連載コラム「OZU活のすすめ」第7回 ~蓼科編 第28回蓼科高原映画祭と小津の散歩道を巡る旅~
カテゴリ:連載コラム「OZU活のすすめ」
皆さまこんにちは。OZU活のすすめ第7回は蓼科をご紹介します。9月20日・21日の2日間、長野県茅野市で開催された「小津安二郎記念・第28回蓼科高原映画祭」へ行ってきました。蓼科を愛した小津監督にちなんで平成10年にスタートした映画祭は、小津監督が描き続けた「家族」をテーマとしています。市内二ヶ所の会場で15本の映画が上映され、若手映画監督の登竜門といわれる短編映画コンクールも行われました。
小津監督の作品は『お早よう』と『浮草物語』の2作品が上映され、私は映画祭の初日に上映された『お早よう』を鑑賞しました。メイン会場である茅野市民館のロビーには小津監督の大きな垂れ幕が!蓼科で撮影された小津監督の写真展示や小津グッズの販売ブースもあり、多くの映画ファンで賑わっていました。
昭和34年公開の『お早よう』は、郊外の新興住宅地に暮らす人々の日常を描いた作品です。今も昔もご近所付き合いは気苦労が多いもの。奥様同士の交流は何かと大変そうです。子供達の間では、おでこをつっつかれるとオナラをするという遊びが流行中。オナラを自在に操ろうと日々研究に余念がありません。それぞれの家庭で繰り広げられる夫婦や親子の掛け合いがおもしろく、島津雅彦さん演じる勇ちゃんの可愛い仕草に観客から笑い声が溢れます。私も沢山笑い、改めて小津監督のユーモアと、俳優さん達の名演技に酔いしれました。
上映後はゲストによるステージトークが行われました。『お早よう』に出演している佐田啓二さんの長女で俳優の中井貴惠さん。小津監督の姪である小津亞紀子さん。撮影助手として『お早よう』の撮影に参加された、映画監督の兼松熈太郎さん。ご家族しか知り得ない貴重なエピソードや、撮影現場での小津監督の様子などを交えながら、お三方の息の合ったトークで会場は大いに盛り上がりました。
翌日は茅野駅からバスに乗り、蓼科のプール平を訪れました。プール平という不思議な地名は、かつてこの地に温泉プールがあったことが由来だそうです。蓼科には小津監督とコンビを組んだ脚本家、野田高梧さんの山荘「雲呼荘」がありました。昭和 29年、野田さんに誘われ初めて雲呼荘を訪れた小津監督は、蓼科の自然にすっかり魅了されます。2人は脚本執筆の場を蓼科に移し、雲呼荘で『東京暮色』『お早よう』『秋刀魚の味』など6作品の脚本が生まれました。
蓼科でのOZU活、まずは「無藝荘」を訪れました。蓼科には小津監督と野田さんを慕い、多くの映画人が集いました。昭和31年、小津監督は客人をもてなすために雲呼荘の近くにあった山荘を借り、「無藝荘」と命名しました。元は1km程離れた場所に建っていましたが、現在はプール平に移築され一般公開されています。
入口の潜り戸を抜けると、囲炉裏には火が入り、鉄瓶に熱い湯が湧いています。奥の座敷では『東京物語』が上映されていました。この囲炉裏端で小津監督は多くの仲間と歓談し、お酒を酌み交わし、時にのんびりと昼寝をしました。脚本が完成すると小津組の俳優や交流があった地元の方々を招き、お祝いの宴が盛大に行われたそうです。
無藝荘は、製糸業で成功を収めた片倉家が地元の旧家を移築し、別荘として使用した建物です。いつ頃建てられたのか、囲炉裏端に座ると大きな懐に包まれているような心地よさを覚えました。訪れた方々も思い思いの場所に座り、静かに無藝荘の空間を楽しんでいらっしゃいました。
無藝荘を後にし、「茶房 銀のポスト」でひと休み。赤い腰折れ屋根の可愛い建物は、昭和12年に建てられた旧蓼科郵便局です。屋根の棟飾りに郵便マークが残っていました。小津監督は蓼科滞在中、切手を買ったり電報を打ったりと、度々この郵便局を利用しました。現在はお隣に新しい郵便局が建ち、旧局舎はカフェとして活用されています。
郵便局だったスペースは、木の温もりを感じるお洒落なカフェになっています。住居として使われていた和室や、芝生が美しいお庭のテラス席でもお茶を楽しむことができますよ。
オリジナルブレンド「銀のポスト」と、木苺のアイスクリームが添えられたクレームブリュレをいただきました。標高1300mのプール平は爽やかな秋風が吹き、温かいコーヒーがとても美味しかったです。カウンターでは常連さん達がお喋りに花を咲かせています。小津監督もこんな風に郵便局でお喋りを楽しんだのかもしれません。ふと花盛りの秋桜の影から、小津監督が現れそうな気がしました。
小津監督と野田さんは、蓼科の風景を愛でながら毎日のように散歩を楽しみました。2人が歩いた約4kmの散歩コースが、「小津の散歩道」として整備されています。無藝荘で頂いたパンフレットを片手に、私も散歩道を歩いてみました。要所に案内看板が立てられているので、迷う心配なく散策できます。
木立の間をゆっくり歩いて15分程。「新・雲呼荘 野田高梧記念蓼科シナリオ研究所」を訪れました。小津監督と野田さんが滞在した雲呼荘は既にありませんが、野田さんの妻、静さんが後年暮らした山荘が新・雲呼荘として公開されています。扉を開けると、代表理事の山内さんが温かく迎えてくださいました。
部屋の中央に置かれているのは、野田さんが愛用した回転台付きの卓袱台。実際に雲呼荘で使われていた茶棚の上には、小津監督と野田さんが脚本を書きながら酌み交わした、銘酒「ダイヤ菊」の一升瓶が置かれています。
『この山荘に來訪された方は かならずこの日記に 何かお書き留め下さい 蓼科高原 雲呼荘主人』雲呼荘には来訪者が自由に書き込めるノート「蓼科日記」が置かれていました。多くの来訪者による書き込みと共に、野田さんの手により日々の出来事や仕事の進み具合などが丁寧に綴られ、蓼科での創作活動を知る重要な資料となっています。新・雲呼荘では、デジタルデータ化により複製された18冊の蓼科日記を公開しており、訪れた人は自由に手に取ることができます。
雲呼荘に残された8ミリフィルムの映像を見せていただきました。動く小津監督を初めて見た私は、感動して何度も「動いてる!」と声を上げてしまいました。ステッキを片手に散歩する姿から、心から寛いでいる様子が伝わってきます。カメラに向かっておどける仕草には思わず吹き出してしまいました。まるで時を超えて雲呼荘にお邪魔したような、忘れ得ぬひと時となりました。
かつてプール平には「喫茶 蓼科アイス」という喫茶店がありました。小津監督と野田さんは散歩の度に蓼科アイスに立ち寄り、経営者ご夫妻とも親しく交流したといいます。そんな蓼科アイスをモチーフにしたお店があると知り、道の駅ビーナスライン蓼科湖を訪れました。
今年で開店5周年を迎えた「喫茶 蓼科アイス」は、地元産の素材にこだわったソフトクリームが人気のお店。こちらでは小津監督が愛した蓼科アイスの復刻アイスキャンデーが販売されています。オーナーの鎌倉さんは幼少の頃、父に連れられよくプール平の蓼科アイスを訪れたそうです。お店で遊ばせてもらったり、アイスキャンデーやお蕎麦を食べた思い出を懐かしそうに話してくださいました。
復刻アイスキャンデーは鎌倉さんにとっても思い出の味。記憶に残る味を再現するため、何度も試作を重ねたそうです。3種類の味の中からオレンジ味といちご味をいただきました。一口齧ると果物の爽やかな甘さと酸味が口いっぱいに広がります。甘すぎずさっぱりとした後味で、グルメな小津監督に愛されたのが頷ける美味しさでした。
蓼科アイスの裏手には蓼科湖を臨む美しい風景が広がっています。大勢のお客さんが木立のベンチに腰掛け、ゆっくりアイスクリームを味わっていました。蓼科湖ではボートや釣りを楽しむこともできますよ。時間がなくて散策を断念しましたが、湖畔に整備された遊歩道がとても素敵な雰囲気でした。
復刻アイスキャンデーを堪能した後は茅野駅へ。駅に隣接する複合施設「ベルビア」内の「小津安二郎・野田高梧展示コーナー」を訪れました。こちらでは小津監督と野田さんの功績を紹介すると共に、愛用の家具やカメラなど多くの資料が展示されています。2人が愛した蓼科を訪問した後に見学すると、また感慨もひとしおでした。
最後に長野特産のりんごやおやきを買い込んで帰路に着きました。お土産を食べながら、涼しい秋風と共に歩いた蓼科の思い出に浸っています。新・雲呼荘や銀のポストが早くも懐かしく、蓼科山を臨む一本桜まで小津の散歩道を辿ってみたいと再訪を夢見ています。今回の旅で私もすっかり蓼科に魅了されてしまったようです。
文:ごとう ゆうこ
『お早よう』作品ページはこちら https://www.cinemaclassics.jp/ozu/movie/2832/
場所は違いますが、湖畔というと『彼岸花』のシーンを思い出す方もいらっしゃるのではないでしょうか。
『彼岸花』作品ページはこちら https://www.cinemaclassics.jp/ozu/movie/2846/
小津安二郎監督公式サイトはこちら https://www.cinemaclassics.jp/ozu/