【連載】多彩なる多才のアルチザン 映画監督・野村芳太郎❷
「作品の特徴と演出スタイル」
【はじめに】
2025年4月から、野村芳太郎監督の「再発見再評価」を目的としたプロジェクトが、始まりました。多方面から展開する中で、月1回、野村芳太郎監督に関するコラムをお送りすることになりました。今回は、「作品の特徴と演出スタイル」について紹介します。
【映画の申し子】
1919年、野村芳太郎は、日本映画の黎明期に活躍した野村芳亭監督の長男として誕生しました。芳亭は、松竹蒲田撮影所の所長を兼任しており、芳太郎は撮影所を遊び場として成長します。

キャメラと幼少期の野村芳太郎
14歳の時に、父が早逝し、自身も映画の道に進むことを決意。大学卒業後、大船撮影所に入社します。その後、軍隊に招集され、インパール作戦に従事。復員後、助監督として、数々の作品に参加した後、『鳩』(52)で監督デビューを果たしました。
【ターニングポイント】
デビュー後、当時の会社の要請に沿って、美空ひばり主演の『伊豆の踊り子』(54)や、当時のスター高橋貞二主演の青春映画やラブコメ、ミュージカルなど様々なジャンルを手掛けた後、初の松本清張の原作による『張込み』(58)で注目を集めます。数々の名作を共に生み出した脚本家橋本忍との仕事でもあります。

映画『張込み』 ©1958松竹株式会社
また、同じく松本清張原作の、『ゼロの焦点』(61)における、主人公と犯人が、「断崖で対決する」という演出は、後続のサスペンスドラマで定番となりました。
【多彩な作品群】
その後も、渥美清が本格的に映画スターと認識されるきっかけとなった『拝啓天皇陛下様』(63)、岩下志麻のキャリアにとっても、重要な作品となった山本周五郎原作の時代劇『五辯の椿』(61)、コント55号と水前寺清子が活き活きと活躍するコメディシリーズまで、さらに手掛ける作品のジャンルは広がっていきました。モーパッサン、アガサ・クリスティー、エラリー・クイーンといった海外作家の原作作品も手掛けています。

映画『拝啓天皇陛下様』©1963松竹株式会社
最も忙しい時期の野村芳太郎は、常に2本以上の企画を並行して進めており、新しい映画や企画を求めて、プロデューサーとしても、活動しました。
【映画『砂の器』について】
『砂の器』(77)は、脚本完成から紆余曲折を経て、14年後に完成しました。この映画を製作するために、プロダクションを設立した脚本家橋本忍をはじめとするスタッフ、キャストの総力が結集されたことで、迫力ある作品となり、大ヒットを記録。公開から50年を超えた今も、シネマコンサートや「午前10時の映画祭」といった映画館での上映にも、お客様がご来場いただいており、日本映画史に残る名作となりました。

映画『砂の器』 ©1974松竹株式会社/橋本プロダクション
【指揮者の様に】
野村芳太郎は、映画監督としての自分を「指揮者」に例えることが多くありました。作品にふさわしい信頼するスタッフ、キャストが、「能力を存分に発揮させることが自分の仕事」であり、その結果、良い作品が生まれるということを強く信じていたためです。
たとえば、1982年に公開された映画『疑惑』。松本清張の原作では、岩下志麻演じる弁護士は、男性でしたが、スタッフの提案を採用し、清張本人の了解を得て、女性に変更。主演の桃井かおりと法廷シーンに現れる個性豊かな俳優たちの活き活きとした演技と、それを支える川又昻による撮影、芥川也寸志による音楽などスタッフの力が終結されており、総合芸術である映画の魅力を存分に味わうことができます。

映画『疑惑』©1982松竹株式会社
【観客によりそって】
「人間の弱さもろさ」を冷静に見据えた野村芳太郎監督は、同時に「観客を楽しませること」を決して忘れなかった演出家でもあります。手掛けた映画で取り上げてきた「家族」「親子」「人を愛すること」といったテーマは、普遍性があり、社会のあり方が変わり、表現方法に規制がかかりがちな今こそ、さらに観客の心をとらえることでしょう。熟練の監督が手掛けた娯楽作品をお楽しみください。