頃に大きな変化が訪れます。中国大陸から大豆が輸入されるようになり、安価な大豆粕や北海道産の魚粕など、干鰯に代わる肥料が使用されるようになっていきます。更にこの頃、天然肥料にかわる科学肥料が登場し、明治20年には日本初の科学肥料製造会社が設立されました。
大正11年12月、約10年に及ぶ松阪での生活を終え、小津新七家は深川区和倉町16番地(現江東区冬木)に転居します。大正12年3月には、宮前村の代用教員を辞した小津監督と、松阪の女学校を卒業した登貴さんも加わり、久しぶりに家族揃っての生活が始まりました。しかし半年後の大正12年9月1日、関東大震災により和倉町の家と亀住町の湯浅屋が焼失するという大きな被害を受けました。
時代の流れを見極めながら商いを続けてきた湯浅屋でしたが、関東大震災を機に200年を超える肥料問屋の歴史に幕を下ろしました。小津与右衛門家は深川一帯に60筆(9,730坪)の土地を所有していました。倒壊した湯浅屋の跡地には、この土地を管理する「湯浅屋地所部」の事務所兼住居が新築され、寅之助さんは不動産管理の仕事に専念することになります。大正13年に完成した亀住町2番地の家に小津新七家は家族揃って入居しました。
小津監督は昭和2年に助監督から監督に昇進し、23歳で念願の映画監督となりました。亀住町2番地の家には小津監督の盟友だった映画監督の山中貞雄や清水宏、脚本家の伏見晁や池田忠雄、小津作品に出演した俳優の坂本武、飯田蝶子、井上雪子など、多くの映画人が訪れました。その方々の回想から、小津監督が暮らした家の様子が浮かび上がってきます。
表戸を開けると入口には湯浅屋地所部の広い帳場があります。帳場の横には長い廊下が家の奥へと続いており、2階に上がる階段が幾つもありました。家の横を流れる和泉堀川の対岸にはちくま味噌の白い蔵が並び、縁側には涼しい川風が流れてきました。
撮影や脚本の執筆で多忙な小津監督でしたが、当時の日記には仕事の合間に2階の自室で寛ぐ様子が記されています。
昭和9年1月24日(木)
―略―
二階の陽の当つたところに蒲団を出して うつら
うつらと又しても昼寝に一日を送る
昭和9年7月22日(日)
―略―
夕方より小雨 遠く川開きの花火の音を聞きつゝ
二階を掃除する
庭に造られた池には鯉が泳ぎ、縁側には寅之助さんが飼っていた十姉妹やカナリヤの鳥籠が並んでいました。小津監督はらんちうに凝っていて、庭に置かれた水桶の中には鑑賞会に出すような立派ならんちうが沢山泳いでいました。ただ小津監督は撮影などで家を空けることが多く、金魚の世話はもっぱら寅之助さんが担当していたようです。
昭和8年11月29日(水)
▲朝めしをくつて莨を吸つてゐると 金魚の桶か
ら二分程の氷をつまんでおやじが硝子超しに見せた
昭和8年の小津監督の日記には、朝から庭で金魚の世話をしていたと思われる寅之助さんの様子が記されています。

昭和16年公開の『戸田家の兄妹』では、父親が飼っている九官鳥の鳥籠と万年青(おもと)が縁側に並んでいる場面があります。小津新七家の本家・小津与右衛門家では九官鳥やオウムなど外国から取り寄せた珍しい鳥を飼っていました。小津監督は少年の頃、松阪の本家で九官鳥を見たことがあったのかもしれませんね。

昭和26年公開『麥秋』は、間宮家の朝の情景から始まります。最初に画面に登場するのは、朝食前に小鳥のねり餌を作る父親の周吉です。廊下には幾つもの鳥籠が並び、甲斐甲斐しく小鳥の世話をする周吉の姿は、十姉妹やカナリヤを飼っていた寅之助さんを彷彿とさせます。
小津監督にとって鳥籠が並ぶ縁側は、家族が揃って暮らす幸せの象徴であるといえます。
寅之助さんは昭和9年に69歳で亡くなり、六代に渡り湯浅屋の支配人を務めた小津新七家の歴史は終焉を迎えました。昭和11年、小津家は住み慣れた亀住町2番地の家を後にします。兄の新一さんは妻や子供達と洗足へ、小津監督は母・あさゑさんと弟・信三さんと共に高輪へ居を移しました。

結城運輸倉庫の屋上には、社屋が建つ前からこの土地にあったお稲荷さんが大切に祀られています。年末年始と2月の初午には祠の扉を開け、お供えをして社中安全と商売繁盛を願います。小津監督が暮らした亀住町2番地の家の庭にもお稲荷さんが祀られていたといいます。もしかしたら小津新七家の暮らしを見守ってきたお稲荷さんかもしれません。
小津監督は60年の生涯の内、約20年を深川で過ごしました。誕生から松阪へ移住するまでの幼少期、そして撮影助手・助監督の下積みを経て映画監督としての地位を確立した19歳から32歳までにあたります。小津監督の原点を訪ねたOZU活で、深川の地で発展した湯浅屋の歴史や、明治から昭和にかけて湯浅屋の屋台骨を支えた寅之助さんの人生にも目を向けることができました。街の姿は大きく変わっていますが、小津監督が愛した深川の風景や亀住町2番地の家の思い出は、多くの小津作品に反映されています。次回も小津監督生誕の地、深川の小津スポットを巡ります。
文:ごとう ゆうこ

『戸田家の兄妹』https://www.cinemaclassics.jp/ozu/movie/2880/
『麥秋』https://www.cinemaclassics.jp/ozu/movie/2855/
小津安二郎監督公式サイトはこちら https://www.cinemaclassics.jp/ozu/












