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連載コラム「OZU活のすすめ」第2回 ~伊勢編 小津安二郎が通った宇治山田中学校跡地と寄宿舎生が愛したうどん屋を巡る~

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皆様こんにちは。OZU活のすすめ第2回。今回からは伊勢編として、小津監督が中学時代に過ごした三重県伊勢市の小津スポットをご紹介します。

伊勢市駅から北へ徒歩10分ほどの、宇治山田中学校跡地を訪れました。小津監督が通った大正時代は田畑に囲まれた大変長閑な環境でしたが、現在は住宅地となっており、敷地の一部が船江公園にとして整備されています。校舎は戦災で焼失してしまった為、当時の痕跡は残っていません。しかし、この地で小津監督が青春時代を過ごしたのかと思うと、胸が高鳴ります。
終生交流を持つことになる友人達とは、思い出に残る楽しい出来事が沢山あったことでしょう。また皆さんにも覚えがあるかもしれませんが、生徒達は先生に愉快なあだ名を付けていました。小津監督の日記には、カニ、鳥、ライオン、虎、コッテ牛など先生達のあだ名がたくさん書かれています。後に小津監督が作った映画にも、カニ、むじな、ひょうたんなどユニークなあだ名の先生が沢山登場します。中には宇治山田中学校の先生がモデルではないかと言われている登場人物もいるようですよ。

公園内には宇治山田中学校卒業生の小津監督の記念碑と詩人 竹内浩三の詩碑が建てられており、お二人のプロフィールが書かれた案内板も設置されています。竹内浩三は、中学の大先輩である小津監督に憧れて、日本大学専門部映画科に進学したそうです。

「無常迅速 もう一度中学生になり度いなあ 会ひ度い会ひ度い もう一度中学生になり度いなあ」という碑文は、昭和34年9月26日 伊勢志摩地方に大きな被害をもたらした伊勢湾台風の報を聞き、翌日すぐに中学の同級生吉田氏宛に書いた手紙の文面。じーんと心に染みる文章です。
小津監督にとって中学時代が特別なものであることが伝わってきます。

小津監督が暮らした寄宿舎跡には、瀟洒なマンションが建っています。空襲で焼け残った寄宿舎の煉瓦煙突が長らく遺構として残されていましたが、老朽化の為2008年に撤去されました。
現在はマンションの敷地に煉瓦モニュメントが設置されています。船江公園の北東にありますので、こちらも公園と併せてぜひ訪れたいスポットです。
第1回でも少し触れましたが、寄宿舎では先輩後輩の上下関係が大変厳しかったといいます。上級生の布団の上げ下ろしや部屋の掃除は下級生の仕事です。入浴の順番は勿論上級生から。上級生が風呂から上がるまでに着替えを準備しておくのも下級生の役割でした。特に恐れられていたのが5年生による【ストーム】というしごきでした。態度や言葉遣いが気に入らない下級生を就寝後の廊下に呼び出し詰問するというもので、言い訳しようものなら更に怒鳴られ、時には鉄拳が飛ぶという厳しさでした。
小津監督も中学2年と3年の日記に上下関係の理不尽さを記しています。

大正7年2月4日(月)晴 暖
-略-
九時すき五年の人々に叱斥された

大正7年3月6日(水)晴 暖
-略-
五年の人の命令で八百勝に蜜柑を買に
田中さんと行く

大正7年3月10日(日)雨 暖
-略-
嵐を冒して四年生の人の菓子を買に
行く、実につらし

大7正年9月25日(水)晴 涼
-略-
夕食後五年の人人に注意を受けた
-略-
何の理で五年の人が叱つたのか其の
理はからず、大いにむじゅんしてゐる

下級生達にとっては大変辛い寄宿舎生活も、3年生になる頃には段々と自由になり、学校近くに散歩外出もできるようになります。本屋や文具店で買い物をしたり、ぜんざい、かき氷、うどんなどを食べに行くのが、寄宿舎生達の定番だったようです。
小津監督の日記にも、同級生達とうどんを食べに行った記述が何度か登場します。

大正7年1月13日(日)晴 暖
-略-
晝より小籔•富田•木下と磯田に行き善
哉を喰ひ波切屋の隣に行きうどんを喰ふ。

大正7年1月20日(日)晴 暖
-略-
小籔•富田•木下と今朝より幸通に行った。
汁粉ニぱい四銭一ぱいだ
後に河崎に行つてうどんを喰ふ

大正7年2月14日(木)晴 暖
-略-
放課後吉田さんの猿股をかいに行く
うどん二つして下る

大正7年12月8日(日)晴 暖
本日稲田と、うどんを食ひに行く。
沢田も同行也。

伊勢のうどんは太くて柔らかい麺に、たまり醤油をベースとした黒いたれをトロリとかけた物。現在は伊勢うどんと呼ばれていますが、大正時代にはこの名称はまだなく、ただ【うどん】と注文すればこれが出てきました。
初めて食べる方は、真っ黒なたれに驚くかもしれません。一見辛そうに見えますが、意外とあっさり!お出汁が効いた甘辛い味です。うどんにたっぷりと絡めて食べてみてください。

船江公園のすぐ近くに、宇治山田中学校の寄宿舎生達から愛されたうどん屋があります。創業は大正時代という喜八屋さん。
食べ盛りの寄宿舎生達は、外出の際にうどんを食べに通ったそうです。中には夕食だけではお腹が満たされず、消灯後にこっそり寄宿舎を抜け出してやって来る生徒もいたようですよ。

小津映画ファンの方なら喜八と聞いておっ!と反応してしまうのではないでしょうか。学はないが人情に厚く、粋で男気があるものの、すぐどじをふむ。そんな愛すべき喜八という名の男が主人公の【喜八もの】と呼ばれる作品群があります。なんだか小津監督とのご縁を感じる店名ですね。
寄宿舎を抜け出してやって来る生徒達を叱らずに、温かいうどんを食べさせてあげた喜八屋さんの初代ご主人は、坂本武さん演じる喜八と同様、人情に厚い方だったに違いありません。

現在のお店に建て替える前の、古いお店の写真を見せていただきました。なんとも懐かしい佇まい!開ける時にガラリと音がしそうな木枠の引き戸やコンクリートの床。切妻屋根に妻入りの造りは伊勢の伝統的な建築様式です。大正時代の創業から平成11年までこの建物で営業されていたとのことです。

喜八屋さんは現在も地元で愛される人気店。暖簾を潜るとご主人、女将さん、お嬢さんが笑顔で迎えてくれます。人情の厚さは令和の今も変わりません。寄宿舎生達が食べに通った伊勢うどんはもちろん、中華そばやカレーうどんも人気です。

※日記引用『小津安二郎松阪日記』より

文 ごとうゆうこ

 


『出来ごころ』作品ページはこちら https://www.cinemaclassics.jp/ozu/movie/2911/
『浮草物語』   作品ページはこちら https://www.cinemaclassics.jp/ozu/movie/2902/
喜八もの2作品を収録 DVD       https://store.shochiku.co.jp/shop/g/gDB0679


「小津安二郎松阪日記」について詳しくはこちら