「倍賞千恵子と諏訪さくら ー二人で過ごした50年ー」
映画『男はつらいよ』50周年記念特別コラム

「倍賞千恵子と諏訪さくら ー二人で過ごした50年ー」

映画『男はつらいよ』50周年記念特別コラム

毎回行われていた「さくらさんになるための儀式」

その人は、古い洋画の主題歌を口ずさみながら軽やかに現れた。目にも鮮やかな真っ赤なワンピースに白いカーディガン。彼女が登場した瞬間、白ホリゾントの殺風景な撮影スタジオが一気に華やかになる。身につけている洋服のせいではなく、彼女――倍賞千恵子――の存在そのものが、周りの空気を華やかにさせ、周囲に彩りを加えていたのだ。

カメラマンの指示に応えて写真に納まる姿は、まさに映画女優そのものであり、「さくらさん」の要素は微塵も感じられなかった。撮影の合間にも、彼女はなおも楽しそうにハミングしている。ふと、『男はつらいよ』における、さくらさんの歌唱シーンが頭をよぎる。「寅次郎恋歌」では『かあさんの歌』を悲し気に歌い、「葛飾立志篇」では『さくらのバラード』を西部劇風にアレンジしていた。

しかし、目の前で口ずさんでいる倍賞さんにはさくらさんの姿は微塵もない。やはり、「倍賞千恵子とさくら」は、あくまでも「俳優と役柄」でしかないのか? 撮影終了後、まずはその点を尋ねてみると、「私はいつも、さくらさんになる儀式をしていました」と彼女は言った。

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撮影 宮田浩史 / ヘアメイク 徳田郁子

「私はいつも、『男はつらいよ』のクランクイン前に、鏡の前で“さくらにな~れ、さくらにな~れ”って、自分に言い聞かせるんです。それは毎回の恒例でした。馬鹿げているかもしれないけど、前作で着ていた衣裳や前掛けを身につけた後に、鏡に向かって“さくらにな~れ”ってやることで、自己暗示をかけていたのかもしれないですね。そうして段々とさくらさんになるんです」

およそ50年にわたって「諏訪さくら」を演じてきたのに、撮影前には必ず「儀式」が必要だったということに驚いていると、倍賞さんは続けた。

「逆に何十年も演じてきたからこそ、自己暗示が必要だったのかもしれないですね。生前の柳家小さん師匠が言っていたんですけど、古典落語を演じるときは“オレは初めてこの噺をやるんだ”という思いで、いつも高座に上がるんですって言っていました。さくらさんを演じるときに、どうしても慣れのようなものが出てしまうんです。だからこそ、私自身の心の切り替えも必要だったし、新鮮な気持ちに立ち返るためにも必要な儀式だったのかもしれないですね」

なるほど、ならば先ほどまでカメラの前でハミングしていた倍賞さんの姿と、さくらさんの姿が重ならないのも当然のことなのかもしれない。

渥美清さんが遺してくれたもの

やがて、今は亡き「寅さん」こと、故渥美清さんの話題になった。渥美さんが逝去した直後は、過去の作品を見ることも、ファンの人から「さくらさん!」と声をかけられることも辛かったという。しかし、その死から四半世紀を経て、少しずつ傷は癒えていく。

「渥美さんが亡くなってから、1年ぐらいはずっとそんな状態が続きました。でも、そんな頃に講演を頼まれたんです。最初は、“何を話したらいいんだろう?”と思っていました。だけど、“とにかく今思っていることを話そう”と決めてお受けしました。そしてその日の夜、主催された方に自分の気持ちを打ち明けたんです……」

このとき、主催者から言われたひと言によって、倍賞さんは救われたという。

「その人が、“倍賞さん、これからはいろんなところに行って、寅さんのことをひっくるめて渥美さんについて話せばいいんです”って言ってくれました。その頃の私は自分の身体に大きな穴や小さな穴がいっぱい空いていて、スースーと身体の中を風が通り抜けてるような状態が続いていました。でも、“倍賞さん自身が風になって、いろんなところに行って話しなさいよ”って言われて、そこから渥美さんのことを話せるようになったんです」

すると、倍賞さんの気持ちに変化が訪れた。

「渥美さんの思い出を話していくうちに、不思議と私の身体に空いていたいろんな穴が、次々と埋められていくような気がしてね。すごく気持ちがラクになっていったんです」

時間が経過し、心の整理がついたことによって、改めて「渥美清」という存在が自分に遺してくれたもの、与えてくれた影響の大きさに気がつくこととなった。

「私が渥美さんから教わったことは、たとえば、“セリフはこう言えばいいんだよ”とか、“動きはこうしたらいいんだよ”とか、役者として具体的なことじゃないんです。渥美さんは私に、“人間としてどう生きるのか?”とか、“人はどうして生きていくのか?”ということを教えてくれました」

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「渥美さんも、寅さんも、《愛》の大切さを知る人」

渥美さんが晩年を迎えていた『男はつらいよ』後期には、甥の満男が寅さんに対し、「人間は何のために生きるのか?」「人間はどうして働くのか?」と尋ね、寅さんが真剣に答えるシーンが登場する。倍賞さん自身も、渥美さんとの交流の中で、「人としてどう生きるか?」という哲学的命題を、知らず知らずのうちに学ぶこととなったのだった。

「山田洋次監督は、渥美さんのことを“贅肉のない俳優さんだ”とおっしゃっていました。ゴチョゴチョと余計な芝居をせずに、どんなことでもスッと表現できるんです。やっぱりそれは渥美さんが謙虚な人だったからだと思うんです。渥美さんは、“今、目の前にいるこの人はどんな人なんだろう?”って、相手の立場に立って物事を考える人でした。そんな渥美さんと一緒に仕事をしてきて私が学んだのは、“人の立場になって物事を考えることの大切さ”なのかな? だって、渥美さんも、そして寅さん、お兄ちゃんも、一番大事な《愛》というものを知っている人だと思うんですよね……」

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倍賞さんの言葉が、次第に熱を帯びてくる。

「……だから、寅さんにもそれがきちんと表現されているんだと思うんです。寅さんは、ちゃんと人を愛する人。いちばん大事な愛を知っている人。言葉の中に愛がある人なんです。だから私、“『男はつらいよ』は玉手箱みたいなものだ”って思うんです。そこには、日本人の情や、かつてあったけど、今はもう失われてしまったものなど、いろんなものが入っていて、人として大切なことを思い出させてくれるんです。だから、ぜひ、みなさんにも、この宝箱を開けてみてほしいんです」

渥美さんが亡くなった直後は、あまりにも辛くて過去の作品を見返すことができなかった。しかし、最近ではようやく、懐かしく振り返ることができるようになっている。つい先日も、たまたまテレビをつけたら、若き日の自分が出演している『男はつらいよ』が放送されていた。

「テレビをつけたら、突然お兄ちゃんが出てきて、そのままずっと見ちゃいました。そして改めて、“すごいな、私こういうすばらしい映画に出ていたんだな”って思って。画面からすごいエネルギーが伝わってきました。それに、“あの、さくらさんを演じている女優さん、なかなかいいじゃない”って、自分で思っちゃった(笑)」

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第1作から50年という長い時間が経過して、倍賞さんは『男はつらいよ』の魅力を再認識する。

「改めて、この『男はつらいよ』という作品を見て、“あぁ、すてきな兄妹の関係だな”って思ったの。あのお兄ちゃんと妹の関係がとてもすばらしく思えたんです。そんなすてきな役を50年もやらせていただいたんですね……」

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50年のときを経て、50本の映画が完成した。残念ながら、渥美清さんは鬼籍に入った。しかし、スクリーン上の寅さんは昔と変わらぬ姿で私たちの前に登場し続ける。かつては「さくらさん」と呼ばれることに辛さを覚えていた倍賞さんは小さく笑った。

「今はむしろ、“さくらさん”って呼ばれることが嬉しいんです。ファンの方からそう呼ばれるたびに、“はーい。姥さくらです”って答えているんです(笑)」

ケラケラと笑うその表情は、倍賞さんのそれであり、さくらさんのそれでもあった。気がつけば、いつの間にか倍賞さんはさくらさんになっていた――。

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文:長谷川 晶一

 


 

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◆倍賞千恵子オフィシャルウェブサイト
http://www.baisho-chieko.com/index.html

◆「寅さんのいる生活」
コラムの著者、長谷川さんのインタビューはこちら。
https://note.com/torasan_50th/n/n0821ff2b8caa

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