松竹Cinema Classics

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本文600ページ/4色口絵8P/1色口絵8P/上製クロス装角背カバー帯
編纂・発行:「蓼科日記」刊行会
発売:(株)小学館スクウェア

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本書は小津映画ファンの間で〈今に残る小津安二郎最後の未公開一次資料〉として知られていた膨大な「蓼科日記」全十八巻のうちから、小津が蓼科に滞在した時期をベースに、映画史にコミットするにふさわしいと思われる記述と、戦後の小津とコンビを組んだ脚本家・野田高梧の交遊関係を知る上で欠かせないと思われる記述とを厳選して編んだ「抄録」です。
小津が書いた文と挿絵はすべて収録してありますので、蓼科で小津が書き付けた全文を前後関係、人物相関を参照しつつ読むことができます。さらに原寸カラー口絵、初お目見えのモノクロ写真も多数収録されており、読んで見て面白い、映画ファンには垂涎の一冊となっています。 さらに、日本映画研究者にとっては、必携の文献といえます。

野田高梧、小津安二郎、里見弴、新藤兼人、岸松雄、山内久、山内玲子、井上和男、厚田雄春、宮川一夫、中井朝一、下河原友雄、佐田啓二、中井貴恵、池部良 他
全36人

小津、野田両氏は1956年「東京暮色」から、それまで湘南「茅ヶ崎館」に置いたシナリオ執筆の場を野田高梧の山荘「雲呼荘」がある信州蓼科高原に移した。以降、「彼岸花」を除く全ての作品をその地で書いた。深川生まれの東京人である小津にとって信州蓼科は新たな環境、別世界であったに違いない。野田は勿論のこと、小津もその地を深く愛した。そして、蓼科における両作家の日常ありのままの姿が山荘に置かれた日記の中に事細かに残されている。それが「蓼科日記」である。
その記述は昭和29年8月18日、正に小津が初めて蓼科高原を訪れた日に始まり、昭和43年9月23日、野田高梧が心筋梗塞によって「雲呼荘」で亡くなるその日までの14年間に及ぶ、A4判クロス装のノート全18巻、150万余字に及ぶ膨大な記録である。それは小津、野田両氏によるシナリオ作成過程の秘められた部分を初めて明かすものである。悠々たる日常と綿密に一言一句練り上げられた文言とが一如となっていて小津映画の謎が窺えると同時に、ある種、人間の記録ともいえる。加えて両氏を取り巻く各界の人たちとの交流や、蓼科の自然、そこに暮らす人々の素朴な人情まで独特のユーモアをもって見事に捉えられている。その全文を発表する事は諸般の事情があって現在は困難であるが、小津、野田両家ご遺族のお許しを頂き、全文中よりシナリオ執筆に関わる主要部分を抜粋し初めて公表する運びとなった。

蓼科日記全巻を資料として残そうと発足したプロジェクト。発起人代表を小津組プロデューサーであった山内静夫が務め、小津家、野田家の代表、実行委員ら十四人で構成されている。

小津安二郎 OZU110th ANNIVERSARY