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悪戦苦闘、反戦、丁寧な美意識
―篠田正浩監督が紐解く小林正樹監督の映画人生

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ユーロスペース(渋谷)で開催中の小林正樹監督生誕100年記念特集上映。10月16日(日)は、イベントが目白押し! この日にまず上映されたのは、『わが映画人生』。1993年に小林正樹監督の映画人生、映画作りにかけた思いを語ったインタビュー作品です。 

 篠田正浩監督を聞き手に語られる小林監督の映画人生。ハイカラな街であった北海道・小樽に生まれ、早稲田大学で歌人・書家である會津八一氏に東洋美術を学び、松竹大船撮影所に入るも、出征し、沖縄で捕虜となった日々。戦後、松竹へ復帰し木下恵介監督の助監をつとめ、その後、『黒い河』などで評価され、大作『人間の條件』、さらには『切腹』『怪談』など日本映画史上に残る作品を生み出していく、この映画人としての軌跡が紐解かれていくさまは非常に濃いインタビュー映像で、上映時間があっという間でした。

 上映後は、篠田正浩監督が舞台に登場。立花珠樹さん(共同通信 編集委員)とともに、小林正樹監督の仕事と人生を振り返りました。

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 1950~60年代、映画が斜陽産業になりつつあった苦しい中で悪戦苦闘していた小林監督ですが、「自分の作る映画の道すじが、まっしぐらにあった」(篠田監督)人であり、だからこそ、自身の寸法で作る映画が撮影所のルーティンの中にはまらなくなり、後の独立につながったといいます。

 また、小林正樹監督を語るうえで忘れてはならないのが、作品にこめた反戦の思い。自身が出征した体験を持つ小林監督について、篠田監督は「『この機会にこの映画を撮らないと、自分の人生後悔する』という決意のもとに行く監督。戦争に参加して、命を捨てなくてはならなかった危機体験が、小林監督の映画の大きなスケール」と語り、また、インタビューするにあたり、「精神を超える肉体的な打撃を負いながら生きていかなくてはならなかった小林監督の映画における“肉体”を思わずにいられなかった」そうです。実際、『人間の条件』『東京裁判』などの作品を通して、戦争責任というものを追及し続けたところには、小林監督の人生経験が色濃く表れているといえるでしょう。

 また、この日、篠田監督は「小林監督の映画を見るに値するのは、時代の証言者という役割はもちろんですが、映画によって作られる美意識」でもあると教えてくれました。「ディテールの丁寧な仕事ぶりは、画面に深いイメージを与えてくれる大きな源泉となっていると思う。美術映画のような美しさを持っている。それは、小津や木下、成瀬、黒澤とも違う、小林監督独特の美しさ」(篠田監督)だという作品の数々。今年、初DVD化、初ブルーレイ化が実現した作品がありますので、改めて観てみることで、時代を超えて、私たちもまた小林監督の描いた美しさを見出せるかもしれませんね。

  リスクを恐れず、創作を続けた小林監督のこと語るに際しての「創作はリスクを負うことに喜びがある。未知の世界を求めることが創作」という篠田監督の言葉が非常に印象的でした。また、「わが映画人生」の中で、小林監督は篠田監督を「篠ちゃん」と呼んでいましたが、一方、篠田監督は「小林さん」そして、陰で「鬼」と呼んでいたそうです。(これに、お客さんたちは大笑い)。その仕事ぶりが篠田監督いわく、「鬼以外の何者でもない」からであったそうですが、このお互いへの呼び方から、おふたりの関係性が垣間見えるものがありました。 

日本映画の長い歴史の中で戦い抜いた2人の監督に拍手です!

(取材・文/ 田下愛)

 

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『生誕100年小林正樹映画祭 反骨の美学』 ユーロスペースにて10月28日(金)まで上映中!